血液依存

アキ

血液依存

 二〇〇八年、夏。

 僕が高校生だったころの話だ。




 遠い県で同級生の眼をカッターナイフで刺したらしいマイコは、ここにも噂が伝わっていつの間にか居なくなった。

 母子家庭で育ち恐喝の常習犯だったリュウは、少年院を出てきたら入れ違いで母が刑務所に入って結局独りだった。

 他県で拾った女達を夜に沈めて稼いでいたカズマは、大きいどこかに目を着けられたと小さく呟いた後どうなったか知らない。



 港に隣り合う大きい公園内には舗装されたグラウンドがあり、夜な夜なスケボーやダンスに興じる集団があった。街灯はちらほらあったが僕らみたいな子ども達にとっては総じてショボく、どこからか期限切れの発煙筒を山ほど集めてきて、花火のような閃光を吹き出すそれを照明とした。

 たびたび自転車の防犯登録を確認するという名目で白黒の大人が巡回して来た。そいつらの姿が見えるや、僕らは速やかに禁制品を一斉に草むらへ投げ込み、涼しい顔をしているのだった。白黒の車もしまいには顔なじみの世話が面倒になって、僕らに時間の猶予を与えるようにごくゆっくりと入ってくる暗黙の了解ができていた。





 国道沿いにある警察署前を逆走する意味不明な遊び。中卒土方の走行距離二十二万キロのセルシオは、常にレギュラー現金千円分だった。そのまた先輩だとか知り合いの煙たい部屋で時代遅れの格ゲー、麻雀はアリアリで、ドベはコンビニで銭形警部をやらされ、千点棒に代えて煙草でリーチをかけてもよいルール。あるいは入れ替わり立ち替わり男女一組で炬燵の中に潜り込んでゆく。



「人生捨てた」が口癖のスキンヘッドがスーパーで万引きしてきたスミノフや紙パックのアル中御用達みたいな焼酎のコーラ割りを食らう。キャバ嬢みたいな格好の小太りはプリクラを貼った履歴書をアルバイトの面接に持っていき、顔面差別で落とされたと怒っていた。

 いかにして楽に大きく稼ぐか。アングラな会議の結論は毎回メンバーが違うはずなのにいつもツツモタセで、そのうちに東の空が白みはじめ、吉野家に行こうと誰かが言い始めるが結局いつの間にか全員がそのまま眠る。





 ユウキと初めて会ったのは何故だったか憶えていない。

 知らない誰かを誰かが連れてきて、彼ら彼女らからすれば僕もその誰かだった。いつも名前や人となりは後から着いてきて、しかも等しく意味が無い。

 そんな無為な流れの中に、たまたま僕とユウキも共に在っただけだ。





 わずかに舞う埃がカーテンの隙間から差し込む昼の陽の境界を鮮明にしていた。昨夜から寒いくらいエアコンが効いている。起きているのか寝ているのか分からないまま、その向こう側の木板造りの壁をぼんやり見つめて、なんとなく節の数を数えていく。二十あたりで面倒臭くなり、僕の胸のあたり、ユウキの首筋の横をくすぐる。塞がりかけたピアスの穴。ふ、と息をついて彼が寝たふりから目醒める。

 テーブルの上には僕の眼鏡と灰皿がわりの空き缶に、剣山のように隙間なく刺さった吸い殻の山。と、樹脂製の小瓶が転がっている。当時合法だったラッシュは、僕には効かなかった。本物かどうか確かめる術も無い。





 時間がとても長く感じられて、身体を起こしてユウキのセブンスターを一本借りた。

 彼の長い茶髪と濡れた黒目がちな眼がすり寄って、僕を長い時間に引き戻そうとする。猫をあやすように身体中を撫でると、時々わざとらしく小さい声を上げる。

 ここにいるのは二人だけだが、ここは僕の部屋でもユウキの部屋でもない。火種を潰してから僕は立ち上がった。

「帰るわ。送って」

「どこへ、」

「向こうのほう」

「何それ。イミフ」



 ユウキのスクーターの後ろに乗せてもらい、自分の通う高校まで。原付なのにメットはちゃんと二つあったのが可笑しい。

 片側三車線の大きな橋の上で白黒の車とすれ違った。すぐさま不穏な赤いライトを回し、速度を上げて転回を始めたから、僕らはコースを変えて細い土手周りに滑り込んだ。二人の髪がたなびき、右手に見える川面は眩しく光り、ぬるいはずの風は気まぐれに冷たくなる。

 彼と校門前で軽くキスして別れ、僕はガムを噛みながら五時限目のチャイムと共に教室に入った。

 カーネル・サンダースと瓜二つの担任が無表情で、おそよう、とだけ言って数学の授業を始める。





 夜はまた一緒にいることを約束させられた。十九時に落ち合って夕飯を一緒にとる。

 ときおり髪を分けながらハンバーグをつつくユウキの細く白い手首に何本かの傷を見つけたが、僕は何も言わなかった。

 ファミレスを出たあと、なんとなく港沿いの不埒な公園に行く。夏の盛りを過ぎた今も日が長く、まだ夕方のように明るい。

「向こうのグラウンドでいつもダンスやってる」

「踊れるの?見たーい」

 適当な作りの傾いたアスレチックに二人で座っていたら、ふざけて背中にユウキが抱きついてくる。

 顔立ちも格好も華奢な少女みたいな彼だけど、身体はしっとりと硬い。

「ね、アキちゃん。舐めていい?」



 翌日は自分なりに頑張って早起きし、見事昼休みに登校できた。駐輪場で一服してから教室に入ると、同じクラスの眉毛が半分無い女子が話しかけてくる。

「なー、きのう誰かいたよね」

「彼女」

「うっそ、また?ウケる。どうした受験生」

 前期の校内模試では、文系の首位は僕だった。全体のレベルが低いこんな高校ではまったく自慢にならない。

「お前の眉毛海に浮いてたよ」

「は。黙れし」

 眉毛が俯き加減に少し癖のある髪をいじり始め、口ごもる。

「てかさー、結構可愛かったよね。しかもあそこでアレやるなよって」

「ちゃっかり見てんなよ」

「なー、どこの人?」

「知らん。興味ないわ」





 エアコンの効き過ぎたアパートで、僕は立ち上がり、冷蔵庫からローションを取り出す。小皿に移してレンジで十数秒、ユウキが火傷しない程度に温める。

「暖かい方がいいんだろ」

「うん。アキちゃんも舐めて…」

 それをしたあと、ユウキは少しずつ狂気を孕む。

 彼には両親がいなかった。

 手首の傷を見たときに、最初、思春期にありがちな自己主張の残滓だと思った。でも後からそれは間違いだったことに気づく。

 彼は、しきりに僕の血を飲みたがるようになっていた。





 目立たないように上腕の内側に包丁を引いた。ユウキは僕の脇腹に絡み、僕が彼のために新しい傷をつけるところを息を荒くして見つめていた。


 ひとときのあと、弾けるように夢中で傷に吸い付きながら眼を潤ませるユウキに僕は尋ねる。

「美味しい?それ」


 ユウキは首を横に振った。

「一緒に生きる、って感じがする」


「そう、」


 僅かに黙ったあと、僕は少し勇気を出して言った。

「血じゃなくて、生きればいいんじゃない」


 ユウキがまた首を横に振り、微笑んで眼を瞑った。

「嘘ばっかり」


 そのときから今日まで、僕は彼に血をあげた事を後悔したことはない。

 そして僕は二度とユウキと会う事はなかった。





 珍しく朝から登校した日、イビキやら叫び声でざわつく教室でまた眉毛女が話しかけてきた。眉毛が三分の二くらいになっている。

「なー、あの子は?」

「やめた」

「は?やめたとかウケる」

「眉毛生やせ」

「やっと大学行く気になったか」

「おう」

 カーネル・サンダースが教室に入るなり僕を見て驚愕の声をあげた。



 季節が変わったころ、ユウキと夢の中で会った。

 眼球のないユウキはどこを見ているか分からないまま、ただ黙って立っていた。

 夢から醒めた朝、僕は何となく一度だけユウキに電話をかけた。

 彼はすでに、僕がいるところとは違う世界に足を踏み入れた後だった。






【了】










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血液依存 アキ @aki_aki5

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