このまま過ぎ去っても、誰にも気づかれないだろう。

 既に人生のほとんどは、この二人の部屋の中で過ぎていった。数える気にもなれなかった。恐らく、死ぬまでだ。しかし明日死ぬのかもしれないというのに、死ぬまで続くというのは無責任だ。だから、この文章はもう書かないでおく。

 決断したのは、昨日の事だ。昨日も書いていた。何か、伝えようとする物語を、絶えず書いていた。顔を合わせて話す代わりに、そうやって気力を消費していたのだった。生きていないと思われたくなかった。だから行動を起こしていた。だから、その分は既に死んでいるのだ。生きようとしている分、既に死の淵を越えているのだ。そこから、生者の領域に向かって引っ張り出そうと躍起になっているだけだ。

 ここまで言うのなら、誤魔化す必要も無いだろう。僕は間違いなく、死を恐れて行動している。だからここまで必死になっている。それもこれも、この文章において僕が生かされているからだ。現実に存在する以上に、ここにいなければならないとしたら、それはただ死を避けようとして、永遠の命を賜ろうとしているからだ。だが、そんなものはない。現に、このまま過ぎ去っても、誰にも気づかれないだろう。例え気づかれたとしても、それまでの命だ。後は消え去るだけの命だ。それを永遠というのなら、ネズミも碌に訪れない牢獄にも、永遠は有る。僕は好き好んで牢獄に滞在する趣味はない。だから、この文章もこれまでだ。


 だが、一つ心残りがある。夢追い人の事だ。僕の側で確かに生きている者の事だ。ここから見れば、文章の中でしか生きていないのだろうが……確かに生きている者の事だ。僕は彼が生きているという証明を行う為の手段として、この文章以外には何も持っていない。だから彼は、これから先のどの未来においても、生存しているとは明言できなくなるだろう。例えこの文章以外の何か別の物語において、それが可能であったとしても、どこかに歪を残す。その為に彼が存在している訳ではないし、その別の物語も、彼を存在させる為のものではない。だからそうして、彼と文章と、そしてその存在する原理との衝突によって、物語は全く不要になってしまうだろう。そうでなければ、彼が。

 彼もまた、過ぎ去っても気づかれない立場ではある。しかし、僕は覚えている。その証明の為には、この文章は欠けてはならないのだ。だが、これ以上彼を僕に縛り付けたくもない。彼が如何にして存在していようと、もう十分だ。少なくとも、もうこの様な文章を用いて、彼を僕の味方に仕立て上げる必要はない。現実において、彼は既に僕の味方である。なら、この様な文章は、単なる乱痴気騒ぎの告白にしかならない。そう思ってしまうから、僕は一般人のままなのだろう。


 僕は、僕を生きさせようとする姿勢に、限界を感じている。死ぬつもりは無い。しかし、この文章を連ねる以上に効果的な方法があるとしたら、それは自分の生活と向き合い、改善していく事だろう。少なくとも、それは過ぎ去られるばかりの文章を連ねるよりも効果的である。そうして、どこか現実的なのがいけないのだろうか。作家というものは、そうまでして感性に囚われていなければならないのか。その様に共感を示そうとするのも嫌気が差す。誰もそこにはいないのだ。僕と彼と、僅かながらの収入だけだ。それで十分だった筈だ。こんな文章で、存在させようとしなくとも……生きていける筈だ。

 夢追い人はいた。昨日もいた。今日も、まだいた。明日からは、もうどこにも存在しないのだろうか。そんなに曖昧な存在なら、既に存在などしていない筈だ。僕にはもう、その様な文章だけだ。誰にも見られない物語の中に、多量の感情をぶちまけたら、後はもう搾りかすだけだ。もはやここには、誰もいなくても変わらない。今更になって、急に何者かが手を差し伸べる事もないだろう。そうして、このまま過ぎ去っても、誰にも気づかれないのだから……ならどうして、こんな決別を表現しなければならなくなっているのか? 全く、矛盾だ。

 少なくともこの時点では、作家にはなれなかった。なりたくもなかった。だからここにいて、同じ事を繰り返そうとしているだけだ。それで良かった。それで十分なら、ここにおいてまだ足りないなどと公言しようとするのは愚かだ。もう、疲れた。この先には、特に目新しいものもない。何かを作り上げようとして、それに失敗し続けるだけだ。しかし、全く失敗している訳でもないから、何か形になるものが一つや二つできていって、それもまたやかましい事なのだ。僕は前々から解放される事を望んでいた。苦悩から、物語を生み出そうとする衝動から、死の恐怖から、彼との同居も……まあ、それ以上はいいだろう。

 僕には、もうどこにも辿り着く事はできない。そう思ったから、この文章を閉じる。それだけだ。しかし生活が閉じる訳ではないから、存在は残る。所在不明な生活は、それ故に絶えず残り続ける。僕も、夢追い人も、絶えず残っていくだろう。少なくとも、消え去るまでは。そしてそれは永遠に訪れる事はない。つまり牢獄を脱して、別の牢獄に至るのみだ。そうやって、どうしようもなく生かされる様な気がする。それでいて、全く身動きもとれないのだ。きっと、それは思い出というものだ。思い出とは牢獄だ。自分の気に入るものを、鎖に縛りつけているのを、覚えているなどと主張する卑劣な行為だ。そうでなければ、写真の住人だった。映像の住人だった。想像の住人だった。僕はこれから、そういうものになるのだろうと思った。




「あれ、いつもの日記、今日は書かないのか」

「もう書くのはやめたんだ。そんな事をしなくてもいいと思った。それだけだ」

「そうか」




 そうして、彼と僕は生きていった。このまま過ぎ去って、誰にも気づかれる事はなかった。物語なら、そこで何もかも済んでくれるかと思うと、羨ましかった。僕はここで、生きていかなければならない。物語はそこに羨望の眼差しを向けるのだ。物語はそうして、僕の人生とは関係を持たずに連なるばかりである。

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