世界の向こう側は水色(XR短編シリーズ)
冬寂ましろ
世界の向こう側は水色
「…僕と一緒に空を飛んでくれませんか?」
最初にそう言われたとき、何言ってんだこいつは…と私は思った。
学校の教室で窓から青空を眺めていたら、そんなことを隣の席の山下くんに言われた。これまで話したこともないし、なんかキョドっているし、みんないないものとして扱っているような人で、あやしさ満点ではあったけれど、逃げ出さずに話を聞くだけのことはしてあげた。もう同じように透明になった私には、お似合いなのかもしれない。そのことに私は下をうつむく。
そうしていま、真夏の日差しが降り注ぐ学校の屋上で汗を流している。
「ねえ、ちょっと暑いんだけど…」
彼はもくもくと何かを組み立てていた。それは、なんかこうずんぐりした白黒のペンギンがちょっと大きい羽を広げたように見えた。
「これで飛ぶの?」
「飛ぶけど、飛びません」
「ん? どういうこと?」
「これ普通のドローンと違って、プロペラじゃなく、人工筋肉と翼ではばたいて空を飛ぶんです」
「ふーん、よくわからないけど、まあ…」
「これ被ってください」
「ゴーグル? あ、ちょっ、ちょっと…」
彼が私にゴーグルを被せてくる。あんまり慣れていないせいかベルトに髪を巻き込んでしまう。私は「むう」と言いながら手を添えてそれを直す。ゴーグルは親たちが使っていたのよりは、小さくなってカッコよくなっているが、うっとおしいことには変わりがない。
「これで空を飛ぶの? ちっちゃい頃、CGでできたインチキの街を飛ぶのをやったことあるよ?」
「ちょっと違います。いまリンクさせますから…」
彼がそういったとたん、ゴーグルに屋上の景色が映った。視点がだいぶ低い。コンクリのタイルが間近に見える。あのペンギンもどきが見ている景色だと気がつく。
「ごめんなさい。首筋がちょっとヒヤっとします」
彼の手が首に触れる。そのあと首のあたりに覆いかぶされるように何かが張り付けられた。たしかにちょっと冷たく感じる。なんだろ、これ。私は少し不安になって聞く。
「ねえ、これなに?」
「首筋の神経をバイアスするトロードです。あんまり一般には出回ってないんですが、借りれました」
「借りた?」
「やりたいことをネットでつぶやいてたら小野仙台研究所の人が面白く思ってくれて…。って、そういう話じゃないですよね、ごめんなさい!」
「いや、まあ…。これで何をさせたいわけ?」
「仮想現実、拡張現実、そして身体拡張現実、みんな合わせてXRと言います。こうしたいまある技術を組み合わせて、空を飛んでみようと思って」
私にはぜんぜんわからない単語だった。だいたいこれでどう空を飛べるのだろう。
ただ…。
私がずっと見上げていたそれのそばに行けるのは、ちょっと興味があった。
「ひとつ聞いていい?」
「なんでしょう?」
「なんで私なの?」
「なんでと言われると…。うーん。学校にいると、いつも空を見上げているのを見てて…」
「そんなに空見てた?」
「は、はい」
「そっか」
「あ、あと、僕、高所恐怖症で」
「ぷふ、なにそれ」
「だって怖いんですよ! この屋上だって下を見たらゾワってしちゃって!」
必死に言う姿がなんかかわいい。じゃ、なんで空を飛びたいなんて思ったんだろ。まあ悪い人ではないな。私は少し面白くなってきて、彼に聞く。
「で、どうすればいい?」
「背中触ります」
「いいけど…」
「触っている感じ、わかります?」
「うん」
「そこに羽が生えてると思ってください」
「ええー、ちょっとむずかしいな…」
「触っているところに意識を集中して。そこから大きな羽が生えていることを想像して」
「うん…」
それはどんな羽だろう。白鳥のような白い羽。私の背中から生えたそれは大きくて屋上からはみ出すぐらいあって。いま、その羽をせいいっぱい空に伸ばし、下へと打ち下ろす。
そう思ったら、ゴーグル越しの世界が揺らいだ。
「動いた!」
「そのまま。もっと大きく力強く羽ばたいて!」
彼がぽんと私の背中を押す。私は想像した羽をめいっぱい何度も動かす。背中がもぞもぞする感覚といっしょに上へ上へと飛び出していった。
「うわぁ。飛んでる!」
大きくはばたいたペンギンは、あっという間にフェンスの檻を越え、青く大きな空へと上がっていった。下を見れば、もう学校はちっぽけに見えた。
透き通った夏空が私を包んでいく。耳元には風がささやく声がする。少しくすぐったい。
「遅延なさそうですね。この仕組みにしてよかった。H.266/VVCと7Gの組み合わせなら、ストリーミング動画と一緒に神経信号も送れると思ったらやっぱり…」
彼が言う意味がわからない単語を横で聞きながら、はばたくのを止めて体を捻る。世界がくるくるまわりながら近づいてくる。
あはは。何これ。何もかもが気持ちいい。
強く吹き上がる風を体で感じた。それを翼で捕まえると、遠くの青空へ勢いよく放り出された。思わず目をつむる。
ぐるぐるぐるーの、ぱっ!
わあ!
目を開ければ、きらきらしたどこまでも広くて深くて透き通った空があった。
そこには私がずっと見上げてたものも浮かんでた。はばたく大きなエイ、嬉しそうに泳ぐイルカたち、群れを成す銀色の魚…。そして、あれは…。
キンコーン…。
予鈴が鳴る。
「お昼終わっちゃいましたね。戻りましょうか…」
私のそばで残念そうに彼が言う。私は羽をしょんぼりと動かすと、学校の屋上へと体を向けた。戻りたくないな…。
羽をばたつかせながら自分の分身を屋上に降りたたせる。
汗を飛び散らせながらゴーグルを外した。世界はいつも見ているつまらない姿になった。
「楽しかったですか?」
彼が自信なさそうに聞いてくる。私はそんな彼を見ずにまっすぐ話す。
「私…、私ね」
「はい?」
「見えるんだ、空に魚が」
「え?」
「さっきも見えた。一緒に泳ぐように飛んでた」
「それって…」
「去年お母さんが死んでからずっと見えるんだ。わかってるよ、幻だって。ありえないって…。でもそのことを話したら、みかちーもしばちんも私から離れていって。私のことわからないって言われた。それからひとりで見てた。空を。ずっと」
「…」
「ねえ、なんで、私ひとりなの?そんなにおかしいことなの?なんでダメなの?なんで、なんでっ!!」
泣くもんか。泣いたら悔すぎる。でも溢れた感情と一緒に涙がじわじわ流れてしまう。
「かわいそう!!」
「へぁ!?」
彼が私の両手を強く握りしめて強く言う。そうか私、かわいそうだったんだ…。
でも…。
私は彼の手を逃げるように離した。
「ありがとう…。でも、もう戻ったほうがいいよ。君まで不思議ちゃんと言われるから。いまなら普通に戻れるから」
「…戻らなくていいです」
「でも…」
「学校サボろう!!」
「は?何言って」
私が離した手を彼はまた握り返す。その手に引っ張られて、そのまま学校を飛び出した。
連れてこられたのは学校の裏山にある別所坂公園。そこは高台にあって、私がいる街を見渡せられた。…のだけど。
「なにこれ…。ペンギンだらけ…。砂場にもいるよ…」
「1000個あります」
「ええ…」
軽くひいた。そんなことおかまいなしに彼は私にゴーグルをぐいっと渡す。
「身体拡張はこれが真骨頂です。みんな同時に飛ばすことができるんです」
「ぶつかったり、こんがらないの?」
「そこはサポートするアルゴリズムがあるけれど、まあ、慣れですね…」
「慣れ…。大丈夫? どっかに落ちたりしない?」
「…たぶん」
「もう。じゃあさ」
「はい?」
「一緒に飛ぼうよ」
「それは…、ちょっと…怖いし…」
「一緒に空飛ぶって言ったんじゃん」
「それは…、あ、ちょっと!」
「なんだ、ほらあるじゃん、予備のゴーグル」
私はゴーグルを突き出し、彼にいたずらっぽく笑いかける。
「ね、飛ぼ?」
「…はい」
彼がそばにあったケータイをいじりだす。
「設定を変えて、群れを半分に分けます。片方は任せます」
「うん、わかった」
彼と私がゴーグルを被る。すぐにペンギンたちの何百という目が私の2つしかない目に重なっていく。
「うわ。目が回りそう」
「意識をスポットライトのように感じてください。全体をぼんやりと感じながら見たいところにだけスポットライトを当てるように…」
彼のレクチャーを聞きながら感覚をつかんでいく。自分には本来ない、たくさんある感覚に意外と慣れてきた。もう元から生えてるような。人間って不思議。
「なんとかなりそう。私、先に行くね」
「あっ、はいっ」
私はいくつもある翼を背中に感じていた。それをばさりばさりと動かすように意識すると、何百というペンギンの群れが、次々と青空へ飛び立つ。私の手先、足先、全部の感覚が、ペンギン1つ1つに変わり、そして私の中へとまざっていく。それらが、何百メートルもあるひとつの大きな生物へと私を変えていく。
「すごーい」
「あ、ちょっ…、こわっ」
ふわりと体全部を傾けて下を見たら、彼が飛び出したのが見えた。ペンギンの群れが、家々をかすめるようによちよちと飛んでいる。
「もう」
私はリアルのほうの手を動かし、手探りで彼の手を探す。
「ほら、怖くないから」
「ちょ、ちょっと…」
少し冷たい彼の手を握る。
「大丈夫だって。踊ろうよ!」
「なにを…、わっ」
手を握りしめてその場で少し回る。それに合わせるように大空のにいる体もくるりとまわり、空と地上が入れ替わる。太陽がキラキラと何百もある私の分身を照らしていく。
しばらくそうしていたら、彼の手が温かくなってきた。少し慣れてきたのだろう。私は彼の手をひっぱり、もっと上へとうながす。彼が動かしているペンギンの群れが空へと上がっていく。それをたくさんある目で同時に見て、たくさんの体で感じた。
大丈夫そう。良かった。彼と私は一緒に吹き上がる風をえいっとつかむ。そうしたらふわりと気持ちよく浮かんだ。海の波に合わせて飛び上がったときに感じるそんな浮遊感。
それに身をゆだねていたら、私と彼のペンギンの群れが重なった。感じていた大きな体が混じり合う。自分の体に半透明な彼の体がいる不思議な感覚。そのままふたりで空の上を何度も回り飛び跳ねる。
ちょっとなにこれ。めちゃ楽しい。
ふんふんふふんー。
なんだか気持ちよくて適当な歌を歌いだしてしまった。彼はそんな私を感じてちょっと笑う。
「よかった、君を空に飛ばせることができて。いつもさみしそうだったから」
「なにそれ、ウケる」
見てたんだ。そっか。
心の中がちょっとにやけた。
私は少し照れながら聞いた。
「どう気分?」
「楽しいです。すごく!」
学校が見える。みんな不思議そうに私たちを見上げていた。
商店街が見える。抱えられた赤ちゃんが私たちを指さす。
駅が見える。不安そうな背広の人が私たちを見て明るい顔になる。
高いビルの吹き上がる風。それに当たると体は散り散りとなり、空はペンギンでいっぱいになる。
私たちは空になった。
見上げてばかりで、手が届かなかったみんなが。あのみんなが私たちの空を泳いでいる。
私は彼の手を握る。彼が私に一歩近づく。
「これからは、僕も君といっしょにこの世界を見ます」
「もう普通に戻れないんだよ?」
「戻れなくてもいい。うん。僕は君の手を繋いでいたいんだ」
私から水があふれだす。そこでは、大きなエイがはばたき、イルカたちは嬉しそうに泳ぎだし、銀色の魚たちが群れを成し、ペンギンは飛ぶように泳ぐ。みんなが私たちの世界をいっぱいにし、ふたりのまわりは静かにやさしく水色に染まっていく。
---------------------------------------------------------------------------------------------
あ・と・が・き
スカっとした夏っぽい話を書きたいなあ…と思ってたのでした。
空、飛びたいですね。
推奨BGM
ねごと「アシンメントリ」
L'Arc-en-Ciel「NEO UNIVERSE」
ウォルピスカーター「オーバーシーズ・ハイウェイ」
世界の向こう側は水色(XR短編シリーズ) 冬寂ましろ @toujakumasiro
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます