第2話

 荷馬車での旅も二日にもなると、揺れにも慣れてくる。背嚢を抱きかかえるようにして、うつらうつらとしていると、急にあたりが明るくなった。

「森を抜けたようですよ。バシーさん」

 オリィは俺の肩を叩き、荷馬車の進行方向に視線を向けた。俺もその視線の動きに従う。荷物の合間から緑に染まったゆるやかな丘陵が見える。牧草地のようだ。

 牧草地では、二本の角と長い毛が生えてた見たことのない動物が草を食んでいる。水牛かと思ったがどうも違う。

「あのでっかいのはなんだ?」

「おお、あれは大山羊おおやぎですよ!」

 オリィはいった。確かに、山羊を大きくして肉付きをよくしたら、あんな風になりそうだ。大山羊と呼ばれているのも頷ける。

「すごいな、牛みたいだ」

「大山羊は牛より気性が荒く、ときに狼すら撃退します。不機嫌になると人間も襲うので、飼いにくいんです。でも、肉や乳に加えて、毛も取れる優秀な家畜なんですよ。特に、大山羊の乳からつくるチーズは絶品です」

「へえ~」

 俺は大きく頷いた。

 荷馬車がしばらく進むと、今度は畑が見えてきた。こうなると、畑に植えてある作物も気になってくる。見る限り、畑に植えられている作物は二種類だ。隊商が通っている道を境に分かれていた。右に植えてあるのは小麦に似ている。左に植えてあるのはアブラナ科のようだが、それ以上はわからない。

「あっちに植えてあるのはカブで、こっちのは銅麦ですね」

 オリィがゆびさしながらいった。俺の疑問を察してくれたらしい。

「銅麦?」

「秋になると赤銅色の穂を実らせる麦です。肥料はたくさん必要ですが、その分、実りも良いんです。夕日に輝く銅麦畑は、本当に美しいんですよ。いまは夏なのでまだ青々としてますけど」

 俺は、たわわに実った銅麦が、その穂を秋風にそよがせている姿を空想した。この広大な麦畑が、赤銅色に染まるさまは、さぞ見ものだろう。

「うーむ、オリィは博識だなあ」

「ふふふ。これでも昔は村一番の才女と言われてましたからね。大車輪会に入れる僧侶はみな選ばれし者なんですよ。各地の車輪会から優秀な人材が集められるんです。私は大車輪会に入ったあとも、大車輪会の特権を生かして、カクラム中央図書館に入り浸ってましたから、知識量でそう負けるつもりはありません」

 オリィは胸を張っていった。

「一部の禁書も読めるのがありがたかったですね。そのせいでちょっと厄介な目には遭いましたが……」

「追放はちょっとかな……」

「さすがに正式な許可をとって禁書を読んだだけじゃ追放はされませんよ。大車輪会の僧主派に目をつけられたり、嫌がらせを受けたりしただけです」

「僧主派って、大車輪会で一番力を持ってる派閥だって前に言ってなかったっけ」

「そうですが、端的に言えば、大車輪会の権威に縋りつくだけの老人たちの集まりですよ。意に介しません」

 オリィは腕組みしながらいった。気まずくなった俺は、また景色を見た。延々と続く田園の中に、なにやら、レンガつくりの高い塔があるのが目に入った。

「オリィ、あれはなにかな」

「ああ、抽出塔ですね。糞尿から肥料を作るための施設です。伝説的錬金術師、大アプマン師が考案したものです。『畝の白粉』と呼ばれるあの肥料がなければ、とうてい、聖都百万人の食を支えることなどできないでしょうね」

 『畝の白粉』……もしかしたら、窒素肥料のようなものだろうか。この世界は科学技術とは別の技術体系が発達している。『畝の白粉』もその成果の一つなのだろう。

「抽出塔があるってことは、街が近いですよ。肥料つくりには人糞も用いられますから、抽出塔は人里と田園地帯の境に置かれることが多いんです。……ほら! 見えてきました。あれがパルタ市です」

 荷馬車が下り坂に差し掛かって、畑の向こうに街が見えてきた。大きな街だ。円形の街の中心から、放射状に主幹道路が伸びている。オリィの言うところの、車輪型都市というやつだろう。街の外縁に沿うように、大きな弧を描いて川が流れており、船が行き交っているのも見える。

「パルタ市に着いたら、宿を取って休みましょう。それで、明日はちょっと通りへ出てみませんか? 良い菓子屋を知ってるんです」

「カクラムでも有名なくらいの店なの?」

「いえ、私は以前このパルタ市に滞在していたことがあるんです。ひと月ほどですが、良い経験でした。そのときの行きつけの店ですね」

「それで、やっぱりチーズタルト?」

「当然です。チーズタルトは至上の食べ物ですよ。それに、いつかバシーさんに食べられたチーズタルトの分を取り返さなきゃいけませんから」

「ちょ、ちょっと待ってくれ。もう、何週間も前のことじゃないか。勘弁してくれ」

「んふふ、冗談ですよ。バシーさん」

 オリィはいたずらっぽく笑った。

 その瞬間、ドーンという音と共に荷馬車が揺れた。隊商の列が動きを止める。御者がこちらを見て、大丈夫かと問いかけてくる。俺はそれに親指を立てて応えた。

「なにがあったんですか?」

「わからん。でも、あの抽出塔から煙が出てる。なにか爆発したのかもしれん」

 御者はいった。荷馬車から身を乗り出して、外を見てみる。先ほど見えた抽出塔からもくもくと白い煙が立ち込めているのが見えた。

「あれはマズイですね。『畝の白粉』には爆発性があって、火薬の原料にもなるんです。なにか事故が……」

 オリィは荷馬車から飛び降りた。

「ちょっと様子を見てきます! 怪我人がいるかも」

「待て、オリィ! また爆発するかもしれないぞ。近づくんじゃない!」

「バシーさんはそこに居てください。私なら怪我してもバシーさんが治せますから!」

 そういって、オリィは抽出塔の方へ走っていってしまった。

「バカ言うな! 死んだら治せないんだぞ!」

 俺も荷馬車から飛び降りた。俺の力はどんなひどい怪我でも完全に治すことができるが、死人を生き返らせることはできない。オリィもそれを知っているはずだが、自分の身の安全より、怪我人を助けることの方を優先したのだろう。オリィはそういう人間だ。

「俺たちはここまでで! ありがとうございました!」

 御者にそれだけ言って、俺はオリィを追いかけた。抽出塔から立ち上る白煙が、いまの俺にはひどく不気味なものに見えた。

 

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