6.出立の準備は入念に

「貴方の勝ちよ、アニス」


 ハァ、と深いため息を露わに、カタリィは恨めしげにアニスを見詰めた。


「この前までのお行儀の良い貴方ではないことがよく分かりました。どうぞ、席に着いて頂戴」


 侯爵夫人としては破格の譲歩。アニスは「受けるかどうかは別です」と断わった上で、再び向かいの席に着いた。カタリィは手の甲を顎に当て、ソファの背もたれに頬杖をつく格好で仰け反った。脚はドレスの中で行儀悪く組んで。

 空気が変わった。


「まず目的の共有ね。……貴方が謁見の場で大立ち回りをした末、侯爵家を飛び出したのは、マラバに行きジャノルド殿下を探し出して連れ戻すため。相違ないわね?」


 相手の砕けた口調に、アニスは気圧されぬよう薄く笑いを浮かべた。


「そうです。まぁあのバカ殿下を二、三発殴って不敬罪を重ねるつもりですが」

「既に王との謁見の場で不敬罪を働いた人が今更何を言うの。どうせなら殿下にはわたくしの分も追加しておいて頂戴、二発でいいわ」


 フン、とアニスは鼻を鳴らした。「それで?」既に三度口にした問い。

 カタリィは唇に僅かな苦さを浮かべて話し始めた。


「ラベリ家はマラバとの和睦を望みます。それがどんな犠牲や代償を払う物としても……勿論、貴方が第二王女に婿入りすることでそれが成るのならそれもアリよ」

「それなら話は終わりですね」


 アニスは立ち上がりかける。


「僕はもうヘレンゲル家のアニスではありませんから」

「そうね。でも貴方の大切な友人がマラバの王族に囚われているとしたら、どう?」

「何だって?」

「掛けなさい、アニス」


 有無を言わせぬ口調と内容に、眉を跳ね上げた。


「もし貴方が国内に殿下を連れ戻そうとするなら、マラバの王宮に入り込む正当な理由が必要になるわ。充分な身分もね……。どうです、わたくしの話を聞く気になりましたね?」



 ◇



 カタリィとの会談から四日――アニスの乗る馬車は西国マラバ国境沿いの砦、ダイールの関所に到着した。


「さすがに国境は物々しいですねぇ! ほら軍の士官があんなに……。でもまぁ、さんがいらっしゃるので大丈夫ですね!」


 素直で柔和な笑みを向けられ、アニスは気まずさに目を伏せた。低く答える。


「力尽くでも通りましょう。それよりもハミル殿……僕のことはヴィンスと呼び捨てに」

「そんな訳にはいきませんよ! 軍の方で、しかも年上なんですから。ヴィンスさんこそ、どうぞハミルと」


 にっこり。裏のない若草色の瞳にアニスは「そうですか……ではハミルと呼びます」と答えるしかなかった。


(緊張感がない……)


 馬車は今、いきり立つ士官の誘導で移動中。しかしこのハミルの穏やかさによって、車内はどうも締まらない雰囲気だ。


 カタリィとの交渉の末、マラバ行きの随伴は侍従が一名ドゥオ、ラベリ家から侍女が三名、そしてラベリ家の遠縁と紹介されたハミル=スタナで総勢六名という大所帯となった。前の馬車にはアニスとハミル、ドゥオの男性陣。後には侍女と彼らの荷物が続く。

 いかにも物見遊山のお坊ちゃん行列といった風情を装っている。


「さて、通してくれるといいのですが」

「そうだな」


 ドゥオがボソリと呟き、アニスも同調する。

 砦の跳ね上げ橋を渡る前から、厳重な警備が見てとれた。入り口国境線には厳重な格子が壁となっており、うろつく士官の数もおびただしい。

 国内における国境の出入りに関わる通達は一切なく、マラバへの出入りは自由のはずだったが――。


「冬の間は越境を認められていない。即刻立ち去れ」


 如何にも若い士官の物言いに、馬車の中では静かに視線が交された。

 示し合わせた通り、侍従のドゥオが馬車を降りてラベリ家の封蝋書簡を差し出した。しかし士官はそれをちらりと見たばかりで通り一辺倒の声を張った。


「そんなもの、王からの許可を得た者でなければ」

「おい、バカ! その書簡ラベリ侯爵家だぞ……しょ、少々お待ち下さい!」


 話の通じない相手にアニスは腰を浮かしかけたが、詰所の中から慌てて別の士官が顔を出した。ドゥオの手から書簡を受け取り、駆けだしていく。


「……どうやら、少しは話を聞いてもらえそうですね」


 さすがのハミルも詰めていた息を吐いた。外を気にする彼の姿は無害そうな青年そのもので、成人しているとはいえ若さが際立つ。

 同乗していたアニスはその声に「そうですね」と油断なく座り直した。


(素直すぎて……少々、頼りなく見える。一体どんな人物なのか)


 彼が無表情に向かいの青年を眺めていると、外がやにわに騒がしくなった。

「王都から謀反人の捕縛命令も出てるんだ」「事によっては全員顔を見せてもらうことになる」「侯爵だろうと関係ないぞ」

 書簡だけでは通じないようだと察した折、外から三度、はっきりとドアが叩かれた。アニスを呼ぶ合図だ。


「ハミルさま、話をしてきます。少しお待ちを」

「はい。……アニスさんに幸運を」


 ハミルが腰を上げ、アニスに握手を求めた。やけに重々しい激励だと思いはすれど、彼は「感謝します」と口の端を上げておく。

 ――アニスが馬車を降りると同時、もう一台の馬車からピケともうひとりの侍女が姿を現わし、ハミルの馬車へと乗り替えた。坊ちゃん役をひとりにするわけにはいかないからだろう。

 彼はピケに「頼む」と声を掛け、ドゥオを伴って詰所へと向かう。馬車を囲んでいた士官たちがアニスの出で立ちに目を白黒させるのが分かった。


「クロド副将殿は中か」

「おいっ……あ、いえ、あなたさまは……?」

「知り合いだ、入らせてもらう。案内を」


 視線だけで令をしめす彼に、士官は「こちらです」と従った。どこぞの将校かと冷や汗を垂らしながら。

 なぜならホセ国正規の軍服を纏うアニスは、無骨で冷え冷えとした砦の中でも光を集めたように目立ったからだ。


 ドゥオは一応、目立ちすぎる格好に控えめな否やを申したが、美に従順な侍女がそれを許すはずもなかった。(なんなら旅の同行も無理やり着いてきた。)

 結果としてあるじ役のハミルよりも煌びやかになってしまったのだが、ハミルも「お似合いです」と無邪気に喜んだのだから、誰も止めようがなくなったのだ。


 通路の真ん中を堂々たる闊歩のアニスに、道を譲らないものは現われなかった。

 ドゥオが拍子抜けするほど、彼らは副将の詰める執務室へと辿り着いた。そしてノックに応じる声と同時、アニスは真っ先に入室した。


「誰だ、貴様は……!」


 迎えた剣呑な視線に、アニスは涼しい眼差しを返した。


「僕だ、クロド副将。見忘れたか? ジャンよりは洞察力があると思っていたが」

「ジャン、だと……?」


 執務椅子から憤然と立ち上がったクロド副将は、王太子殿下を愛称で呼ぶ見慣れぬ男を咄嗟、睨みつけた。

 だが短くも珍しい銀髪そして琥珀色の瞳を検分し、遂にあんぐりと口を開けた。


「まさか、……いやしかし貴方は」

「ドゥオ、ドアを」


 ドアの外で様子を窺っていた士官を抜かりなく締め出し、アニスは口の端を上げた。


「クロド、七年ぶりだ。最後はジャンの任命式だったか」

「……こりゃ、近衛がいくら血眼になっても見つからない訳が分かったぞ」

「フン、節穴しかいないんだろう」


 腕を組んだアニスを、それこそ穴が空くほど見つめたクロドは太い眉を寄せた。


「謀反の次は関所破りですか? 殿下ならともかくアニスさまがそんな狼藉を……」

「あぁ、その通りだ。悪いがどうしてもマラバに行きたい。だから正面突破しに来た」

「冗談じゃ……ないのかよ」


 頭が痛い、と呻いたクロドはジャンよりも大柄な男だった。頬に刀傷のある、迫力のある顔面は軍を列ねる実力を滲ませていた。しかし彼はアニスの前に慎重に歩を進め、「とにかく話を聞きましょう」とやはり無骨なソファを示した。

 アニスが「感謝する」と笑みを浮かべると、熊のような男がつられたように体を揺すった。


「貴方ひとり捕まえるのなんて、ここでは簡単ですから」

「同感だ。副将がクロドでなければ、穏便に済ます気にはならなかった」

「はぁ。そりゃ俺のせいにされてもなぁ。でもまさか殿下の『アニー』がこんな男みたいな格好で……」

「だから……アニーはやめてくれ」


 苦り切ったアニスの顔に、クロドはハハハ! と堪らず笑った。


 


 ではご武運を。

 マラバへ抜ける格子門が軋みを上げて持ち上がった。士官たちが門前に立ち、得物を構えて周囲を警戒している。


 ――アニスの話を聞いたクロドは、「そういうことなら」と、あっさり出国を見て見ぬ振りすると約束した。是非ともジャンを見つけてくれ、と。


「未だマラバとの交戦はありません。だが貴方が考えるよりホセとの情勢はよくない。もしホセ国の者と知られれば、街中でも危険が及ぶ可能性がある。どこにでも過激派がいるもんです。それに、マラバの都へ抜ける荒野では盗賊や夜盗が出るとも聞きます。あっちについたら品のない護衛を増やした方がいい」

「肝に銘じるよ。僕ももう随分と鍛錬してないからね」

「ホントに大丈夫ですかい……軍の馬をお使い下さい。少しは役に立つでしょう」


 歩哨に馬の用意を叫ぶと、クロドは更に言った。国境を閉じていた重い格子が僅かずつ上がっていく。鎖を巻く音でお互いに大声を出した。


「それに出国は目を瞑りましたが、入国は無理です」

「それは理解している、ありがとうクロド。君が副将でよかった」

「……はぁ。殿下の相棒に頼まれちゃ、断れませんて。それに貴方が謀反と聞いて初めは心配しましたが……」

「なんだ?」


 長いことジャンのお目付役だったクロドは、アニスとも付き合いが長い。何か小言かと、彼は目を細めた。


「なんつーかな……頼もしいと言うか、ちょっとゆるくなりましたね」

「ゆる?」

「いえ忘れて下さい。褒めたつもりなんです。……将軍に会ったら、すぐ戻って来てほしいと伝えて下さい。待っていると」


 アニスは強く肯いた。


「そうしよう。あのバカの耳を引きちぎれるくらい引っ張ってでも連れて来る」

「ハハハ!……そりゃ貴方にしかできない! 楽しみですよ、元気に喚く殿下との再会が。あ、それからクロドが慣れない書類仕事なんざ、もう真っ平だって言ってたことも伝えて下さい。でないと、殿下の秘蔵の酒を飲み干しちまいますよってね」


 わはは、と囲む士官たちも笑い出した。


(ジャンは慕われていたようだ)


「さぁ、開けきる前に馬車へ。頼みましたよ、アニスさま」


 ――そうして感傷に浸りかけた彼は、吹きすさぶ寒風に身を引き締め馬車に乗り込んだ。

 同乗者はいつの間にか侍女ふたりとハミル。ドゥオは暖かなそうな外套を着て御者席で手綱を握っていた。


「お待たせしました、ハミル殿。話がつきましたので、出立します」

「……はい」


 そのしおらしい声にかすか違和感を持ったものの、ハミルは熱心に窓の外を見ていて、こちらを振り向きもしない。

 ガタン、と車輪が動き出した。

 門を通り抜けると、そこは下草の短い荒れ地が広がっていた。おざなりな石畳が馬車の行く先を教えている。


 ――アニスがふと振り返れば、国境門は直ぐさま閉じられて、彼らの帰る道はもはやなくなっていた。

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