エピローグ ―取り戻した家族―
「……ふざけんな」
誰が低い声で言った。ガマ警部が頭を上げた。木場も急いで声の主を探したが、すぐに桃子の様子がおかしいことに気づいた。地面に視線を落とし、痙攣する拳を握り締めている。その顔が見る見る真っ赤になっていく。
「ふざけんなよ! 誰がお前に刑事辞めてほしいって言ったんだよ!」
桃子がきっと顔を上げ、歯を剥いてガマ警部を睨みつけた。ガマ警部が当惑した顔で身を引いたが、それでも桃子の怒りは収まらない。
「何でそうやって自分1人で何でもかんでも決めるんだよ! 1人で勝手に悩んで勝手に結論出して、それであたしが喜ぶとでも思ってんのかよ! バカじゃねぇの!?」
桃子が一気にまくし立て、膝に手を突いてはぁはぁと息をついた。ガマ警部は呆気に取られて娘の顔を見返した。署に向かう通行人が、何事かという顔をしてこちらを見やる。
「……あんたが刑事辞めたら、その人が悲しむだろ」
桃子が呼吸を整えながら木場に視線を寄こした。父親譲りの眼光を前に、木場は思わず背筋を伸ばして畏まる。
「普段散々いびられてんだから、逮捕されていい気味だって思ってもおかしくないのに、その人はあんたを助けるためにずっと駆けずり回ってた。あんたが殺人なんかするはずないって、心の底から信じてた。それ見てたらさ……あたし、自分が意地張ってるのがバカみたいに思えてきて。だから本当のこと話そうって思ったんだよ」
桃子が無愛想に言った。ガマ警部は目を瞬いて桃子を見つめ、それから木場の方に視線を寄こした。木場は廊下に立たされた生徒のように直立不動の姿勢を保っている。
そうしてしばらく木場を見つめた後、ガマ警部は桃子の方に向き直って尋ねた。
「……1つ、聞いても構わないか?」
「何だよ」桃子がぶっきらぼうに返した。
「お前、確か総十郎への暴行容疑で捕まったんだったな。お前は昔から男勝りで喧嘩っ早い奴だったが、大の大人を相手にすることはなかったはずだ。なのに何故だ?」
「……知らないよそんなこと。頭に血が上って、わけわかんなくなっちゃったんだ」
「そうか。てっきり俺は、総十郎が俺をはめたことで憤り、俺のために殴りかかってくれたのかと思ったんだが……」
「そんなわけねぇだろ! 調子に乗るんじゃねぇよこのクソ親父!」
桃子がいきり立って叫んだ。久恵が眉を下げ、困ったような笑みを浮かべる。見た目だけでなく、言葉遣いまで父親に似てしまったようだ。
「いずれにしても、もうこんな無茶はするな」ガマ警部が息をついた。「今回は数時間の聴取で済んだが、2回目以降であれば留置される可能性もある。もうじき受験だろう? 内申に響くような真似をせん方がいい」
「ふん、言われなくたってわかってるよ。事件のせいで余計な時間使っちゃったから、家帰ったら早速勉強しないと」桃子がつんと顔を逸らせた。
「その前に、お昼を食べて行きません?」久恵がガマ警部に向かって言った。
「あなた、今日はもうお帰りなんでしょう? だったら久しぶりに食事でもどうですか。桃子もあなたに相談したいことがあるようですし」
「ちょっと母さん!? 何言ってんの!? あたし、こいつに相談したいことなんか……」
「そうだな。何しろ2日間拘束されていたんだ。さすがに少し休みが欲しい。久しぶりにまともな飯を食うのも悪くない」ガマ警部が頷いた。
「よかった。前から行ってみたいお店があったんですよ」久恵が少女のように胸の前で手を合わせた。「平日だとランチセットが割引になるんですけど、3人以上でないと対象外らしくて」
「いや、ちょっと待ってよ。あたし行くなんて一言も言ってないし!」
勝手に話を進める両親の間で桃子は慌てふためいている。木場もようやく姿勢を緩め、目を細めてその光景を見守った。あの一家が元の鞘に収まる日も、遠くないかもしれないな。
「あー、今日はいろいろあったから、自分もお腹空いちゃったな。ちょっと何か食べに行こうかなぁ」木場が伸びをしながら呟いた。
「ちょっとお兄ちゃん、忘れてない? 休み、午前中だけなんでしょ?」
いつの間にか隣に来ていたらしい茉奈香が横槍を入れた。木場ははっとして腕時計に視線を落とした。13時15分。休憩時間はとうに過ぎている。
「しまった! でも自分、正直腹ペコで仕事どころじゃ……」
「なーに言ってんの。刑事たるもの、市民のために滅私奉公するのは当然でしょ? ほら、さっさと働いてきなさい!」
茉奈香に背中を押され、木場は勢い余ってたたらを踏んだ。転倒しそうになる直前で踏み留まり、ふうーっと息をついて顔を上げる。
そこでガマ警部の視線とぶつかった。苦虫を噛み潰したような、いつもの呆れ顔。木場はしばしその顔を見つめた後、ごまかすような笑みを浮かべた。
「……さっさと仕事に戻れ。行っておくが、今回事件を解決したからと言って、俺の指導が甘くなるわけじゃないからな。明日からは覚悟しておけ」
ガマ警部がすげなく言った。木場はぽかんとしてガマ警部を見返した。だが、次第にその言葉の意味が呑み込めてくると、その顔にみるみる喜びが広がっていく。
「もちろんです! 明日からまたよろしくお願いします!」
木場は勢いよく頭を下げた。ガマ警部はふんと鼻を鳴らすと、久恵と桃子と共に軽自動車へ向かって歩いて行った。ドアの閉まる音がして、次いで発車の音がする。
遠ざかっていく白い車体を眺めながら、木場はようやく日常を取り戻したことを悟ったのだった。
ー了ー
告発は紅にて 瑞樹(小原瑞樹) @MizukiOhara
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