雪の夜に

2022.9.4秋庭で、佐藤アキヒト先生へお手紙を渡しました。『真夏の鼓動』の二人の日常を妄想したものを書いて同封しました。

置き場として、備忘録として。




 午後から降り始めた雪は静かに勢いを増してゆき、日が暮れる頃にはあたり一面真っ白で見慣れた景色を雪国に変えていた。


 結露で曇った窓ガラスが室内との温度差を表している。壁際には橙色の熱を放つ石油ストーブが置かれ、鉄瓶は静かに湯気を吐き出している。

 幸彦は石油ストーブの横で半纏を羽織り、背を丸めて炬燵で黙々と書き続けている。文字とは思えない判別しづらいもので埋められた紙や原稿用紙が机だけでなく部屋じゅうに広がっていた。


 ガラリと襖が開き、豪が外の冷気を纏って入ってきた。

「ただいま幸彦」

「おかえり。遅かったな」

「雪のせいだ。電車はノロノロ運転だし、バスは運休でここまで歩いてきた。足が棒のようだ」

「それは災難だったな。温まるといい」


 幸彦は炬燵に入るよう促した。

 豪はマフラーとコートをハンガーにかけ、布団をめくり炬燵に足を入れた。寒さで固まった体が足先からじんわりと解けてゆくようだ。


 豪は周りに落ちていた紙を拾い集め、殴り書きにサッと目を通した。

「これは次の作品か?」

「ああ。新しく少女向けの雑誌を出すらしくてな。若い女の子が好みそうな、読みやすい恋愛物語を一本頼まれた」

「へえ。どんなものを考えているんだ?」

「母と娘が二人で切り盛りする大学生向けの下宿屋が舞台だ。学生運動に熱を上げる下宿生と宿の娘の物語だ。結末はまだ未定だが」

「学生運動?」

「身近にモデルがいるからな」

 幸彦が悪戯を仕掛けたように、ニヤリと口元を緩めた。

「おい……」

「単なるモデルだ。気にすることはない」

「……どんな話なんだ?」

「毎日挨拶を交わすだけで精一杯で、自分の思いを告げるなどできない、そんな内気な娘が主人公だ」

「純情なんだな」

「そうだな。学生との日々の些細なやりとり全てに娘は一喜一憂するんだ」

「可愛いじゃないか。それで?」

「うむ。ある日、学生の親が危篤だと下宿に連絡が入るんだ。すぐに帰郷しろと。その時学生は大きな集会の真っ最中でな。娘は彼を探して右往左往する。集会は予定より大規模になっていた。娘は運悪く衝突に巻き込まれて負傷し、病院に担ぎ込まれてしまう。学生とは会えなかった。すれ違いだな」

「それで……その男は?」

「その男は……」

「うん、男は?」

「故郷に帰ってしまうんだろうな」

「それでは娘が可哀想じゃないか?」

 豪はゴロリと仰向けに倒れ、肩肘をついてこちらを睨んだ。

「やっぱり可哀想か?」

「結ばれない結末だとしても、せめて娘が勇気を出して想いを打ち明ける場くらい設けてやってくれ」

「男はなんと返答する?」

「それは幸彦が考えるんだ」

「そうだな、そこは俺の仕事だな。ふん」

「その雑誌はどこの出版社だ? ああ、ここか。あれ? 神谷のところじゃないか」

「お前の友人か? 収監されていたという……」

「いや、また別の友達だ。そうか神谷のところか」

「親しかったのか?」

「ああ。俺にヒントをくれたんだ」

「うん?」

「『月が綺麗だな』とお前が言ったんだ。夏目漱石の言葉だと、神谷が教えてくれた」

「気づいていなかったのか。やはり文学音痴だな」

「そうだ、俺は文学音痴だからな。わかりやすく言ってくれないとわからない――」

 豪は幸彦の耳元で囁いた。掌で幸彦の頬を優しく撫で、啄むように口づけたあと緩んだ隙間に舌を滑り込ませた。くちゅくちゅと舌を絡め、溢れる唾液ごと啜り上げた。

 抱きつくように幸彦の背中に腕をまわし体重を預けた。頭はずるずると下がってゆき、やがて膝枕のような位置で落ち着いた。

「幸彦、少し寝てもいいか……少し、だけだ……」


 幸彦は、豪が寝入ったのを確認して頭を座布団に下ろした。炬燵布団を腰までかけてやり、引っ張り出した毛布で肩まで覆ってやった。

 豪はしばらくゴソゴソしていたが、納得する体勢を見つけたようで、すうすうと静かな寝息が聞こえてきた。

「夏目漱石か…ふん」

 しばらく壁の一点を見つめていた幸彦は猛然と書き始めた。その手が止まる気配はない。

 窓の外は雪がしんしんと降る静かな夜。

 温かな室内は、豪の寝息と湯気の音そして幸彦がペンを走らせる音だけが聞こえていた。


「う……ん、」

 豪は軋む体を起こした

 隣には炬燵に突っ伏して眠る幸彦。その腕の下に原稿用紙見つけた。

「これは……物語の最後の場面だろうか。そうか、二人は結ばれるんだな。良かった」


 数ヶ月後、幸彦は偶然見た。駅近くの書店で、刊行された例の少女向け雑誌を腕に何冊も抱え、嬉しそうに会計の列に並ぶ豪の姿だった。





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