お名前は

飯田太朗

お名前は

 墓場に落ちていた黄色の光が灰色に染まった頃が、叔父の命日だ。


 クリスマスの一か月前だった。家族で開くクリスマスパーティについて話し始めた時期で、母は楽しそうにしていたし、そんな母を見て父も楽しそうにしていた。そこへの訃報だった。


 車に撥ねられそうになった子供を助けて死んだらしい。


 叔父はかつてアメリカ海軍にいた。身体能力が高かった。しかし事故当時、叔父はもう中年に差し掛かっていた。きっと自分の身体能力を過信していたのだろう。いや、もしかしたら衰え自体は感じていたのかもしれない。


 でも、軍隊で鍛えられた正義感がそれらを上回ったのだ。叔父は子供を庇って死んだ。子供は無事で、ご家族から感謝と謝罪をこれでもかと言わんばかりに送られたが、しかしいなくなった叔父はもう帰ってこなかった。せめてもの報いは、叔父の死が名誉あるものだったことだ。


「立派な大人になって頂戴」


 母……久世マーシャは救われた少年にそう告げた。


「あなたはきっと、立派な大人になれるから」

 少年の両親は葬儀にかかる費用一切を負担することと、息子を救ってくれたことへの感謝の意として出せる限りのお金を出すと申し出た。しかし母はそのどれも断った。


「ありがたい提案だけど、断ります。それは何だか、トムの命に値段をつけるみたいだから」


 そういうことで、トム叔父さんは母の国の母なりのやり方で葬られることになった。折しも私たちが住んでいた横浜には外国人墓地があった。家から少し遠かったが、アクセスは悪くない場所だった。


 綺麗な墓地だった。日本の墓場のような湿っぽい感じではなく……それでも暗い印象はあったが……ただそこに死があるような、厳かで、静寂な、そんな空間だった。並んだ十字架がどこか懐かしい。


 それから五年、月命日になると家族で叔父さんの墓参りに行った。父もトム叔父さんと仲が良かったから、悲しむ母の肩を抱いて一緒に黙祷を捧げていた。私はいつも花屋で綺麗な花を見繕って墓の前に供えていた。母はその行為が嬉しいらしく、悲しい表情の中に一筋だけ、輝きを見せていた。


 しかし今年は、母が体調を崩した。


 食道にポリープが見つかったのだ。大したことはないそうだが一応手術をすることになった。それが叔父さんの命日の一週間前。ベッドで母が私にお願いをした。


「トムのために花を供えて。彼、寂しいだろうから」

「お母さんはお母さんの心配をして」

「うん。でもお願い、トムのこと」

「お母さんのことは任せてくれ」

 父が母の金髪に指を添わせた。愛しそうに見つめる。

「クリスマスにはみんなでトムのところに行こう」


 そういうわけで、私は今年、一人で叔父さんの墓参りに行くことになった。



 時期的には、忙しかった。私は高校生だ。叔父が死んだのは私が小学校六年生の時。叔父は死の直前、相模原市から横浜市に引っ越すことが決まって新しく友達ができるか心配していた私に、こう笑いかけてくれた。


「笑顔を忘れないことだよ、万里。笑顔だ。君のスマイルは人を惹きつける。それに君はこの町と横浜の二箇所に友達ができるんじゃないか。それは素晴らしいことだよ」


 叔父の言うことは正しかった。

 叔父の死にもめげず、いつも笑顔を心掛けていたら、自然と人が集まった。おかげで私は友達に困ることもなく、無事に高校まで進むことができた。


 小学校の頃の友達ともずっと仲良くしていた。市は跨いでも同じ県内だ。部活の大会や、塾の模試などで顔を合わせる機会も多く、そうした再会をきっかけに、旧友と遊ぶこともあった。これから話す夏美は……不思議な、すごく賢い女の子……そんな幼馴染の一人だ。


 高校では応援団に入った。いわゆるチアガールだ。チアと言っても、アクロバットや組体操で得点を競うようなものではなく、学校の有志が集まってかわいい服を着てダンスを見せる程度の、本当に些細な活動だった。だから私が「叔父の墓参りのために休む」と言っても何も咎められず受け入れられた。


 特に意味はない。ただ何となく、という理由だったのだが、私は叔父の命日に当たり一週間、チアを休んだ。一週間毎日叔父の墓に通って、十二の頃以来の相談事をしようと、そう思っていたのだ。


 悩みなんてものは、本当に些細な、ある意味つまらない……でも私にとっては重要な……ことだった。


 私は恋をしたことがなかった。


 初恋の定義には色々ある。幼稚園の頃チューをしたダイスケくんが初恋、と言う人もいれば、男子として意識したのが小学校の時のシュウトくん、というような言い方もできる。中学校の先輩が初恋だって言う人もいるだろう。


 私だって中学の頃、いいな、と思う男子はいた。ただそれはちょっとおしゃれで、スポーツができる、それだけの人だった。致命的に勉強ができなくて、本人はそれを自分のコメディ要素として扱っているようだったけれど、私とは会話が合わなくて疲れることも多かった。だから彼を初恋と言うのは難しいだろう。


 高校に入ってから、一度だけ、男子に告白された。

 一年生の頃。同じクラスの男子からだ。夏休みの前、何の脈絡もなく告白された。


 今にして思えば、多分一緒に花火大会に行く女の子が欲しかったのだろうと思うが、しかし当時の私はそんなことに頭が回るはずもなく、ただ目の前の彼が純日本的な……野球部のエースだったのだ……考え方をしていて、私とは価値観が合わないな、と思ったから断ることにした。そのこと自体に後悔は、ない。


 ただ。


 周りの友達はどんどん彼氏を作っていく。

 一緒に遊ぼう、と言っても彼氏を理由に断られることも増えた。もちろん、女の子同士で遊ぶこともあるにはあったが、たまに会話に出てくる彼氏の話についていけなくなって、置いていかれることも多々あった。だから私は、恋に悩んでいた。恋をしたことがないということに。


 記憶の限りだと、叔父はモテた。いつだって笑顔で、しかも「美しい」と思った人には素直に「美しい」と言うような人だったので、しょっちゅう女の人に声をかけていた。軟派と言えば軟派だった。


「日本の女性は美しいんだよ。天国だね」

 叔父の言葉だ。


 そんな叔父なら、私の恋に関する悩みも、もしかしたら聞いてくれるかもしれないと、そう思って墓に行った。もちろん、死んだ叔父が応えてくれることはないが、叔父を感じて、叔父の言いそうなことを考えれば、漠然と答えが見つかりそうな、そんな気がしたのだ。


 叔父の形見の時計をつけて行った。大切な時計なので普段はつけないのだが、叔父に会いに行く時はつけた方がいいだろうと、そう思って左手につけた。


 銀のフレームに赤い文字盤。大学や高校の卒業記念品ではなさそうで……アメリカ人ってそういうの大事にしてる印象あるから……女性用と言われても通用しそうなほど華奢でお洒落な、そんな時計だった。これから一週間毎日、叔父のことを思ってこの時計をつけることにした。


 でも一週間の休みは、もしかしたら取り過ぎだったかもな。


 そんなことを思いながら、花を片手に墓場に行った。問題の男の子とはそこで出会った。


 叔父の墓の前に立っている……。


 見知らぬ男子だった。制服を着ているから学生だと分かる。栗色の髪の毛をしていた。癖毛なのだろう。毛先が跳ねている。黒い服の袖から見えるのは金属で縁取られた血のような何か。リストバンド? 手や腕、短い髪から続く肌の色が透き通るように白かった。もしかしたら、透明だったかもしれない。後姿だけでは分からないが、何となく、外国人だと思った。少なくともアジア人ではなさそうだ。


 遠巻きに様子を見た。叔父の墓石の前でじっと立ち尽くしている。何だろう。誰だろう。たまたま通りがかっただけ? もしかして観光客? 横浜の外国人墓地はその雰囲気から観光に来る人もいた。その手の人? 


 疑問はつきなかったが少し様子を見ることにした。石のベンチに座って、ちょっとだけぼんやりと考え事を……今頃チアの練習をしているのであろう友達のことを……していると、いつの間にか男の子はいなくなっていた。私は花を手向けに叔父の墓石の前に行った。


「あの男の子、誰?」


 一瞬、叔父がかつて助けた男の子のことを考えた。五年前。当時あの子は幼稚園くらいだった。今頃は、多分小学校高学年くらいだ。だから私がさっき見た制服姿の男のことは重ならない。中学生以上じゃないとおかしい服装だったし、身長的にもかなり成長度合いの進んだ男の子だったからだ。


 でも男の子って、急に化けるよ。


 ある友達の言葉を思い出した。その子は中学の頃からの男友達と、高校になってから恋人関係になった子で、昔の彼のことをよく知っていたのだが、高校に入った途端彼が急に「男」になったことにときめいたそうだ。もしかしたら、そういうことはあるのかも、しれない。


 でもやっぱり、叔父が助けた男の子説には無理があった。私の身長は百六十九ある。小学生の男の子よりは高いし、同じクラスの男子でも私より小さい子はいる。


 結論、その男の子は謎だった。だが些細な謎だった。家に帰る頃には忘れていたし、ちょうどリップクリームが切れていたな、なんてことを思い出すころにはどうでもいい記憶になっていた。


 だが問題は、翌日だった。



 翌日も私は墓参りに行った。花を持って。一週間毎日違う花を供えるつもりだった。トム叔父さんは派手なのが好きだったし、色とりどりの花でお墓を飾ったら、きっと喜ぶと思ったからだ。


 お小遣いの許す限り豪華な花を買って、ゆっくりと墓場に行くと、あの男の子の背中が私を出迎えた。叔父の墓の前に、立ち尽くす男子。


 びっくりした。昨日と同じだ。昨日と同じ子が叔父さんの墓の前に立っている。私が立っていた場所から、叔父の墓まで少し距離はあったが、しかし背の高い男の子の頭が墓石の間からしっかりと見えた。栗色の癖毛。


 制服姿だった。後ろからでは、それも墓石の間からではそれがブレザーなのか学ランなのか分からなかったが、間違いなく制服姿だった。と、いうことはこの辺りの学校に通う人だろうか。中学生? 高校生? 多分高校生だけど、でもどうして、叔父の墓に……? 


 声をかけようかと思った。そっと、近づいた。しかし後少しというところになって、躊躇ってしまった。彼の背中から放たれる、悲しい気配が、胸を刺したから。


 結局昨日と同じように、石のベンチに腰かけて、彼がいなくなるのを待った。ぼんやりしていると彼が立ち去るのが見えたので、私はそっと叔父の前に行った。それから訊ねる。


「あの子、誰?」

 叔父は答えない。



 それから、二日間。

 一週間の内の四日、私は予定通り叔父の墓参りをした。毎日違う花を持って。しかしいつも、私より早くあの男の子がいた。ただ叔父の墓の前に立って、胸が苦しくなりそうなほど悲し気な気配を放つ、あの男の子が。


 ただ四日目のその日、状況が少し変わった。


 男の子が去ったその後に、一輪の花が残されていたのだ。

 紫色の花。

 それが何の花なのか、私は分からなかった。花屋でも何となく色と形で適当に選んでいるような女の子だったから、別に花の種類や名前に詳しいわけでも何でもなかった。


 ただ少し、怖かった。


 正体不明の男の子が、墓地に佇み、叔父の墓の前に花を手向けて去っていく。

 幽霊、幻、あるいは不審者。

 いずれにせよ好ましい存在ではないことは明らかだった。私はとりあえず、墓に手向けられた紫の花の写真を撮った。


 夏美から連絡があったのは、ちょうどシャッターを押したタイミングだった。通知の音にびっくりして声が出そうになった。夏美からのメッセージは以下だった。


〈遊ぼ〉


 夏美はいつも端的に用件だけ告げてくる。私は少し微笑ましく思いながら、返そうとした。


 その時、思い至った。


〈夏美、ちょっと相談したいことがある〉


 私は例の男の子と花のことについて、夏美に相談した。花の画像も一緒に送った。彼女はすぐにとびついた。


〈何それ面白そう。私も叔父さんのお墓参りする〉


 そういうわけで、夏美が手を貸してくれることとなった。



 夏美は相模原市に住んでいた。私が小学生時代を過ごした町だ。


 横浜まで少し距離がある。彼女からしたらせっかくのお出かけだ。私はランチを提案した。横浜のお店はどこも少し高めなのだが、手頃なレストランを私は知っていた。


 そのレストランのテラス席で、パンケーキを食べた。夏美の髪型はアシンメトリーショート。記憶の限りだと、中学二年からこの髪型だ。気に入っているのだろう。


 露になっている彼女の左側の耳にぶら下がっているイヤリングを見て、私は笑った。昔、誕生日にプレゼントしてあげた星形のイヤリングだったからだ。


「それ、つけててくれてるんだ」

 私が笑うと夏美も笑った。

「好きだからね。いいプレゼントありがとう」

「もう何年前だろう」

「三年……? 中二の頃だよね」


 そっか、三年か。

 あっという間だった気がした。私たちはもうそろそろ高校三年生になり、大学受験を控える。何となく、夏美に訊いた。


「大学どこ行きたいとかある?」

「理系なのは確定」

 夏美はきっぱりしていた。

「親が金ないって言うから国立も確定。一人暮らしも当然無理。通える範囲の国立理系って言うと……なかなか難しいよね」


 考えてみる。ぱっと思いつくのが東大と東工大しかない。そんなところに行くのだろうか。


「万里は?」

 訊き返され、私は答える。

「国際系の大学がいいかなぁ。英語を活かした勉強がしたい」

 夏美は笑った。

「お互い特技を活かせるといいね」

「本当に」


 パンケーキをゆっくり食べた。二人で墓地に向かったのは、食後の散歩をしてからだった。


 やっぱり、墓地だから。


 雰囲気は暗い。と、いうより厳かだ。死の重みがある。それは私たち高校生が普段感じることのない気配なので、夏美も少し背筋が伸びているようだった。私は花屋で買った小さな花を手に、墓地の奥、叔父の墓の方に進んだ。


 果たしてその男の子はいた。手に、紫の花を持って。


「ほら、ほら、あの子」

 私は夏美を近くに寄せる。

「あの男の子。最近いつもいるの」


「男の子……?」

 夏美が目を細める。それから、少し黙る。

 夏美の視線が、ちらりと私に注がれる。今日の私は私服だ。紺のコートに白のパンツ。首には赤のマフラー。


「バルーンフラワー」

 夏美が私の目を見てつぶやく。

「えっ?」と返した私の手を取り、そっと手の甲を見つめる。それからにやりと笑う。


「万里、彼氏は?」

「い、いないけど」

「好きな男子」

「いない」

「じゃ、フリーなわけだ」

「うん」


 夏美は振り返って、叔父の墓の前に立つ男子を見た。


「運命の、出会いかもよ?」



 夏美と二人で、お墓の前に立ち尽くしていた男の子に話しかけたのは、それからすぐのことだった。

 二人だから、それでも少し勇気は必要だったけど、私は男の子に声をかけた。栗色の癖毛をした彼は、びっくりしたように振り返った。やっぱり、外国人だった。西洋系の顔立ち。


「叔父の墓に用ですか?」

 すると男の子は、気まずそうに唇を噛むと、照れたような顔になった。口から出るのは英語だろうか、日本語だろうか。そう思っていると、やや片言の日本語が出てきた。


「初恋で……」

「えっ?」

「ぼ、僕のじゃないよ。その、何て言うんだ? 父のsister……」

 夏美が助け舟を出す。

「叔母?」

「そう、叔母! 叔母の初恋の男性なんだ。この、トム・ダウニーって人は」


 私は状況を整理する。


「……トム叔父さんがあなたの叔母の初恋?」

 すると私の隣で夏美が笑った。

「ペアルックだもんね」

 ペアルック? 

 私が首を傾げると、夏美がそっと、私の手を取った。それから男の子の手首を示す。


「あ……」


 銀色の縁。赤い文字盤。


 同じ時計が私と彼の手首にあった。しばしお互い、見つめ合う。


「ど、どうしてその時計を……」

「き、君こそ……」

「叔父の形見なの」


 私の言葉に彼が絶句した。


「僕のも叔母の形見だ」

「えっ、じゃあ……」


 叔父の墓を見る。気のせいだろうか、笑われている気がする。


「こ、これを……」

 男の子が、制服のポケットから……着ていたのは学ランだった……一冊の手帳を取り出した。茶色い革製の手帳で、小さくてとてもお洒落な手帳だった。栞が挟まっていたので、そのページを開く。無地の紙に英語で、日記のようなものが書かれていた。大まかに訳すと以下のような感じだ。


〈今こうして病に侵されて、ベッドの中で考えるのは、やっぱりトムのことだ。ホームカミングパーティで一緒に遊んだ彼はとてもハンサムだった。二人でパーティに行くっていうことは要するにそういうことだし、大学に行っても、そして彼が卒業後に海軍に入隊した時もたまに遊んではいたけれど、私が彼への愛情を明確に感じ取ったのは、彼が軍を退役して、日本に渡った後のことだった。もちろん連絡のやり取りはしていたし、彼が帰国する度に会ってはいたけれど、ついぞ私の気持ちを彼に伝えることはできなかった。多分、彼を私という波止場に縛り付けたくなかったんだと思う。彼には自由でいてほしかった。自由な彼が好きだった。でもそんな彼が、去年のクリスマス、花を贈って来てくれた。バルーンフラワー。嬉しすぎて死んじゃうかと思った。私からも贈り返したかったけれど、病気の方が早かった。動けなくなった私にはこうして日記を残すことしかできない。せめて、せめて夢の中ででも、彼に会えたら。彼に私の、バルーンフラワーを渡すことが出来たら〉


「叔母はトムを愛していたんだ」

 それから彼は、手にしていた紫の花を示した。

「balloon flower……えーっと、日本語では……」


「桔梗」夏美が告げた。「花言葉はあんたから教えてあげて」

 夏美が男の子に微笑みかけると、彼は、また照れたように笑ってから告げた。


「花言葉は、『永遠の愛』」


 私はびっくりした。美しい人には美しいと言う、そんな軟派な叔父が、一人の女性に向かって、「永遠の愛」。


 頬が濡れたことに気づいた。叔父はどんな気持ちで桔梗の花を贈ったのだろう。叔父はどんな思いを桔梗に乗せたのだろう。叔父が愛を誓ったのはどんな女性だったのだろう。


 とめどもなく感情が溢れた。しゃがみ込みそうになると、男の子がそっと近づいてきた。


「この時計、ホームカミングパーティで、トムが僕の叔母に記念品としてくれたんだって」


 手首を示す。私も手首を差し出す。二つの時計。赤い文字盤。何だかまるで、心臓のよう。


 夏美の方を振り返る。


「一目で分かったの?」

 夏美は笑った。


「彼の手首と万里の手首には同じ腕時計。そして彼の手の桔梗の花。なのにあんたは知らないと言っている。その時計が叔父さんの形見だってことは前に聞いてた。ってことは、叔父さん繋がり。親友に『永遠の愛』はちょっとね。まぁ、桔梗には『誠実』って花言葉もあるけど。何にせよ親しい間柄。男性女性どっちかは知らないけど、恋人の筋が有力。さて、十字架の並ぶ外国人墓地で二人の少年少女が出会いました。手首に同じ時計をつけて」


 だからか。

 彼氏がいるか? とか、好きな男子はいるか? とか訊いてきたのは。


 夏美が私の耳元に口を寄せる。

「運命かもよ?」


 目の前の男の子を見る。


 栗色の癖毛。堀の深い顔で、少し恥ずかしそうにこちらを見ている。彼の目に私がどう見えているのかは知らない。でも、私の目には……遠い海を越えて、叔母の初恋を叶えに日本に来たこの男の子は……とても誠実に見えた。叔母を大切にしたように、私のことも大切にしてくれるだろうか。そんな淡い期待を抱いた。


 夏美が不意に、歩き出した。私は振り向く。


「ど、どこ行くの?」


「港の見える丘公園でも散歩してくるよ」

 夏美がふらふらと手を振る。

「若者同士ごゆっくりー」


「若者って、夏美も同い年じゃん」

 そうつぶやいた私の隣に、男の子がやってきた。ちらりと目線をぶつけ合う。少し、お互い、照れたように黙ってから、訊ねる。


「お名前は……」

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