第40話

 何度も何度も繰り返されるスマホのアラームを止めるために、頭の上に手を伸ばした。

 枕元から引っ張ってきたスマホの画面には、目覚めの時刻が表示されている……かと思いきや、そこに見えたのは「田中朔也」とかいう平坦な文字だった。なにこれ? あ、電話か。

 普段あだ名で呼び合う親しい友達も真面目くさったフルネーム登録になっているものだから、誰だっけと一瞬首を傾げる。


「うぃ。もしもし、サク? おはよう」


『はよ。エッセイ終わった?』


「まだ終わんないよう」


『じゃあこんな遅くまで寝てねえで書けよなー』


 部屋の時計に目をやると、午前十一時を指している。全然遅くない。まだ午前中じゃん。


『今晩そっち行っていい?』


「え、多分書き終わってないから。もうちょっと待ってってば」


『ていうか俺が待ってること抜きにしたって、締切明後日だろ? ほんと平気なん?』


 へいきへいき、だいじょうぶ。

 面倒くさくなってきたから、テキトーに答えて通話を終わらせた。本当は大丈夫かどうかなんて、書いてみないとわからないんだけれども。そう考えてみると、たしかに寝ている場合じゃないかもしれない。しかたない、起きよう。


 サクとの電話を切り上げつつ、ベッドから出て冷蔵庫に向かう。朝食代わりのヨーグルトを食べながら、さっきまで見ていた夢を思い出す。夢なんだか、思い出なんだか、よくわからない夢だった。本当に、ただ二年前のことを思い出していただけのようにも思う。


 そうだった。やっぱり、メールをしなくなったのは私が先だった。


 面倒くさいと思ったんだった。やっぱり翔と別れた元々の原因は、私の面倒くさがりだった。でも、メールを返すことそのものが面倒だったわけじゃない。


 それまでだって友達として仲の良かった翔と、それ以上に仲良くならなくちゃいけない、恋人にならなくちゃいけないと思っていた。

 そうやって必要以上に頑張ることが、面倒くさくなったんだ。頑張ることに、疲れてしまった。


 結局私にとって翔は、友達以上になれない人だったってことなのかもしれない。


 じゃあ翔にとって私はどうだったんだろう?


 メールに返信しないことを、最初はちょっと気にされた。なんで? って聞かれたら、気づかなかったとか、字を打つのが面倒になっちゃってとか、テキトーに答えた。もちろんいつもいつも返信がないんじゃあ不審に思われるから、たまにはちゃんとメールした。

 でも、返信しない頻度はたぶん、上がっていった。


 私の返信しない頻度が上がるのに反比例して、なんで返信をくれないのかと聞かれる頻度は下がっていった。メールや電話が来る回数も減った。メールも電話も、したって仕方ないと思われたんだろうか。あるいは翔も、どうでもいいと思うようになったのか。

 もしかすると、私の冷めた気持ちに気づいたのかもしれない。


 翔の真意がどこにあったのかはわからない。サクに言わせれば、翔の気持ちも冷めたってことなんだろう。中村の説を採るなら、好きだって積極的に主張できないくらいシャイだったっていうことなのかもしれない。

 あるいは私の気持ちを慮ったっていう可能性も、ありかな。


 どれが本当なのか。はたまた、全然違った翔の思惑があったのか。


 実際のところどうだったのかなんて、翔に聞かなきゃわからない。もう翔に聞けないというのなら、それは二度とわからないんだろう。

 いつか死んだら天国ででも聞いてみようか。でも、それまで覚えていられる自信がない。


 ああそうだ、だから忘れないための備忘録として、エッセイを書こうとしていたんだった。


 中村やサクから話を聞いたときには、そんなんじゃ文章にはできないと思っていた。

 私の覚えている翔とは違っていて、どうしてもしっくりこなかったから。でも私が知っている翔だってきっと翔の一面に過ぎないし、あるいはとんでもない勘違いをしているところもあるだろう。


 それなら私の思い出に限ってまとめる必要なんて、どこにもない。


 みんなから聞いた翔を書こう。翔が本当は何を考えていたのかなんて、もうこの世の誰にもわからない。それでも、翔がどんな人だったのか。周りが翔をどんな風に見ていたのか。そんな翔の欠片みたいなものは、集めることができるはずだ。

 集めてまとめれば、なんとなくでも、それっぽくなるかもしれない。


 じゃあ、書いてみようかな。


 真っ白だったパソコンの画面に向かって、ぽちぽちとキーボードを打ち始める。

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