第41話

 エッセイのタイトルには、前にレポートの題材に悩んでいたときに使おうと思った和歌の初句を引用した。

 夢から覚めたくなかったと、悲しみ嘆く女性の歌。


 出来上がったエッセイはたしかに、私の夢の塊のようだった。

 ここしばらく、ずっと見続けてきた彼の夢。それが本当の彼だったのかはわからないけれど、私にとってはこれが、今わかる全てだ。


 歌を詠んだ女性と私と、違うところは。

 もちろん、私が夢の続きなんて望んでいないところ。

 夢の続きなんて要らない。

 むしろこれを機に、夢なんて覚めてやれって感じ。


 メールにファイルを添付して、送信ボタンをポチッとな。


 いつの間にか日が暮れていて、いつの間にか日付が変わっていた。

 それでも締切前日に原稿を提出できるとは、なんて優秀なんだろう。

 そのままパソコンの電源を切って、寝る支度を始める。もしかしたら編集長の花園先輩から何か返信が来るかもしれないけれど、書いたばかりのエッセイの感想なんて、恐ろしくて見たくないから、見ない。これは決して、面倒くさいからではない。


 サクにはエッセイが完成した旨を電話で伝えた。テキトーな会話だけで済ませてしまった朝の恨みか、ちょっと不機嫌だったけれど、もういつでも来ていいよっていったら嬉しそうだった。

 本当にすぐにでも来そうだったので、今は深夜だと言って丁重にお断りしたところ、また不機嫌になったけど。

 そもそも、こっちに来る電車がもうないくせに。


『で、結局なに書いたんだよ』


「え? ええと」


 どうしようなんて答えよう。そもそも前に聞かれたときにはなんて言って誤魔化したんだっけ? あれ、もう誤魔化す必要もないんだっけ?


「ええと、一読者さまは、発刊後にお読みください」


『はあ? ここまで来て隠すことないだろ、どうせすぐ読むって』


「どうせすぐ読むんだから今じゃなくったっていいでしょ。ほら、私、もう疲れたの。おやすみー!」


 結局また中途半端に電話を切ってしまった。次会ったときに怒られるんだろか。

 次会うのは……サクが始発で来るんなら、四時間後くらい。こわいなあ。


 それでも、そのときにはもう、サクにも話せるんじゃないかという気がする。

 エッセイの内容のことだけじゃない。翔のこと。今までに見た夢のこと。


 どうせ『りある』が刊行されればわかることなんだからっていうのも勿論ある。

 でもたぶん、それだけじゃない。


 私にとって、翔は最初から最後まで友達で、一番仲が良かったときには彼氏と彼女のように振る舞ってみたこともあったけれど、やっぱり友達だった。


 夏休みの終わりでも、クリスマスでも、バレンタインデーでも、卒業式の日でも。

 そのことをはっきりさせる機会はいくらでもあった。いくらでもあったはずなのに、今日の今日まで私はなんにもしなかった。


 今日やっと、私は恋人としての翔に別れを告げることができたんだ。

 友達に戻ろう、と。私たちは、友達としての方がずっとうまくやっていけると。


 翔が私のことをどう思っていたのかは知らないけれど、これが私の結論だった。いつかどこかで、天国ででも、翔に会えたなら。私はそうやって別れ話をしよう。忘れないように、エッセイもちゃんと持っていこう。中村がこんなことを言っていたんだよ、と。私の新しい彼氏は翔に嫉妬していたよ、と。そんな話をして、笑い合えたらいい。


 ベッドにもぞもぞ潜りながら、たぶん、起きたらすぐに会うことになるサクのことを考える。


 サクとは上手くやれるだろうか。サクとは友達以上になれるんだろうか。


 そんなの、まだまだわからない。でもサクが私のことを好いてくれている以上、努力はしないといけない。

 その努力が面倒だと思わないでいられれば、私はきっとサクの恋人になれるんだろう。


 会って一番に話すことは決まっている。私の友達だった人のこと。

 今は遠くへ行ってしまった――留学ではなくて、本当に会えなくなってしまった、友達のこと。エッセイにはその友達について書いたのだということ。それから、引き出しの奥の方にしまい込んでしまった、灰色の封筒のこと。

 今度こそ、彼の前で封筒を開けよう。彼にも封筒の中身を見てもらおう。


 翔の墓参りに行きたいと言ったら、サクは反対するだろうか。


 それでも、誤魔化さずに、本当のことを話そう。


 もう、夢からは覚めたのだと。

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思ひつつ 南波なな @minaminana

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