2

 アインと名乗った少女は、悼みに来たのだと言った。手にしたミモザは手向けの花束らしい。


「さすがに朽ちているかと思っていましたが、意外としぶといものですね。さすがといったところでしょうか」


 焼け落ちた廃墟を見つめながら、アインは冷ややかに吐き捨てる。称賛の気配は微塵も感じられなかった。

 どうやらアインはこの廃墟に縁があるようだ。勿論悪い意味での話なので、きっと彼女にとっては思い出したくない記憶に分類されるだろう。

 ウィルは焼け跡に置かれた花束を見下ろす。素朴だが美しいこの花束もいずれ朽ちるのだと思うと、何とも言えない寂しさに襲われた。


「それで……ウィル、あなたは何故ここに縛られているのです? 今でこそ弱っていますが、妖精とは基本的に一定数は魔術的干渉への抵抗を有しているはず。大まかなもので構いませんので、今までの経緯を教えていただきたい」


 しかし寂寥感に浸り続けている暇はなく、すぐさま顔を上げたアインからそう問いかけられた。

 何故だろう、きっと彼女にそのつもりはないのだろうが、厳しく問い詰められている時にも似た緊張感を覚える。どのように表現したものか──直感を優先するならば、己よりも上位の存在からじっと見つめられているにも等しい感覚だった。今まで

そこまで大それた存在に出くわしたことはないし、位置を鑑みればウィルの方が若干上にいる。それなのに、言い様もない威圧感を感じずにはいられない。本能的な警鐘、と呼べば良いだろうか。ウィルの全身が、逆らってはいけないと警告を続ける。


「……おれ、もともとはこの森に棲んでる訳じゃないんだ」


 少しだけアインから距離をとり、ウィルはぽつりぽつりと語り始める。


「おれたちはどこで、どのようにして生まれたとかあんまり気にしないから、おれも覚えてないけど……一番古い記憶にある場所って言われたら、ここよりも暖かい森だったな。少し移動すれば谷があって、川も近かった」

「海は近かったですか?」

「どうだろ、まあ遠くはなかったと思う。で、おれはそこの森にねぐらを作っててさ。長期間出かけてねぐらを空けることもあったけど、用事が済んだり飽きたりしてたら必ず戻ってた。まだ最高記録には届かないけど、今のところ数年空けてるだけだからそんなに荒れてないんじゃないかな」

「お出かけが好きなんですか?」

「まあね。おれ、こう見えて人のことも真っ当に好きだからさ。姿を変えるのは昔から得意だったから、よく人に化けて遊びに行ってる。──あっ、やるからにはちゃんと溶け込んでるからな。今まで正体が割れて騒ぎになったことはないし、人前で妖精っぽいことをしたこともないし、人間と恋愛したこともない! …………悪い、最後のは忘れてくれ」


 自分で言っていて何だが、一気に虚しくなってきた。そもそもウィルは恋愛感情から誰かを好きになったこともなければ好かれた経験もない。恋だ愛だに憧れがないと言えば嘘になるが、心のどこかでそんなものはまやかしだと舌を出している自分がいる。自覚してはいるが、ひねくれ者なのだ。同族で真っ直ぐ健全な者の方が少ないとは思うけれど。

 ぼんやりと、いつかこんな自分にも運命の相手が現れるのだろうか──などと想像しかけて、すぐにやめた。考えたところで無駄だし、虚無感に苛まれるだけである。まずはここから脱出しなければならないのに、何が恋愛だ。自分から墓穴を掘ってどうする。

 そんなウィルの心情など知る由もなく、アインはじっと続きを待っている。彼女が聞き役の態勢に入っていることを確認し、ウィルは逸れた話の筋を戻すことにした。


「それで、つい最近……あ、人からしてみればそうは言わないのかな。とにかく数年前に、風の噂で聞いたんだ。動物も妖精も何故か寄りつかない森がある……って。その時は周りにいる同族がうざくてひとりになりたかったし、肝試しに来る人を驚かしてやりたいって気持ちもあってさ。ちょっとした興味本位で、ここまで来たんだ」

「その結果、出られなくなった……と?」

「……うん。笑って良いぞ」


 アインは真顔だった。いっそ笑ってくれた方がウィルとしては楽だったのだが、何とも言えない沈黙がその場に立ちこめるだけであった。

 それから、しばらく押し黙っていたアインが口を開くまで、かなりの時間を要した気がする。──実際にはたった数分だが、少なくともウィルにとっては地獄のような時間だった。

 ようやく彼女から紡がれた言葉は、呆れ果てているようにも、憐れんでいるようにも聞こえた。──いや、実際にその両方だったのかもしれない。


「あなたは無謀すぎます」

「全くもってその通りだ。返す言葉もございません……」

「無理して丁寧な物言いをせずとも構いませんよ」

「今はそういう気分なんだよ、細かい部分はほっといてくれ……」


 深々と頭を下げて、心の底から反省する。自分がどれだけ無謀で軽率だったか重々承知していたつもりだったが、改めて指摘されると辛いものがある。どこにあるのかわからない心臓がちくちくと痛んだ。

 何にせよ、自己反省は一旦保留しよう。うじうじと過去を振り返るだけならいつでもできる。今は疑問点を一つずつ明らかにしていくべきだろう。

 アインの言う通り、妖精は本来、魔術的干渉に対する抵抗力が強い種族だ。それなのに何故、この森から出ることができなかったのか──それは恐らく、この森そのものが強力な魔術的結界として成立しているからだろう。そうでもなければ、ウィルの行動を阻害するなど不可能だ。自らの種族を詳細に把握している訳ではないし、決して高位の妖精とは言えないが、それでも大抵の魔術干渉にはある程度の抵抗力を持っている。それが通用しなかったということは、この森に原因があるとしか思えない。

 ウィルは焼け跡に目を向ける。骨組みだけになった、廃墟というのも憚られる建造物の残骸。今自分がこの場所に縛り付けられていることを鑑みるに、この洋館だったものが術式の核なのだろう。


「そういえば、アイン。おまえ、前からこの場所を知ってるみたいだったよな。ここで何があったのか、知ってる上で訪れたんじゃないのか?」


 これまでの行動を思い起こし、ウィルはおずおずと問いかける。下手に刺激してアインに立ち去られでもしたらひとたまりもない。下手に出るならまだしもおもねるような真似はしたくないが、どちらにせよ今は彼女の助けがなければここから脱出することは不可能に近いのだ。唯一の命綱を切るような事態だけは避けたい。

 しかし、そんな不安とは裏腹に、アインはあっさりと首を縦に振った。


「はい。よく存じております」

「えっ⁉」


 あまりにもあっけらかんとした返答だったので、思わず素っ頓狂な声が出てしまった。

 ウィルは慌てて口をつぐみ、反射的に辺りを見回す。しかし当然ながらこの場には自分とアインしかいない上に動物の気配すらないので、咄嗟の懸念は杞憂に終わった。


「この残骸が施設として機能していた頃、ここで暮らしていたんです」


 アインの口振りは相変わらず淡々としている。そこに感情らしい感情は見当たらず、まるで他人事のようだった。


「施設……ってことは、ここって何らかの組織によって運営されてたのか? 孤児院だったとか?」

「表向きはそうですね。ですが単なる孤児院や救貧のための組織ではありません。あなたを縛っている所以はこの施設の内情にあります」

「……つまり、ここには裏の顔があった訳だ」

「はい」


 静かな肯定。短い返答だったが、不思議と説得力がある。

──やはり、この森は普通ではない。

 ウィルの中で、確信めいた予感が生まれつつあった。ただでさえ異様な場所だというのに、更に異常性が増していく。


「……ちなみに、何を目的にしていた組織なんだ? 箝口令とか敷かれてるなら聞かなかったことにしてくれ」


 恐る恐る訊ねると、アインはほんの少し躊躇うように目を伏せる。しかし、最終的には意を決したように視線を上げた。


「……組織、というよりは、たった一人の人間……その欲望の産物と呼称するのが妥当でしょうね」

「欲望の、産物……?」

「魔術師ならではの欲、というべきでしょうか。一般人たる私からしてみれば、正直言って何が良いのかさっぱりですが」

「……?」

「つまり、知らない方が良いこともあるということです」


 一瞬だけ嫌悪感を滲ませてから、さて、とアインは話題を切り替える。向き直った彼女の瞳は変わらず光を通さず、底の見えない黒だけが広がっていた。


「話を戻しましょう。あなたをここに縛り付けている術式は、とある人物によって生成されたもの。術者はこの地を離れましたが、が鬼才と呼ぶに値する実力者であったが故にその効力は未だ健在、この森を魔境たらしめています」

「術式ってことは、主軸となる目的があるんだよな? やっぱり、束縛の呪いとか?」

「それもあるでしょうが、ほとんどおまけのようなものでしょうね。本題は別のところにある──尤も、術者がいないのでは本来の目的から大きく外れ、最早暴走と言っても過言ではない状態ですが……」


 ややこしいので割愛します、とアインはばっさり告げた。小難しい説明はなるべく省いてもらえた方が嬉しいので、ウィルもうなずいて先を促す。


「端的に申し上げます。ウィル、早いところここから離れなければ、遅かれ早かれあなたは消えるでしょう」

「なるほど、消えるのか。…………えっ、おれ消えるのか⁉」


 業務連絡めいた口調で告げられた死の宣告。これにはさすがのウィルも二度見を禁じ得なかった。

 消える。なんと単純明快な表現だろう。感心している場合ではないし、シンプルな表現はむしろウィルの焦燥を煽った。


「き、消えるって、死ぬとは違うんだよな? 何とか回避できないのか?」

「ここに居続ける限り消滅は免れません」

「ちょっと待て!  どっちにしたって穏やかじゃないぞ!」

「事実なので仕方ありませんね」

「仕方なくないだろ!  いや、確かにこの森に入った時点でおれの命運は尽きてる感あったよ。だからといって、いきなり消えちゃいますなんて言われても困るんだけど!」


 あまりにも理不尽すぎる結末に、ウィルは思わず声を荒げる。人の姿をしていたら、きっと目尻に涙を浮かべていただろう。

 しかし、アインはあくまでも冷静だった。落ち着き払った様子で腕を組み、小さく嘆息する。


「落ち着いてください。まだ手立てが何もないという訳ではありませんよ」

「そ、そうなのか?」

「そうなのです。ですのでまだ絶望はしないように」


 アインの言葉に、ウィルはほっと胸を撫で下ろす。

 まだ希望が消えた訳ではない。そうわかっただけでも随分と気が楽になるものだ。


「それで……手立てってのはどういうものなんだ? おれにできることなら全面的に手伝うよ」


 先程よりも幾分か気分が和らいだウィルは、やや語調を弛めながらそう申し出た。この場所から生きて脱出できるのなら、大抵のことは許容できるつもりだ。

 それなら決まりですね、とアインは両手を合わせる。ぱちん、と軽やかな音が鳴り、真っ黒な瞳が瞬いた。


「では、早速行動に移しましょう。これよりこの施設の核となる術式を破壊します」

「え、破壊って、え?」

「もとよりそれが私の目的でした。今なおこの森を侵食する術式の破壊、それでウィルの呪縛も解けるなら願ったり叶ったり、日本語で言えば一石二鳥です」


 妙に得意げな顔をしているアインだが、聞いている身としてはクエスチョンマークを浮かべ続けるしかない。日本JAPANってなんだっけ、と思考を巡らせている間に、アインはこちらへ手を差し伸べている。


「やりましょう、ウィル。お互いの本懐を成し遂げるのです」

「お……おう」


 本来ならぐっと手を取り合い、握り締めることで結束を示すところなのだろう。だが今のウィルに手はない。姿形で言えばただの怪火だ。

 仕方ないので、勢いに気圧されるままうなずいた。アインの右手が手持ち無沙汰になったのは言うまでもない。

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