第6話 悪役令嬢?③
ともあれ、椚木莉乃さんのことを考える。
彼女の存在を知らなかった私からして見れば、椚木さんはいきなり突然前置きもなく現れた登場人物のように思われたのだけれども、椚木さんから見ればごく自然の、伏線とかもばっちり存在した、むしろ物語の主人公であってもおかしくない登場人物であることがわかった。
これだから世界は面白い。一面からの情報では何もわからないし、違う角度で見ることによって全然違う物語が、出てくることもある。だからこそ『事件の真相』とか『○○年目の真実』とか『今だから言える○○の謎』とかが、真偽玉石交えて溢れるように出てくるのだろう。
しかし私の方は良いとして、椚木さんの方は私の存在を知っていたのだろうか。
知らない可能性もあるなと、私は思った。
高校に進学してまだ三ヶ月だし、私とユキとの仲という誤解が広まったとしても、クラスや精々選択授業で共同になる隣のクラスくらいなものだろう。学校全体に広まっているとはとても思えない。
いやでも、このタイミングで、大人しいと言われる椚木さんがユキに告白したのならば、誤解じゃない方の私とユキの仲を椚木さんが聞き付けて、危機感を覚えたからなのかもしれない。
つまりユキに仲良くしている女の親友がいると聞き、それならばその仲が進む前に早く行動を起こさなければと感じて、告白に至ったのかも。
どちらにしてもその真相は椚木さんしか知らないことだろうし、椚木さんのことを直接は知らない私がいくら推理したところで、その結果は見当違いなものにしかならないだろう。
そんなことを徒然と考えていると、深雪ちゃんに服の裾を引かれた。
いけない。深雪ちゃんのことを放っておいた。
常人ならばいざ知らず、深雪ちゃんは声を発することができないのだ。意思を伝えるには、伝えられる側の方が深雪ちゃんを視界に収めておかなくてはならない。
テレパシーかと思われる能力のわりには、伝えられる相手は限定されているし、遠くから呼び掛けるという手段もない。電話なんかも意味が無い、とか思ったのだが、記憶を思い返して見れば深雪ちゃんが友達と電話している場面は過去に何度か見たことがあるような気がした。当然その時も深雪ちゃんは言葉を、声を発していなかったのだけれども、あれは一体どうやって意思疎通をしていたのだろうか。
【ねえ、見られてるよ?】
深雪ちゃんは目線だけで私の後を促した。
促しつつ、意思を伝えてくる当たりは、たぶん高等技能なんだろうなと思いつつも振り返る。
すると見覚えのある二人の少女が、私たちの様子を窺うように見ていた。二人とも私と同じ制服。初美と牧さんだった。
いつの間に入ってきたのか、私の位置からは少し見えにくい席に座っていた。
珍しい組み合わせに私は目を丸くする。
同時に、見かけたのなら声を掛けてくれれば良かったのにと、少し納得がいかなくて首を傾げる。
「あれ? 二人ともどうしたの?」
私が問い掛けると、初美はなぜか怯えたようにびくっと体を震わせた。
「みみみ、未央こそどうしてこんな所にいるの?」
「ええと、この子と会ってたのよ」
なぜかやたらと動揺している初美の問いに私はわずかに首を傾げて、深雪ちゃんを紹介する。
「時坂悠木の妹の深雪ちゃん」
ぺこりと頭を下げる深雪ちゃんを見て、なぜか初美と牧さんは愕然とした表情をした。
思わぬ反応に私は、えっ、何っと戸惑ってしまう。すると牧さんが一歩前に出てきて、激昂した。
「あんたがそんなんだから時坂君はっ!」
「ええと、牧、さん?」
「なんでそんなにのんびりとしてるのよっ! あんただからと思って、諦めが付いたのに、あんなビッチなんかにっ」
それはもしかしなくてもユキと椚木さんのことを言ってるのだろう。
そういえば牧さんは、少し前にユキに告白して、振られているのだ。となると、初美といるのもその件が関係しているのだろうか。ちらりと初美を見ると、やや顔色を暗くしながら「ごめんね」とでも言いたげに小さく頭を下げた。当然ながらその意思は深雪ちゃんほど明確に伝わってくるものではなかったけれども。
しかし椚木さんを差して「ビッチ」とは、牧さんも酷いのではないだろうか。人からの又聞きだけれども椚木さんは中学生時代の逆ハーレム状態に、当人としても本意ではなかったということみたいだし。
……などと、のんびりと考えているのが悪かったのだろう。
牧さんはずんずんと音がするような動作で私に近づいてきて、右腕を大きく振り上げた。
間髪入れずに振り下ろされる平手は、すっと一歩下がって避けたけど。
「どうして避けるのよっ!」
どうしてもこうしても、平手打ちされようとしたら普通に避けるものじゃない?
仮にも私はかつて武道の手ほどきを受けた経験のある者だ。学校の体育ぐらいしか運動経験のない女の子の平手打ちなんて、避けないでいる方が難しいくらいだ。
しかし困ったな。牧さんが怒る理由もわからないでもない。
ユキに振られて、私とユキの仲を見て、どうにか心の折り合いを付け、ユキのことを諦めようとしたのだろう。
そこに突然、ユキに新恋人登場である。
自分の存在は一体何だったのかと、当て馬にすらならなかった事実に気付いて、自信も喪失するだろうし、怒りも生まれるだろう。ユキへの告白前に、わざわざ私に了解を取りに来るほど気の強い、自分をはっきり持った牧さんならば、尚のことだ。きっと頭の中がぐちゃぐちゃになって、何を考えて良いのかもわからなくなるのだろう。もちろんそれは私の物語ではないし、椚木さんの物語でもない。牧さん自身の物語だ。だから想像することしかできないけれども、牧さんほどユキに対して熱い想いを持っていない私には、きっといくら想像しても足りないほどの、溢れる想いがそこにはあるのだと思う。
そんな飽和した想いが、別れた恋人の妹と、平和そうにのほほんと話している私を見て、一気に崩れたのだ。
さて、そんな牧さんを落ち着かせるのには、一体何をすれば良いのだろうか。
私は早急に演技する必要を感じた。
一緒になって憤るべきか。
同じ相手に振られた者同士として、傷を舐め合う的ななんかそれで。
でもなんとなく本音でない想いで作られた言葉は、本音でぶつかってきている相手には通じないような気がして、それに加えて私自身の演技力にも疑問があるわけで、なんか違うなと思った。
だから若干涙目になって私を睨んでくる牧さんに対して、私は顔の前で右手を立てて、首をわずかに右に傾かせて、少し困ったように言ったのだった。
「えーっと、ごめんね?」
一瞬、凍り付く空気。
沈黙が通り過ぎる。
私はもちろん、深雪ちゃんは言うまでもなく、牧さんも、後ではらはらしている初美も、何も喋らない。
ほんの数秒だったと思う。静まりかえった公園の空気にいたたまれなくなり、何か喋ろうと口を開いた瞬間だった。
「ばかっ!」
牧さんは一言吐き捨てると、背を向けて走り出していってしまった。
初美は去っていく牧さんの背中と私を交互に見やって混乱している。
「初美、行ってあげて」
見かねて初美にそう声を投げ掛けると、初美ははっと気付いたように顔を上げた。
「う、うん、みお、ごめんねっ! 誤解を解いてくる!」
えっと思う間もなく、初美は走って牧さんの後を追って、喫茶店を出て行ってしまった。
慌てたようにお会計をして、少し手間取っていたから、間に合うのかどうか少し心配だ。
心配だけれども、それはそれとして誤解とは何ぞや?
意味がわからなくて首を傾げるのだけれども、なんとなく初美こそ何か誤解しているような気がする。
概ね牧さんの反応は当然のことだと思うし、正常なことだと思うのだけれども。
「なんだろうね?」
【ともあれ、今の対応は無いと思いますよ、ミオさん】
「え? どうして? 牧さん、私への追求止めて、去っていってくれたじゃない?」
私としては想定通りの行動だったのだけれども、何か拙いところがあったのだろうか。
【ああ……またお兄ちゃんとミオさんに振り回される被害者が】
小さなため息ひとつでそんな意思を伝えてくる深雪ちゃんの芸当は本当に素晴らしいものだと思う。
【妹という立場として言うんですけれども、早めに解決してくださいよ?】
とは言われても、ユキが何をしようとしているのか私は知らない。
なので解決する云々言われようとも、何をどうすれば良いのかもわからない。
だから無責任に深雪ちゃんの言葉にはうなずけない。
【何を他人事みたいな……】
完全に呆れられたようだった。
解決とは、たぶん私とユキが元の関係に戻ることで、よく考えたら私はそれの一方の当事者なのだ。というか主役だった。でもどうしてか物事はユキを中心に、たぶん動いていて、私はすべて後追いで終わった情報を拾い集めているだけ。それは無責任な傍観者やゴシップを楽しむだけの他人と変わらない状況で、どうしても当事者意識になりにくいのだった。
「困ったなぁ。本当に、ユキは何をしてるんだろう」
ぼんやりと私は恋する相手を思う少女のようにユキのことを考えてみた。
……経験がないのでよくわからなかった。
明後日の方を見ながら私はそうして、どうやら小言めいたことを伝えてこようとする深雪ちゃんを視界に入れないよう、必死に顔をそらしたのだった。
「この空の下で、ユキは何を考えてるのかしら?」
【それはいくら何でもわざとらしすぎですっ! それにお兄ちゃんは霧の中なので、この空の直下にはいませんっ!】
うわぁ、視界に入れてないのに深雪ちゃんの意思が伝わってきたような気がした。
一体どうなってるんだろう?
【私としても、どうせなら義姉さんはミオさんが良いって思ってるんですから。何せ出会ったその時から私の意思を驚かずに読み取ってくれた人ですからね】
それはたぶん、過去に色々あって私がそういった妙な出来事に対する親和性が高いってだけなんじゃないかな。
ともあれそう素直に言われることに対しては、正直照れる。
私とユキとの間にあるのが、決して恋とか愛とか呼ばれるようなものじゃないと知っているのに、それでも深雪ちゃんは、私に懐いてくれているのだ。そのこと自体には裏にどんな思惑があるにしろ素直に喜んでおくべきじゃないかなと。
「ありがとう」
私は素直に礼を返す。
時々、確かに思うのだ。
私とユキとの間にあるのは恋でもなく愛でもなく友情であり、その事に疑いはない。絶対にない。
けれども、それを永続的に社会的に一般常識的に持続させる為のツールとして、将来結婚という手段を選択することも、ひょっとするとあるのかもしれない。
それがおそらく互いにとって最も都合の良い未来だろう。
そして気付くのだ。
「そうか、私、しようと思えば結婚できるんだ」
ユキと出会って以来、無意識に諦めていた事実の、反証とも呼ぶべき事実に気付いて、私はしばし呆然とする。
その横で深雪ちゃんはまた小さく嘆息していた。
その意思は伝わってこなかったけれども、何を言いたいのかはなんとなくわかった。
ユキくんとミオさん ―Nebula City― 彩葉陽文 @wiz_arcana
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