第3話
僧服と聖布をなびかせて、オリィが抽出塔へ駆けていく。必死に追いかけるが、まったく追いつけない。もともと、大きく距離を離されていたのもあるが、オリィの足が速いのだ。俺は運動とは無縁だった大学生活を悔いた。肺が破けそうだ。
「オリィ、止まってくれ!」
あらん限りの大声で叫ぶ。すると、オリィが抽出塔の手前で足を止めた。声が届いたのだろうか。俺はそのまま走り続け、オリィの肩に手をかけた。なんとか、息を落ち着かせて、言葉を絞り出そうとする。そのとき、抽出塔の方から怒鳴り声が聞こえた。
「ケルス! お前ってやつは!」
「わかった、僕が悪かった。許してくれ、トネット。許してくれ!」
ひーっという悲鳴が聞こえた後、なにかが倒れる音がして、また悲鳴が聞こえた。
「なんだ? なにが起きてる?」
「わかりませんが、爆発事故ではないようです。バシーさん、あれを見てください」
俺はオリィが指さす方を見た。抽出塔横にある開け放たれた倉庫から、白い粉が舞っている。人の声もその倉庫の方から聞こえていた。抽出塔から立ち上っているように見えた白煙は、実は白煙ですらなかったようだ。それも、もうずいぶん薄れている。
「……爆発してないならよかった。なんか、元気そうだし。街に行こうか?」
「いえ、なにかがあったのは確かですし、なにがあったのか気になります。あの様子ですが、怪我人もいるやもしれません」
「まあそうだけど、喧嘩やってるとこに突っ込むのか?」
「神もこうおっしゃられています。『見て見ぬふりは不義である』。話を聞きに行きましょう」
オリィはずいずいと倉庫へ歩き出した。俺は慌ててそれに続いた。
倉庫の周辺は、風に飛ばされたらしい白い粉でところどころ白くなっていた。この白い粉がきっと『畝の白粉』なのだろう。倉庫には畝の白粉が目一杯入ってると思しき大袋がいくつも積まれている。その中央に、破けた大袋があった。これがあたりにまき散らされた畝の白粉の大本のようだ。応急処置的に、大きな麻布が被せられているが、それでも少し畝の白粉が漏れている。そのそばには、台車に四本の脚と長い二本の腕を取り付けたような恰好をした、奇妙な物体が佇んでいた。
「ケルス! お前は作業規則を破り、ひとりでゴーレムの運用を行ったうえ、『荷袋の移動に当たって守らなければならない30の手順』の内、3つを省略した。3つもだぞ! 信じられない!」
また、大声が聞こえてきた。倉庫の上の方からだ。ロフトのようになっている部分に、粉まみれになった男女がいた。金縁眼鏡を鼻にかけた優男と、黒髪のポニーテールをした長躯の女性で、両者とも紺色の前掛けをしている。二人は向かい合っており、男の方は床に正座している。
「いやあ、ちょっと動かすだけだし、トネットの手を煩わせることもないかなって思っちゃって……」
ケルスと呼ばれた男は眼鏡を弄った。
「その結果がこれだ。この事故は必然的に起こった。現場管理者としての安全管理意識がまるで欠如している。学院からやり直せ! だいたい―—」
トネットと呼ばれた女は、それからも叱咤を続けた。俺は割り込むタイミングを完全に見失い、もじもじとしていたが、そのうちにオリィが大声で切り込んだ。
「すみません! 大きな音と振動がありましたが、こちらでなにかあったのでしょうか?」
トネットとケルスは一瞬驚いた顔でこちらに振り向き、顔を見合わせた。トネットがしゃがみ込み、二人はこちらに背を向けて頭を寄せ合った。
「まさか、実錬協会の監察員?」
「いや、尼僧と若い男だ。覆面監察員はあんな恰好をしない」
「じゃあなに?」
「わからん。最近流行ってるとかいう冒険者じゃないか。傭兵もどきの」
「ああ、あれか。じゃあ、通りがかっただけ?」
「たぶん」
ひそひそ話をしていた二人は急に笑顔になって立ち上がり、こちらを見た。
「あー、ちょっと白粉で満杯の荷袋が十五メルトンばかりの高さから落下しただけで、なんともないよ」
「そうそう、怪我人も居ない至って軽度なインシデントだ。心配かけてすまなかったが、君たちが気にすることじゃない」
はははと二人は似たような笑みを浮かべた。先ほどまで、険悪な雰囲気だったとは思えない一体感だった。気になって、オリィの方を見てみると、顔をしかめている。あまり納得していなさそうだ。
「……ともかく、大事でなくてよかったです。なにかお手伝いできることはありますか?」
「いや、大丈夫だ。気持ちだけでけっこう」
トネットは首を横に振った。
「ちょっとまった。トネット、白粉の片付けを手伝ってもらった方が良いんじゃない?」
ケルスがそういうと、トネットは信じられないものを見る目でケルスを見た。
「部外者に手伝わせるつもりか?」
「今日は僕たち以外に作業員も居ないから、二人であれを片付けるのは大変だよ。それに、今日中に始末を付けないと、吸湿で面倒なことになるし、明日の配送にも響いてくるし……」
トネットは腕を組んで唸った。
「むぅ……わかった! ええと、そちらの……」
「オリィです。こちらはバシーさんといいます」
「では、オリィさんとバシーさん。すこし手伝ってもらえるだろうか。あの破けた荷袋の中身を別の荷袋に移したいんだ。お礼はちゃんとさせて貰うから」
「バシーさん、よろしいですか」
オリィがこちらに向いていった。
「お、おお。もちろん」
俺は頷いた。正直に言うと、早く宿屋に行って、馬車旅で痛めつけられた自分の尻を労わりたいというのが本音だ。そもそも、俺たちがトネットとケルスを手伝う義理はないように思える。たが、まあオリィがそうしたいと言うならそうしよう。
「じゃあ、まず、こっちの破けた荷袋から―—」
「ありがとう。助かったよ。これで明日の配送もなんとかなりそうだ」
ケルスはいった。四人がかりの作業で、倉庫内はずいぶん片づいた。破けた荷袋に残されていた畝の白粉は、すべて別の荷袋に移し、倉庫の隅に置いてある。畝の白粉で白くなっていた周辺も、あるていど綺麗になった。
「でも、俺たちがやったのは袋を広げるのと掃き掃除くらいでしたけどね」
俺は額に滲んだ汗を袖で拭った。一トンくらいはありそうな荷袋の中身をそっくり移すことができたのは、あの四本の脚の台車、ケルスの言うところのゴーレムあってのことだった。トネットとケルスがゴーレムを使って、破けた荷袋を動かし、俺とオリィが空の荷袋を広げて、その中身を受けたのだ。
「いやいや、それが助かったんだよ。トネットと僕だけじゃゴーレムの操作で手一杯だから」
「あれ、ゴーレムなんですか? 人型には見えないですが」
オリィは首を傾げた。
「僕がつくった新型のゴーレムさ。ゴーレムを人に近づけすぎるのは、倫理面でも安全面でも、問題があるからね。そういった問題を解決した新世代のゴーレムだよ」
「二人で制御するのを一人でやったら安全面もクソもないけどな」
トネットはケルスをにらみつけた。ケルスの顔が一瞬引きつる。
「いひ、悪かったって。もう二度としないよ」
「どうだか」
溜息と共に、トネットは肩をすくめた。
「で、そうそう。お礼の話だけど、きみたち宿探してるんだよね。パルタ市の結構いいところにあるんだよ。良ければ、僕らの家に泊まっていったらどうかな」
「ケルスさんと……トネットさんのお家ですか」
「ああそうだ、ぜひ夕食もごちそうしたい。お風呂もあるから入っていくといい」
トネットはいった。
「どうします。バシーさん」
オリィがこちらを見上げてくる。顔にはやや警戒心が伺えた。
「なんとなくだけど……二人とも悪そうな人間じゃないし、いいと思う。それに、俺はもう風呂に入りたくて堪らない」
俺は首筋を掻いた。いつも、濡らした布で体を拭くのが関の山で、もう、一週間はまともに水浴びもしていない。現代社会に慣れ切った俺にはなかなかにキツい。作業で汗をかいてしまったのもあって、風呂、しかも、衛生的とは言い難い公衆浴場でなく、個人用の風呂に入れるのなら、なんとしてでも入りたいというのが本音だった。
「安心しました。私も同じ気持ちです」
オリィは表情を和らげていった。
「じゃあ、決まりだ。僕たちと一緒に帰ろう」
「馬車など見当りませんが、歩いて帰るんですか?」
「いや、こいつに乗る」
ケルスはゴーレムを指さした。確かに、このゴーレムなら、背に荷物の代わりに人間を乗せることは十分可能だろう。先ほども、畝の白粉の入った荷袋を腕で持ち上げて、台車のような背に乗せていた。しかし……。
「馬より少しだけ速く走れるんだよ。大丈夫、もうゴーレムの操作ミスなんてしないからさ」
ケルスは満面の笑みでいった。俺はその自信満々の姿を見て、逆に不安になった。オリィの方を見てみると、オリィもこちらを見ていた。どうやら、俺たちはまたも同じ気持ちを共有しているようだった。
異世界転移ヒーラーと女僧侶の話 デッドコピーたこはち @mizutako8
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。異世界転移ヒーラーと女僧侶の話の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます