#物書きさんと繋がりたい
有紀さんの返信を見てから寝付けなかった。癒し効果のある音楽を聴いても、本を読んでも睡魔がやって来ない。何をしたらいいか分からないけど、心は遠くへ行きたいみたいだった。画面の奥にいる有紀さんを抱き締めたい。自分勝手な欲求が鎮まらなかった。こんな憂鬱を忘れる方法は一つだけある。
「凛緒、こんな夜更けに何を作ってるの?」
バニラビーンズの香りに、母が二階から降りてくる。早出でも、あと三時間は眠れるのに。卵液をザルでこしながら答える。
「カスタードプリン。フライパンを使うから手軽だよ」
「来週帰ってくる父さんに言ってあげなさい。単身赴任で自炊するの無理って思い込んでいるから」
「まだインスタント?アレンジレシピを検索すれば見やすいのに」
俺は食器棚からココットを六つ出す。白い陶器はカラメルの色に映える。出来栄えが楽しみだ。
ココットに卵液を注ぎ、アルミホイルで蓋をする。茶巾を入れたフライパンに乗せ、三分の二の高さまで水を入れた。火の番人になったつもりで、プリンの様子を見守る。
「凛緒の味を気に入ってくれるといいわね。可愛いケーキ箱を買っておいたから、自由に使って。私はもう一眠りするから」
「ありがとう、母さん」
母には見通されている。適わないなと思った。
「こんにちは。向かいの天城です」
俺は宮田さんのインターホンを押した。右手には、冷蔵庫で冷やしたプリン。
ドアの隙間から、大人しそうな男性が顔を出す。年齢は二十代後半くらいだ。
「すみません。宮田政子は留守にしておりまして」
「そうでしたか。では、息子さんからよろしくお伝えください。以前、お母さまからいただいた夏野菜のお返しです。生ものなので、早めにお召し上がりください」
男性はケーキ箱を受け取り、遠慮がちに言った。
「僕は、よそ者なんです」
「えっ?」
俺が聞き返すと、男性は婿養子だと告げる。
「旧姓は藤堂。藤堂勇輝です。漢字は、勇ましく輝くです」
有紀さんのペンネームと字が違った。俺は小さな驚きを覚えながら名乗る。
「では、勇輝さんと呼ばせてもらいますね。俺は凛緒と言います。凛として兜の緒を締める。戦国武将好きの父の名付けなんです」
俺の名前に、勇輝はハッとしたようだった。
「凛緒さま、ですか?」
勇輝の中で、戸惑いと嬉しさの比率がどうなっているか分からない。彼が有紀さんかどうかも確信が持てない。
俺は不安が伝わらないように拳を握る。胸を張って勇輝と向き合った。飾らない高校生の素顔を晒す。プライバシーに踏み入れた俺が見せた、なけなしの誠意だ。
「はい。俺はカクモンに小説を投稿している、物書きのはしくれです」
沈黙が怖い。家族以外に初めて告白した、凛緒という書き手の正体。俺は勇輝の返事を待った。
勇輝の頬に涙が伝う。
「僕が有紀の中の人です」
消え入りそうな声が俺の思考を停止させる。信じられない気持ちでいっぱいだった。ネットで出会った恩人が近くにいたなんて。
17音の言葉から有紀さんを知ったころは、女性だと思っていた。想像していた人物像とはかけ離れているが、勇輝の姿に納得する自分がいた。
俺は勇輝の濡れた頬を凝視する。綺麗だ。軽く触れただけで壊れてしまうような、飴細工を彷彿とさせる繊細さに惹かれた。……って、何見とれてやがる。俺は我に返った。
わああああ! 泣かないでください!
有紀さんに頭を下げる。
「同意のないオフ会は嫌ですよね、家に押しかけて来るのはモラルのない行動でしたよね」
「凛緒さまは引かないんですか? 有紀さんと慕っていた相手が、冴えない専業主夫で」
細い指が目尻を拭う様子に見とれてしまう。静かに泣く光景をいつまでも見たいと思ったことは初めてだ。
俺は咳払いをした。
「家事を頑張ることの、どこに冴えない要素があるんです? それより、有紀さんの方こそ幻滅したでしょう。可愛い女の子じゃなくて申し訳ないです」
前半に上向いた勇輝の視線は、後半でふらつき出す。可憐な女性だと思っていたのはお互い様か。
拒絶されると思った邂逅は、カラメルほど苦くなかった。
満開だった向日葵が種を落とし始める。
夏休み最後の日は、真緒の自由研究を手伝わされて幕を閉じた。夏の季語で俳句を一例ずつ作るなんて、切羽詰まったときにやるテーマではない。おかげで一ヵ月分の創作意欲が失われてしまった。俺はベッドに身を沈める。
本日の営業は終了いたしました。そんな張り紙を出したくなる。なのに、スマホの着信を放置できなかった。
『凛緒さん、凛緒さん。老木は気になる呟きを見つけてしまいました。説明責任を果たしてください!』
俺は山椒の木さんのメッセージに貼られたリンクに飛ぶ。
もえにゃん@maguromaguro
有紀さん、ごめんなさい。凛緒さんに猫のことを話してしまって。
藤堂有紀@yukitoudou
もえにゃんさま。結果オーライなので大丈夫ですよ。今は実家の小雪に癒されています。離婚が成立した効果もあるのでしょう。もえにゃんさまと、凛緒さまのお二人に感謝します。近々、新作をカクモンに投稿するつもりなので、そのときはお手柔らかにお願いしますね。
俺は、勇輝と初めて会った日の会話を思い出した。赤く腫れた目を冷やした方がいいと言うと、中へ招き入れられた。
「何でもない日に母が作ってくれたような、素朴な味がします」
勇輝はプリンを食べながら、幸せそうに笑みをこぼした。
専門学校を卒業してから実家のケーキ屋を継いだんですよ。懐かしそうにココットを撫でる。
「勇輝さんみたいな優しい店員さんがいるなら、毎日でも通いたいです」
「あのころは良かった。だけど自己破産して、借金を抱えて。瑞穂との婚約を解消しようと思うくらいには、追い込まれてしまった」
「借金は返済できたんですか?」
「お義母さんが全て出しました。『事業に失敗したあなたには家庭に入ってもらいます。会社経営で忙しい瑞穂を支えること、それが結婚の条件です』と言って」
「そうだったんですね」
「お義母さんからは能天気でいいわねと羨ましがられ、妻からは専業主夫が口出しするなと諫めされる。シラフのときに離婚しても困らないと言われたのは、さすがに堪えました」
俺は山椒の木さんに返事を書いた。
『俺は話を聞いただけですよ。倒れている向日葵が支えを必要としているように』
『向日葵?』
きょとんとする顔文字に、俺と有紀さんの秘密だと心の中で呟く。画面を戻してSNSのプロフィールを編集した。
小説家見習い。りおと呼んでください。
はしくれと呼ばないで、俺と同じ夢を追ってくれる人が言ってくれた。傷付いた心を修復している彼のために、俺は支えになれる物語を書きたくなった。
「一行でもいい。俺の言葉があなたの居場所になりますように」
中途半端な結末にしてしまった「少女は鬼に」を最後まで読んでくれた方へ。
カクモンから逃げた自分を歓迎してくれた方へ。
ともに切磋琢磨してくれる方へ。
そして、初めましての方々へ。
見習いの文字が消えても、俺は俺の世界観を貫く。ネットの声に一喜一憂しながら進み続ける。
凛緖@hatennkou
筆を折る覚悟はできていた。だけど映画を見ても、音楽を聴いても書く楽しさを忘れられない。自作は小説と呼べる代物じゃない。背伸びした言葉を並べただけだ。いいねのつかない呟きが評価を示している。それでも心の支えになる文学を手放せない。思いを言葉にして、この瞬間を生きていると実感したい。
凛緖@hatennkou
#140字小説「消せない思い」
#ほぼ実体験
#物書きさんと繋がりたい
#物書きさんと繋がりたい 羽間慧 @hazamakei
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます