夏がくれた奇跡

夢咲彩凪

第1話

 目の前を流れるどこまでも透き通った川の水面に、不満げな顔をした俺が映る。


「あっちー!」

 じりじりと照りつける夏の日差しは、すべてを焼けこがそうとするかのよう。できることなら今すぐにでも川に飛び込みたいくらいだ。


「日陰行く? それともやっぱりこの暑さは耐えられない?」

 俺のすぐ隣に座っていた女──相川さくらが挑戦的な瞳で俺を試すようにして尋ねてくる。


 こんなに汗をだらだら流す俺とは対照的に、涼しげな顔をしているのが腹立たしい。


「耐えられないって言ったら、日陰行っていいのかよ」

「いやだ。行かせてあげない」

 さくらはにっこりと笑って答えた。日向の方が君を綺麗に撮れるから、と言う。


「お前から言ったんだろ。はあ、相変わらず上から目線なやつ。このわがまま女め」


 そう言いながらも俺は彼女の言うことはなんでも聞いてしまうのだ。

 ふだんは反抗期真っ盛りだと親に嘆かれる男子高校生なのにな。


 少し恨みがましげに彼女を見ると、勝ち誇ったように俺に尋ねてくる。


「そんなわがまま女に惚れたのはだれ?」

 答えなんてわかってるくせに。今度は俺がにっこり笑う。

「俺」

「正解」


 彼女がわざとらしくパチパチパチと手を叩く。そんな彼女の嬉しそうな様子に肩をすくめると、カシャッとシャッター音が鳴った。

 いつの間にカメラを構えたんだか。


「いい写真撮れた! 見たい?」

「……絶対見たくねぇ」

 はいあげる、と無理やり写真を押し付けられる。見たくねぇって言ったのに。


 さくらはいつも、撮ったらすぐに現像できるタイプのインスタントカメラを持ち歩いていた。


 学校にいるときも、遊びに行くときも、家にいるときも。

 カメラはいわば彼女の体の一部だと言えるかもしれない。


 でも──。

「……お前はさ」

「なに?」

「なんで写真撮るのはそんなに好きなのに、撮られるのは嫌いなの? 俺がカメラ向けても、絶対撮らせてくれねぇじゃん」


 ふつうのカップルなら、一緒に撮った写真や恋人の写真の一枚や二枚はあるはず。

 なのに俺のスマホのフォルダには、さくらが写っている写真が一枚もないのだ。


 俺の質問に彼女は、頬を膨らませる。

「だって私、写真映えする顔じゃないもん」

「はあ? そういう問題? 写真がないせいで俺、お前の顔忘れそうだったんだけど」

「君なら忘れないって信じてるからさ」

 

 おどけて冗談のつもりで言ったが、思っていたよりも真剣な表情で返されて、返事につまる。

「…………」


 会話が途切れ、訪れる沈黙。ふと空を見上げると、雲ひとつない青空が広がっていた。

 そう、俺たちが二年前の夏、初めて出会ったときと同じ空だ──。



 あれは高校一年生の七月なかば。夏休みが近づいて、誰もが浮かれ出すころだった。


 その日、俺が学校に着いてすぐ下駄箱の扉を開けると、ひらっと一枚の紙が落ちてきた。


『今日の放課後、体育館裏で待ってます。相川さくら』


 漫画の展開にありそうなベタな告白の呼び出し。その相手は入学早々美人だと有名になった相川さくらだった。


 周りにいた奴らに茶化されたが、嫌な気分はしない。自然と口元が緩んで、さらに冷やかしを食らう羽目になった。


 そして放課後。俺は早まる鼓動を抑えながら、指示通りに体育館裏へ向かう。

 まだ彼女は来ていないようだった。人を待っているときにスマホを触るのもどうかと思い、なんとなく天を仰ぐ。


 ──見上げた雲ひとつない青空は、どこまでも澄み切っている。


 緊張を抑えようとふぅ、と息をついたとき、突然カシャッとカメラのシャッター音がした。


「……っ!?」

「あ、こんにちは」

 彼女はどこからともなく現れ、カメラを持ったまま笑顔を浮かべていた。


 美人だ。俺が想像していたよりも遥かに美しい。

 まるで本の中から出てきた女神のよう、と言う考えはすぐに打ち消された。


「写真いります? 今撮ったんですけど、我ながらいい出来なんですよ!」

「…………」

「さすが私。こんなに君を上手く撮れるのたぶんこの学校で私だけだよね」

「…………」

「聞いてる? え、死んだ!? 生き返って!」

 

 ぐらぐらと俺の体を揺らすさくら。俺はただこの超変人と超美人が合わさった〝超変美人〟的存在を前にして、言葉が出てこなかっただけだ。


 超変美人というネーミングセンスについては何も言わないでいただきたい。彼女に感化されたのか俺も頭が少し、おかしくなっているようだから。


 とにかく今、この状況で言いたいことはひとつだけ。

 ……なんか、思ってたのと、違う。


「あ、動いた。よかった、生き返った」

「いや死んでないから」

 思わずツッコミを入れる。


 すると何がおかしいのかひとりでお腹を抱えて笑っていたが、ふいに俺の目をまっすぐに見つめてきた。


「私、ずっと前から君のこと気になってたの」

 ……お? 少し出遅れたもののこれはもしや、と期待して胸が高鳴る。


「素材がいいなって」

「……は?」

「ちょっと顎引いて」

「え、ちょ」


 困惑する俺には構わず、今度はわけのわからない指示をしてくるさくら。俺はただただ勢いに乗せられて、言われた通りに動く。


「はい、今度はこの辺見て。いやもっと下。もっと右! あと一歩下がって。はい、おっけー!」

 またカシャッという音が響いた。


「わぁ〜最高! ありがとう。また撮らせてもらうね!」

「え、あの!」

 引き止めようとしたが、彼女は言いたいことだけ言うと、足早にいなくなってしまった。


 俺はただ呆然とその場に立ち尽くす。なぜか体にどっと疲れが来た。

「これは夢。今のは俺の妄想だ」

 そう自分に何度も言い聞かせる。


 ぶつぶつとつぶやきながら、帰り道を歩く高校生男子はきっと傍から見れば不審者だっただろう。



 あれからさくらのストーカー行為は、収まるどころか勢いを増した。

 それはついに俺が懲りるまで長期間に及ぶ。


 そしていつの間にか俺たちは写真を撮り、撮られるという奇妙な関係に。

 お互いに恋心を抱くようになるまでには、ほとんど時間もかからなかったが。


 俺が昔に思いを馳せていると、さくらがおもむろに口を開いた。

「……それにしても、ひさしぶりだね。君と会うのは」

「そう、だな……」


 最後にさくらと会ったのは、一年ほど前。高校二年生の夏だ。


 あの夏、俺たちは離れ離れになった。彼女が遠い場所へ引っ越すことになったからだ。

 体が弱くて病気がちだったさくらには、俺と同じこの場所で暮らしていくことができなかった。


 さくらはその時から変わっていない。腰

まである長い黒髪も、無邪気な笑顔も。あと超変美人なところも。


「私がいなくて寂しかった? 寂しかったでしょ?」

「さあどうだろうな」

 ふっと鼻で笑って答えると、さくらがなにやら騒ぎ出した。


「うわ、最低。こんな男嫌い」

「あっそ。そのあと『やっぱり嘘。世界で一番好き』って言うんだろ」

「そ、そうだけど! 君、無駄に私の声真似上手くなってるの、余計にムカつく」

 頬を膨らませる彼女の髪をわしゃわしゃと撫でる。


 彼女がいなかった一年間よりも、今この瞬間のほうが、ずっとずっと楽しくて、愛おしくて。


 なんだか無性に泣きたくなった。

 離れた場所にいる人を想うのは辛い。そんなことわかっていたはずなのに、な。


 そうして俺たちはこれから訪れる別れのことは決して口には出さず、ただただ会えなかった時間を埋めるように寄り添っていた。


 だがあっという間に時は過ぎて、夕暮れはやってくる。

 彼女は赤々と燃える夕焼け空を見上げて、震える声で呟いた。

「……そろそろ、行かなきゃ」


 ──彼女は泣きながら、笑っていた。

 夕焼け色した綺麗な涙を流して、無理やり口角を吊り上げて。

 その横顔は今にも消えてしまいそうなくらい、儚げな美しさを纏っていた。


「……ねえ、さっき私になんで写真を撮られるのが嫌いか聞いたよね」

 彼女が少し焦ったように早口で話し始めた。俺はそれに黙って頷く。


「私は写真撮られるのが嫌いなわけじゃないよ。ただ、私の姿が写真として残ってたら、君は私のこと忘れずらくなると思ったから」

「……ど、うして」

 疑問しか出てこなかった。なぜ忘れなければいけないのか。


「私たちはこんなに離れてるのに好きでいるなんて辛いだけだよ。私のことは忘れて、新しい恋を見つけて。君は結構いい男なんだからさ?」

「……結構ってなんだよ」

 俺は笑って答える。言葉はそれしか出てこなかった。バカみたいなやり取りをしていないと、無性に叫び出してしまいそうで。


「まあ私にとっては最高の男だけどね。みんなから見れば割と普通の男だし」

 そうだ、俺はお前にとっての最高であれば、それだけでよかった。たださくらとずっと一緒にいたかった。


「あのね、お願いがあるの」

 唐突に彼女が言った。


「最後に私の写真撮ってよ」

 はい、と彼女がカメラを渡してくる。

 お願いというより命令だ。彼女らしいけど。


 だがなぜそんなことを急に俺にしてほしくなったのか、その理由は聞いても教えてくれないらしい。


「……しょうがねぇな」

 俺はもう満面の笑みを浮かべて準備万端のさくらにカメラを向ける。

 ──カシャッとシャッター音が鳴った。


「ほら、撮れた……」

 カメラを下ろしてみれば、もうそこに彼女の姿はなく。

 無機質にカメラから現像された写真が出てくる音が響いた。


「…………っ」

 その写真の中にも彼女の姿はない。その代わりに、背景だけが映った写真の上にメッセージが書いてあった。

 ちょうどさくらがいるはずだった位置に。手書きの文字で──初めてさくらが俺を呼び出した手紙に書かれていたのと同じ字体で。


『やっぱり嘘。絶対忘れないで』と。


「……忘れるわけ、ねぇだろ」

 必死に堪えていた涙が溢れ出してくる。俺はそれを拭うこともせず、目を閉じたまま手を組んで空に祈りを捧げた。


 この川の向こうの、あまりにも遠すぎる場所へ引っ越して行ったさくらが。

 どうか、どうか幸せでありますように、と。

 


 ──八月十六日。

 俗にお盆と呼ばれる期間の最終日。

 それはとある夏の一日の奇跡だった。


fin

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夏がくれた奇跡 夢咲彩凪 @sa_yumesaki

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