異世界転移ヒーラーと女僧侶の話
デッドコピーたこはち
第1話
「本当に治るのかね」
肥満体系の中年男——今回の依頼主であるクレクレ・マニマニが不安げにいった。椅子に座ったクレクレの右足の先は親指を中心に黒く変色し、萎びている。素人目にもヤバい病状だ。
クレクレの治療のために通されたこの応接間には、彼の妻であるガメル・マニマニや、使用人たちがいた。みな、心配そうに彼のことを見つめている。壁に掛けられた一角鹿の頭蓋骨の視線すら、なんとなく心許なげに見える。
「もし嘘だったら——」
「しっ、静かに。奇跡を起こすためには極度の集中が必要です」
オリィはクレクレをにらみつけた。クレクレはその鋭い視線に気圧されたようで、口をぐっと一文字に結んだ。オリィは俺と一緒に旅をしている車輪教の僧侶だ。小柄で、ぶかぶかとした黒い僧服を着ている。いつもにこにことしていて、柔らかな雰囲気の女性だが、ときとして驚くほどの気迫を見せる。以前、間違えてオリィの分のチーズタルトを食べてしまったときは、オリィの眼力と無言の圧力に耐えかねて、思わず土下座をしてしまった。
いや、いまはそんなことを考えている場合ではない。雑念を振り払い、俺はクレクレの足先に両手をかざした。クレクレの足先が光に包まれる。クレクレの足先の変色した皮膚と肉が健康的な色艶を取り戻していく。
「腐りかけの足がみるみるうちに……!」
クレクレは息をのんだ。しばらくすると、足先を包んでいた光が消えた。クレクレの足先は、もはや健康そのものだった。
「終わりましたよ」
「す、素晴らしい。これほどとは。」
クレクレは足先を撫で、右足をゆっくりと床の赤い絨毯へ下した。ガメルや使用人たちが歓声をあげる。
「痛みもない。歩ける、歩けるぞ!」
クレクレは部屋の中を歩き回り、ガメルの手を取って踊りだした。
「まさに奇跡! これが聖光! 正真正銘、神の権能の一端です」
オリィはなぜか誇らしげにいった。俺が傷を癒すと、なぜかオリィはいつも決まって誇らしげだ。まあ、俺もこの力は偶然手に入れたものだし、原理もまったくわからず、使えるから使っているだけなので、他人のことは言えないのだが。
「それで、寸志の方はいかほど……?」
オリィは踊るクレクレにさり気なく近づき、耳打ちをした。オリィの身長はクレクレにまったく及ばないので、限界までつま先立ちをしている。
「もちろん、がっぽりと! あなたたちは私の恩人です。本当に感謝します」
クレクレは涙ながらにそう答えた。
クレクレを治療した数時間後、俺とオリィは荷馬車の中にいた。荷馬車は二頭立ての立派なもので、幌もついている。俺たちの周りには、商品を入れていると思しき木箱や、籠が積まれていた。俺やオリィが腰かけているのも、そういった木箱の一つだった。馬車の中はなかなかに揺れる。縦揺れが来るたびに尻が木箱に打ち付けられる。
「隊商の馬車に乗せてもらえるなんて、願ったり叶ったりですね。クレクレ氏の好意に感謝しなければ」
オリィは平然とクレクレに受け取った『寸志』の勘定をしている。オリィの肩まで伸びた栗毛とその頭に巻きつけられた聖布が、一緒に揺れている。オリィ曰く、聖布は神の言葉が刻まれた徳の高い召し物らしいが、俺には鉢巻きにしか見えない。
「隊商には護衛が付いてますから安全ですよ。前みたいに山道で山賊に襲われたりもしません」
「あれは確かに大変だったな……。オリィが目くらましの魔法を使ってくれなかったらどうなってたことやら」
「正しく言えば、目つぶしの
「法光術って魔法となにが違うの?」
「原理は同じですよ。大車輪会は認めようとしませんけど。我々、車輪教の僧侶たちが使う光を操る魔法のことを、法光術と言っているだけです。ただ、法光術はもともと神がもたらした聖光と奇跡を再現しようとしたものなのです。その点で、ほかの魔法とは出自が違いますね」
オリィは俺と話している間も硬貨を数える手を休まずにいた。手元を見てみると、どうやらそろそろ数え終わるようだ。
「ひい、ふう、みい、よお。これで銅貨二十枚、銀貨四枚! 素晴らしい、総額四十二万輪とは! これでしばらくはお金に困ることはありませんね。クレクレ氏に車輪の導きのあらんことを!」
オリィは数え終えた硬貨を巾着袋に入れ、僧服の袖に仕舞った。
「聖職者にしては生臭いなあ」
俺がそういうと、オリィはむっとした表情を浮かべ、首から下げた小さな車輪を弄った。その車輪は、この世界で最も信仰されている宗教、車輪教のイコンだった。
オリィはさも車輪教の正式な僧侶であるかのような振舞いをしているが、実はそうではない。確かに、オリィは車輪教の総本山である大車輪会に所属していた。しかし、「間違った教えを説き、人心を惑わした」として追放されたばかりなのだ。サイズの合っていない僧服と聖布は蚤の市で叩き売りされてた中古品を買ったものだし、オリィが首から下げている車輪のイコンは、彼女自身が木を削って作った手製だ。
「なにをおっしゃいますか!バシーさんが傷を治し、その奉仕の心に感銘を受けた民草が自主的に寸志を渡しているのです。これこそ、慈愛の円環! 健全そのものではありませんか。手品と舌先三寸で金を巻き上げる大車輪会とは違いますよ。バシーさんのそれは本物の聖光です。それに、追放されたことくらいなんですか。私を追放したのはド腐れ大車輪会であって、神ではありません」
オリィはさらに強く車輪のイコンを握った。俺の本当の名前は大橋だが、彼女には発音しづらいらしく、いつもバシーと呼ばれている。
「はあ、四十二万輪はいくらなんでも高すぎるんじゃ……」
四十二万輪といえば、この世界で半年は生きていける大金である。俺はただクレクレの足に手をかざしただけだ。対価としては貰い過ぎだろう。
「神もこうおっしゃられています。『水あるところから水を取れ』。不平の是正は我々神の信徒の使命と言っても良いでしょう。マニマニ家といえば、この国では知らぬ者のないほどの豪商ですよ。少なすぎるくらいです」
オリィは胸を張っていった。俺はため息をついた。ああいえばこう言う。オリィが自分の考えを曲げることは決してない。一度目と二度目の人生を合わせて勘定しても、俺が出会った中でもっとも意志の強い人間がオリィだった。
俺は一度死んだ。大学二年生の春だった。大学構内を移動中に、なにかが降ってきたのは覚えている。なにが落ちてきたかはわからない。たぶん、即死だった。
自分の首の骨が折れる音を聞いた次の瞬間、俺は見知らぬ農村にいた。見たこともない家々、聞いたこともない言葉——なぜか意味はわかるし、喋ることもできる―—に戸惑いながら、この異世界を彷徨っていたとき、オリィに出会った。そのとき、偶発的に「手をかざした相手の怪我を治す」という力を与えられていることを知った。以来、俺たちは一緒に旅をしている。
「聖都カクラムまであと少しですよ。いよいよですね。あと、街をいくつか越えるだけです。聖都には、一流の研究者たちがいます。魔法や奇跡について詳しい彼らであれば、バシーさんが元の世界に戻る手立てを見つけられるかもしれません」
オリィはいった。異世界から来たという俺の言葉を、オリィはあっさりと信じていた。そのうえ、共に聖都へ行くことを提案してくれたのだった。
「オリィはカクラムへ大車輪会に追放の申し立てをしに行くんだよな?」
「申し立てだけではありませんけどね。その他にも文句を言わなければならないことがあります」
「それって……大丈夫なのか?」
大車輪会は自分たちが背教者や異教徒と認めた人々に対して容赦がない。オリィもそれでひどい目にあっている。オリィが追放の申し立てをしたとして、大人しく聞き入れる連中とは思えない。
「大丈夫ですよ。私には、私に対する追放が間違っていると証明する備えがあります」
「いつも書いてるやつか?」
「はい、そうです。順調にいけば聖都に着くころまでには書きあがります」
オリィは懐の巻物をちらりと見せた。旅の間、隙あらばなにやら熱心に書き綴っていた巻物だ。私的な内容も含むので、といって俺には内容を見せてはくれない。オリィが『申し立て書』と呼ぶそれは、オリィ自身の血で書かれた血書である。内容を知らずとも、ただならぬ気配を感じる。
「別に大車輪会にオリィが正式な車輪教の尼僧だって認めてもらわなくてもいいんじゃないか? いまだって問題なくやれてるわけだし。さっき、腐れ大車輪会に追放されたことくらいなんだって言ってただろ」
オリィは一度顔を伏せ、顔をあげた。オリイの面持ちは決意に満ちたものに変わっていた。
「……私は私の身分のためだけに申し立て書を書いているわけではありません。不正義は正すべきなのです。なんとしてでも」
「そうか」
俺がなにを言おうと、オリィの意志を曲げることはできない。それは知っている。だが、俺は彼女が心配だった。俺にはオリィの申し立てが上手くいくことを祈るくらいしか、もうできなかった。
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