第13話 これが、きっと今の私の答えだ
それからは、兄が結婚を前提にして恋人と付き合うようになり、結婚して新居を捜してといった大イベントがあったため、母の関心は暫くの間私から外れることになった。
加えて世の中は新型コロナウイルスの流行によって様変わりし、私も完全に在宅勤務に切り替わって人と会わなくなったため、新しい恋愛も生まれなかった。
相沢さんと付き合っていた時に私の姿を得た『私』は、その後もずっとなんとなく私の中にいた。
イベントシナリオを任された時に「貴族のあいつのこと考えたいからちょっとなってみてよ」と言えばその姿を取るし、ここの展開どう思う? と問いかければ「イマイチだね、だれてるからここに情報開示パートを入れて物語を動かしなよ」などとアドバイスをしてくれた。
自分の中に出来た他人みたいなものが面白く、まるで良き友達を得たみたいで、私は一人デートなどと称して一人でお洒落なカフェに行ったり、服を買いに行ったりした。
そうするうちに相沢さんと別れてから二年の月日が流れ、私は三十歳になった。
私の周囲では中学の時の親友達は結婚して、子供を産んだ人もいる。結婚が以前より身近になり、私自身も結婚という文字が少しずつちらつくようになった。
結婚したいという強い願望はないものの、二十代の頃に比べれば肌のシミも増え、肌トラブルも増えてきている。結婚という市場において、確実に価値を落としていると実感することは多い。
ただ子供を産まないのであれば急ぐこともないだろう。そう思って私は独り身でいる。
そんなある日のことだ。暦は四月、私はいつものように大学時代に始めたTwitterのタイムラインをダラダラと眺めていた。
するとそこにウェディングドレスに身を包んだ友人の写真が現れたのだ。
結婚したのだろうかと思ったが、独り身アピールこそあっても彼氏が出来たという話は聞いていない。
最初は彼女の趣味であるコスプレだろうかと思ったが、投稿文を見て違うとわかった。
「ソロウェディングしてきました! 推し(Switchの中にいる子)と結婚しちゃったよ!」
私はソロウェディングという言葉を知らなかった。
すぐに投稿のリプボタンを押し、彼女にソロウェディングとは何か尋ねてみると、ウェディングドレスを着て一人で写真を撮る写真館のプランで、最近女性の間で流行っているのだと答えが返ってきた。
インターネットでも調べてみると、『今流行りのソロウェディングとは!?』といったそれらしい記事がヒットした。
読んでみると、友人のように未婚の女性が若い今の自分を残すためだったり、式は挙げたが当時のドレスが気に入らず未練が残っている女性が好きなドレスを着るためだったり、様々な理由で撮影が行われているようだった。
この記事を見た瞬間、私はビビッときた。
(これが、きっと今の私の答えだ)
結婚というのは二人で行うものだ。社会的補償を受けたり、籍を入れたりする点ではその意味は絶対に揺るがないだろう。
しかし籍を入れないなら自由であっていいじゃないか。それこそ、一人で結婚式を挙げたって一向に構わないのだ。
彼女と話をしていると、どうやら三十歳までに結婚しなかったらソロウェディングをするつもりだったらしい。
同い年であった私も、三十歳の記念にソロウェディングを挙げるのはいいかもしれないと思い、早速ソロウェディングプランのある写真館を探して予約した。コスパ重視で選んだが、アルバム一冊付きのプランとなると十三万円した。
ウェディングドレスというのは多くの女性にとって特別な衣装なのだと思う。結婚に興味が持てなかった私も、ウェディングドレスというものにはほんの少しだけ憧れがあった。
結婚という儀式の衣装ではあるが、単純に綺麗だし、美しく着飾って嬉しくない女性はいない。
私も異性に好意を持たれるのが嫌でイモのような格好をし、ファッションにも興味をもたなかったが、純白なドレスを着た自分はきっと見違えるほど綺麗だろうと想像した。
とはいえただ着飾って写真を撮るだけでは勿体ない。友人がゲームキャラとの結婚というコンセプトを作っていたように、私も何かテーマを設けようじゃないか。
私が特別感謝を伝えるなら『私』だろうと思った。
確かに彼女が人の姿を取ったのはごく最近だったが、彼女の存在自体は大学時代から感じており、ずっと創作する時に傍にいる感覚があった。
彼女がいたから私は十八年間も物語を書き続けられ、シナリオライターという夢を掴むことが出来た。
ソロウェディングというくらいだし、私と『私』の結婚ということにすれば何もかもがしっくりくると思った。
実在しない存在であれ、結婚ならば指輪が要る。なので私はちょっといい指輪を買った。
ちょっといいと言っても五万円くらいだが、インターネットで探した時に星のモチーフが気に入ったので、即決した。
しかも届いてみて知ったのだが、それは二つのリングを重ねてつけるタイプのものであり、私と『私』を表現する上でこれ以上ない指輪だったのだ。
撮影代を含めると二十万円近い出費になり、仕事のためとゲーム機本体を三台も買い込んだ時よりも高くついて「どひゃー」と思ったが、三十歳の記念だ。たまには自分一人のためだけに贅沢するのもいい。
ドレスの選定はサイズ調整の兼ね合いもあり、撮影日の二週間前に決める必要があった。
私は在宅勤務に切り替わって以来すっかりご無沙汰だった電車に乗り、写真館に向かった。
写真館にはウェディングドレスが沢山あった。Aラインはこれ、などとざっくりとした説明を受けた後、三着まで試着可能なので好きに選んでと言われた。かなり放任主義だなと思いながら私は気になったドレスを手に取った。
レースをふんだんに使っているなど凝ったデザインになると追加で十万円かかると平気で言われるため、「うわー、商売上手」などと思ったものだが、絶対にシンプルな方が似合うと友達から言われていた私は、追加料金が殆どかからないドレスの中からお気に入りの一着を見つけた。
試着しただけでテンションが上がった。
人に揉まれるために成長したのかと嫌悪感を抱いていた胸はドレスにジャストフィットし、すっかり女性らしく成長した凹凸のある体はウェディングドレスにとても映えた。
これは当日メイクとヘアーをセットしたら凄く綺麗だと確信した。
そして、待ちに待った当日。ネイルは自分でしてきてほしいと言われた私は、シールタイプのマニキュアを爪に貼って写真館に向かった。マニキュアすら子供用の玩具のしか塗ったことがないため、これだけで気分はウキウキだった。
当時私はヘアードネーションのために偶然髪を伸ばしており、一番長い毛がへそに届くほど伸びていた。事前に結婚式で人気のヘアースタイルを調べていた私は、ラプンツェルのような三つ編みにしてほしいとお願いした。
自分でも気づかなかったのだが、私の髪は一年前にかけた縮毛矯正のせいか毛先の方が僅かに脱色しており、三つ編みをするとまるでメッシュでも入れたかのような不思議な色合いになった。
プロの手によってたっぷり三十分かけて丁寧に化粧をしてもらい、髪飾りとイヤリングをつけてもらった。ネックレスはしっくりくるデザインがなかったのと、鎖骨が綺麗と褒められることが多かったため、結局つけなかった。
そしてサイズ直しをしてもらったドレスを着させてもらい、全身鏡の前に立った。
なんて綺麗だろうと思った。
試着した時から思っていたが、私は腰に白い薔薇のコサージュしかついていない途轍もなくシンプルなこのドレスがとてもよく似合っていた。
「それじゃあ、スタジオの方へ移動しましょうか」
ヘアースタイリストもそうだったが、カメラマンも女性だった。
営業トークなのかもしれないが、「私、ソロウェディング撮る時が一番テンション上がるの!」とにこにこ話すカメラマンを見て、とても楽しい撮影会になりそうだと胸が躍った。
私は子供の頃に芸能活動をする中で、一ヶ月だけモデルのレッスンを受けたことがあった。
人を撮るカメラマンというのは、いい表情が出たと思った瞬間にシャッターを切りまくるもの。だからモデルは常にポーズを変えたり視線を変えたりして動いて、思わずシャッターを切りたくなる表情を作ることが肝要。
たった一ヶ月のレッスンで何かをマスター出来たわけじゃなかったが、自発的にポーズをあれこれ変えたり小物で遊んだりして見せると、
「凄い! なんで何も言ってないのにこっちが何したいかわかるの!?」
と感心された。私は撮影中の一時間だけはちょっと調子に乗ってもいいかなと思い、モデル気分を堪能することにした。
子供の頃、宣材写真や写真集向けの写真を沢山撮ってもらったからわかる。
腕のいいカメラマンというのはただシャッターを切るのが上手いのではない。モデルと楽しくトークし、いい表情を引き出す空気を作ることに長けているものだ。
彼女はとてもいいカメラマンだった。私が小説を書いていることや、小説を考える時に一緒にいる『私』のことを話すと「メッチャ素敵!」と満面の笑みを浮かべ、
「じゃあさ、向こうのアーチに向かって手を伸ばして、物語の世界に連れていかれるー! みたいなのとかどう?」
と様々なアイディアをくれた。
コスプレイヤーがよくやる、裾を持ち上げた瞬間にシャッターを切り、躍動感のある写真を撮るというのもやった。
非常に楽しい撮影会だった。私はきっと最高の表情をしていたと思う。
ソロウェディングと検索をかけた時、検索バーのサジェストに『ソロウェディング 痛い』というワードが出てきた。
恐らく一人カラオケなんて痛いと言うような人達が、結婚式までお一人様ってどういうことと嘲笑って何やら投稿をしていたのだろう。
(痛いと言われようが構わない。人からどう思われようと知ったことか!)
私はこの時最高に幸せだったし、恐らく『私』の方も幸せだった。
物語を書くという喜びを知り、Aという人とは違う感覚の中で生きて、苦労して、悩んで、何度泣いたかわからない、そうやって生きてきた私を私自身は認めたいと思った。
偽らず、過大評価も過小評価もせず、ただ等身大のままで在りたいと思った。
そんな私がきっと、一番綺麗なのだから。
楽しかった撮影会は終わり、私はドレスを脱いでいつもの私服に着替えると、必要な書類にサインをして家に帰った。
後日写真のデータが送られてきて、自分だけのたった一冊のアルバムを完成させるために、あれでもないこれでもないと写真を選別して、入稿した。
撮影してから二ヶ月ほど経って、アルバムが届いた。
星の飾りのついた指輪をはめた、交差した私の手が表紙の世界に一冊だけのアルバム。私は予想した通り最高の笑顔をしていて、誰がどう見ても幸せそうだった。
撮影会を終えた頃から、『私』は再び何の形もない
それ以来アセクシャルのことで人から何かを言われても以前ほど傷つかなくなったし、自分で自分をどうにかしようという焦燥感にも駆られなくなった。
現実には何も解決していないが、辛かった日々は二十代の私に託して、私は前に進もうと思えるようになった。
Aの私。故に今は隣に誰もいなくとも、この先もずっといないのだとしても、私は私を生き続ける。
〈終わり〉
Aの私 星川蓮 @LenShimotsuki
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