浜辺に光る

しらす

浜辺に光る

 湿気を含んだ涼しい風が、夏の太陽にじりじりと灼かれるシャイナの額を掠めて行った。

 昨日までは家ごと吹き飛ばされそうな波風に叩かれていたが、今日は少し穏やかな波が砂浜を洗う音がする。

 石積みの塀に手を当てながら、シャイナは足元に転がる物が無いか確かめながら、ゆっくり波音のする方へと向かった。


「いい色。いっぱい流れて来てる」

 塀が途切れたところで顔を上げると、シャイナの視界はきらきらと極彩色の光に染まった。

 海が荒れると、家と塀の間で育てている野菜は潮を被って傷んでしまう。それはシャイナにとっては困る事だ。けれどこの島で一緒に生活しているアルドにとっては、あまり問題にはならない。


 アルドは野菜を食べないのだ。野菜だけでなく、そこらの木々に咲く花も果実も、シャイナが釣ってくる魚も、ほとんど食べない。

 代わりにアルドが喜ぶのは、海が荒れた後にしばしば浜に流れてくる、この極彩色の光るものたちだった。


 赤、緑、黄、青、白。

 ぐるりと見回すシャイナの目には、鮮やかで綺麗な光がそこかしこで弾けている。混ざり合っている時もあるし、色が薄かったり濃かったりもする。


 シャイナは海と浜の境ににしゃがむと、一番近くにあった緑の光に触れた。持ち上げてみると、葉っぱが数枚残ったままの木の枝だった。

 海水を吸ってびっしょり濡れ、ざらざらとする砂が張り付いている。まずは乾かすために石塀に立て掛けた。乾いたら振れば簡単に砂が落ちるからだ。

 乾かしもせず砂が付いたまま家に持ち帰ると、アルドにしばらく小言を言われる。だからこれだけは手を抜いてはいけない。


 シャイナはしばらくの間、そうして浜と石塀の間を行ったり来たりした。

「今日は緑が多いなぁ」

 と独り言を呟きながら、光るものを次々と集めていく。


 緑色の光は、大抵が草花や木だ。シャイナが食べる畑の野菜も、少しだが緑色の光を放っている。

 それにいつからあるのか分からない、庭の大きな木も綺麗な緑だ。アルドはその木が好きなので、シャイナが枝を折ったりするととても怒る。


 やがて石塀から離れたところまで足を延ばすと、赤や黄や青の光が固まっているのが見えた。


 赤や黄の光は動物やその体の一部だったものが多い。虫や魚は黄色いし、時折風に乗ってやって来る鳥たちや、シャイナと遊んでくれるイルカたちは赤い光だ。浜ではよく、黄色に光る貝殻を拾う。

 青いのは石や岩が殆どだが、アルドによると、海を隔てた向こうの広い陸地で、そこに住んでいるものたちが作った道具も多い。危ない物もあるからあまり触らないように、と言われている。


 シャイナは青く光る物たちを、そっと枝を使って脇へ除けながら、更にその向こうに見える白い光に近付いた。


 白い光は滅多に見られない。アルドが一番好きな光でもあるけれど、本当にごく稀で、様々なものに宿る光だ。

 木の枝の先の葉っぱの一枚だったり、果実だったり。石の欠片や、生き物の目の一つだったり。


 その珍しい白い光が、青い光に囲まれるようにして波打ち際に広がっていた。シャイナの寝床と同じくらいの大きさの光の塊だ。


 手を伸ばしてその光に触れると、ひやりと冷たい水を吸った布の感触に当たった。服だろうか、と思って手を滑らせると、今度はシャイナの腕と同じような、すべすべとした温かいものに触れた。

 更にあちこち触ってみると、端の方に湿った長い毛のようなものがある。

 どうやら生き物のようだけど、一体何なのだろう、とシャイナは首を傾げた。全身が白く光る生き物なんて見た事がない。


 その時、後ろでザッと砂を蹴る音がした。


「シャイナ、離れなさい!」

 アルドの声だ。初めて聞くような焦った大声を出して、アルドはシャイナの手首を掴んで引っ張った。

 いつの間にか家から出てきていたアルドは、シャイナと白い光の間に割り込むと、先端が赤く光る木の杖を握っていた。


「どうしたの?白い光だよ」

 アルドがこの杖を持ち出すのは、何か危ない事が起こる時だ。でも目の前にあるのは危険どころか、アルドが一番喜ぶものの筈だ。

「白い?」

「うん、白いよ。全部真っ白」

 他に何とも説明のしようがないので、シャイナは光の塊の端から端までを手で示した。

 周りに散らばっていた青は気になるけれど、枝越しに感じた重さや音からして、それらは小石のようだった。


「そうか……しかし妙だな。ニンゲンの魔法使いにしては綺麗すぎる」

 アルドは何か考え込んでいる風だ。白い光を前にして、そんな態度になるアルドは初めてで、シャイナは何も言えなくなった。


 魔法と言うのは、アルドが使う不思議な力だという事はシャイナも知っていた。それを使うから魔法使い、という事は察したものの、ニンゲンと言うのは何なのか分からない。

 もしかして、今まではたまたま無かっただけで、白いものにも危ないものがあるのだろうか、とシャイナは少し緊張した。


 そんなシャイナの肩を、やがてアルドが思い直したようにぽんと叩いた。

「シャイナ、飲み水を持って来れるかい?私はここで見ているから」

「飲み水だね、分かった」

 頷くとシャイナは急いで家の方へ戻って行った。





「あれ……ここは?」

 涼しい草の寝床に運んで暫くすると、ニンゲンはを覚ました。シャイナやアルドと同じ言葉を使うその生き物は、海の向こうの陸地に住む、青く光る道具を作る生き物だとアルドは言った。


 声と同時に少し動いたかと思うと、ニンゲンはすぐ側に座る二人に気付き、びっくりしたように後ずさりした。

「落っこちちゃうよ」

 慌ててシャイナが手を伸ばすと、その後ろでアルドが溜息を吐いた。

「助けてやったのに随分な態度だな、魔法使い」

 シャイナが背中に手を回したせいか、それとも不機嫌そうなアルドの言葉のせいか、ニンゲンはびくっと体を強張らせた。


 しかしすぐに思い直したように、背中を真っすぐに伸ばすと、寝床から降りて二人の前に立った。


「すみません、とんでもないところへお邪魔したようで。私はソワレと言います。この先の海で嵐に遭って……」

「名乗る必要はない。食事を済ませたら早く出て行ってくれ。この島の事は他言無用だ」

 ぴしゃりと言い放つアルドの言葉はひどく冷たい。シャイナにはいつも優しくて、少々失敗をしても怒らないのに、まるでそこにニンゲン―ソワレが居ること自体が気に入らない様子だ。


「アルド、どうしたの?」

「何でもないよ。シャイナは知らなくていい事だ」

 シャイナの方を向くと、途端にいつもの穏やかな声に戻る。首を傾げながらも、アルドが言う事は間違っていないと、シャイナは知っている。厳しい言葉を使う時は、大抵シャイナの身に危険が迫っている時だ。


「そうだシャイナ、浜に青く光る物があっただろう?」

 ふと思い出したようにアルドに言われて、シャイナは頷いた。

「うん、いっぱいあった。でも触ってないよ」

「ああ、その方が良い。でもあれはこの者には必要な物だ。拾ってきておやり」

 そう言うと、アルドはシャイナの手に手袋をはめた。柔らかくて薄い手袋で、中はひんやりサラサラとしている。石の粉を塗してあるのか、表面は薄青く光っていた。


「分かった、行ってくる!」

 多分、アルドはシャイナの居ないところでソワレと話をしたいのだ。それに気が付いたシャイナは、急いでまた浜へと向かった。





「……その様子では、我が同胞はもう大陸には居らぬのだな」

 シャイナが石塀を伝って浜へと向かうのを見送ると、アルドと呼ばれた男は口を開いた。ソワレは咄嗟に背筋を伸ばし、その顔を正面から見た。

「ええ。私はエルフ滅びし種族に会うのは初めてです。書物で絵姿を拝見した事はありますが、それも魔法使い以外には伝えられていません。私達も今や、数少ない生き残りのようなものです」

「そうか。ならばそれで良い」


 アルドは重々しく頷いた。不意に強い風が、シャイナが開け放っていったドアから吹き込んで、二人の間を吹き抜けた。


 かつて人間に魔法を教えたという一族、エルフ。彼等は人間に生存を脅かされ、自分たちの国を丸ごと空に浮かせるという強大な魔法を使った。

 しかし後にそれが元となって、地上では魔法使いと一般人に分かれて争い始め、やがて大陸全土を巻き込む戦争に発展した。熾烈を極めた戦争に、勝利したのは一般人たちだが、多くの種族が絶え、大陸の魔力はほぼ失われてしまった、と伝えられている。

 魔力を糧に生きるエルフも、戦と後の魔力の枯渇で、大陸では完全に滅びたと言う。


 しばし黙ってアルドを見つめたソワレは、その目に憐れみとも寂しさともつかぬ色を見て、静かに口を開いた。

「貴方はいつからここに?」

「もう覚えて居らぬ。我が同胞が人間の手を逃れようと陸を浮上させる前から、私はずっとここに居る」

「人間と共にですか?」

「いいや。シャイナは十年前にこの島に流れ着いた子供だ。それまでは漂着する者が居ても、すぐに立ち去らせた」

「では、何故彼女をここに置いたのです?」

「質問が多いな、お主は」

 つい勢い込んで質問を重ねたソワレに、アルドは鬱陶しそうに目を眇めた。


 ソワレが乗り出しかけていた体を引くと、アルドはドアの向こう、浜の方へと視線を移した。丁度シャイナが、拾ってきた何かをそっと籠に入れていることろだった。


「彼女は目が見えない。ああして動き回れるのは、ものの場所を覚えているこの島の内だけだ」

「目が見えない?でもさっきは、青く光る物があるだろうと言いませんでした?」

 ソワレはシャイナの手元を見つめた。手のひら一杯に拾ってきたらしい石は、どれもソワレが弟子に作らせたものだ。条件が揃うと魔法が発動するもので、商売道具でありお守りでもある。


「彼女には魔力の宿るものが光として見えるらしいのだ。それによって物の区別もある程度つくらしい」

「魔力が光に見える……?それは、魔法使いにとってはこれ以上ない素質ではないですか」

「そうであろうな」

 言外の意味を感じ取ってか、アルドはふっと息を吐いた。


 体を起こしたシャイナは二人の視線を受けても、気付く様子もなく浜へと戻って行った。

「陸へ帰すことも考えたが、彼女の両親は死んでいたのだ。身内がどこに居るかも分からない。その上あの目では、どんな危険があるか分からぬだろう」

「……そうですね」


 ソワレにとっては羨ましいほどの才能だ。人前に出られないエルフと二人、こんな小さな島で隠れるように暮らすのは惜しい程に。

 だが同時に、大陸中を旅したソワレは、待ち受けるであろう困難も知り尽くしている。魔法使いの家に生まれ育ったというだけで、ソワレが負ってきた苦労は一言では語り尽くせない。


 戦に敗れ、魔力の失われた世界で生きる魔法使いに対して、向けられる人々の視線は今も冷たい。

 自分が育てた子に、目も見えず助ける者も居ないまま、そんな苦しみを背負わせたくないのは当然だ。


「お主は白い光に見えると、シャイナは言った」

「白い光、ですか?」

「ああ。魔力の中でも最も純粋で、何者の影響も受けぬ強い力だ。お主、魔法使いの格好はしておるが、魔法は使えぬのだろう?」

「……よくお分かりですね」

 突然痛いところを突かれて、ソワレは苦笑した。


 弟子が居なければ何も出来ないソワレは、正確にはただの魔法使いの家の子だ。せめて本当にその力があれば、とずっと思い続けてきただけに、余計にシャイナが羨ましいのだろうと、言い当てられてしまったようなものだ。


 だがアルドは存外優しい目をすると、不意にソワレの頭をそっと撫でた。

「その光を纏う者は、魔法など使えずとも、常に魔力に守られておる。だがその力ゆえに、望まぬ運命に導かれることもあろう。シャイナはそれを逃れる代わりに視力を失ったのだ。羨む事ではない」

「そうですね……、そうなのかも知れません」


 再び石塀へと戻って来たシャイナは、手に持って来た物を全て籠に入れると、満足そうに微笑んで、その横にちょこんと座った。


 見えない筈の目で空を見上げ、嬉しそうに笑う。まるで空の青さが見えているかのように。

 いや、彼女にはきっと見えるのだ、とソワレは思った。両親を失い、この小さな島から出られず、目も見えずとも、彼女は光を知っているのだから。


 雲一つない空を同じように見上げながら、シャイナに礼を言おうとソワレは立ち上がった。

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