#140字小説「雨」

 蝉の喧噪が染みついた耳に、雨の音は心地良く響いた。

 夏期講習から解放された翌日は、もともと予定を立てていなかった。海もプールも、ゲーム画面でいくらでも見られる。家でネット小説を書く方が青春だった。


 チラシ裏に書いたメモを見ながら、マウスを操作する。


 あの高みに届けと、必死に言葉を紡ぐ。ネット発のラブコメ、たった一冊の出会いが知らない景色を教えてくれた。憧れの作者と同じ戦場サイトで夢を追う爽快感。書籍化を勝ち取ったフォロワーさんへの羨望の眼差し。他の書き手が創り上げた物語世界が見せつける、俺の実力不足。


 小説が好き、文章を書くことが好き。熱意だけでは埋もれてしまう。ネットには詩や140字小説、短い時間に楽しめる言葉もきらめく。一目見ただけで、手に取りたくなる物語を作らないといけない。そうしないと、星の海から拾い上げてもらえない。どんなに面白いものを作っても、認知されないと意味がない。だから、読んでもらうことに執着していた。


 俺はキーボードを力強く叩いていた。この作品と出会って良かったと、誰かの心の支えになりさえすればいい。その誰かの中には俺も含んでいる。


 連載再開を待ち望んでいた読者のために、できるだけ多くの話を届けたいとは思う。でも、途中で投げ出した小説を、書き続けるのは精神的にしんどい。無理に引き延ばした世界が劣化していることぐらい、作者おれが一番分かっていた。


「目指していた結末とは違う。俺以外の書き手なら、もっと感動させる筆致になるはず。ごめんな。もっと輝かせてあげられなくて」


 雨音が激しくなる。

 種族を超えた愛の形。俺なりの答えを書き終えた。


 鬼を恐れる人々に対峙する雪菜。かつて生きることを諦めていた少女のおもかげはない。力強く説得する横顔の美しさに、松寿丸が惚れ直す。

 ベタな展開だ。批判的な意見が書かれるかもしれない。それでも自分の選んだ選択に胸を張る。


 了という文字に、祝福してくれる人がきっといるから。


 コンコンコンコンコンコン。


「怖っ。夜の十時だったらホラーだぞ」


 俺はドアを開けた。スマホを持った真緒が飛び込んでくる。


「お兄ちゃん、完結ってどういうこと? またヤバい輩に捕まったの?」

「真緒さん、足をどけてください」


 三十キロくらいの体重でも、一点に負荷が掛かると骨折しそうだ。そう指摘すると、真緒はキッと睨みつける。


「質問に答えて」

「えーと。俺が完結したいと思ったからです。誰に影響されたとかはありません……よ?」


 言い終わる前にツインテールが抱きついた。首がっ、首が絞まるううううう。

 真緒は俺の頭を撫でる。


「良かったぁ。ネット依存に逆戻りするのかと思ったよ」

「スランプのときはご心配をおかけしました」


 心の隙間を埋めるため、文章をむさぼった日々を思い出す。蝉の抜け殻のように褪せた俺を、見守ってくれていたんだな。

 真緒は俺から離れると、くびれのない腰に手を当てた。


「今日の昼ご飯は私が担当するよ! 二日酔いのお母さんを叩き起こして、親子で料理する課題を終わらせるの」

「お、おぉ。真緒の料理が楽しみだな」


 台所の後片付けは面倒だが、真緒の頑張りを応援したい。真緒の足音が聞こえなくなった後で息をつく。

 自立してほしいと願ったのは自分なのに、何だかなぁ。


 パソコンに向き直ると、有紀さんからDMが届いていた。有紀さんの「口紅」にコメントを書いたことへの感謝が綴られている。


『優しいですね、凛緖さまは』

『当然の評価ですよ』


 いいものは素敵な作品だと褒めたい。嫉妬して作品を貶すのはお門違いだと思う。

 俺が返信すると、有紀さんは「私の嬉しさを分かっていないですね」と言う。


『自分にとって、小説の中だけが自由でいられる場所なんです』


 同じですと入力する前に、有紀さんからのメッセージを受信した。


『家に居場所がないから。実は、家族に料理を捨てられているんです。結婚する前は、あんなことをする人とは思わなかったのに。バカ舌だって言われるのがつらい。でも、仕方ないですよね。自分の味付けが壊滅的なのが悪いんです』


 結婚。


 幸せオーラ漂う二文字に、葬式のような重苦しさがあるとは思わなかった。

 既婚者には手を出せない。さよなら、俺の片思い。


 俺もう再起不能だわ。

 扇風機の風に、敗者の叫びを送る。


「勝手に恋して舞い上がったのが恥ずかしすぎる。人生の汚点だああああああ」


 好感度を上げれば、初彼女ができるかもしれない。そんな魂胆でDMを送った報いが来たのだ。


 すみません、こんな下心のある奴で。俺はメッセージを読み直す。失恋のショックが強すぎて、途中しか目を通していなかった。


「何だよ、これ。愛情込めて作った料理を捨てるなんて、人間のすることかよ」


 真緒は俺と喧嘩しても、出された食事は残さない。食べ終わった後で、素直に謝ってくれる。我慢ならないことがあったにせよ、食材と労力を無駄にする行為は看過できない。有紀さんが不憫だ。


『有紀さん、旦那さんのこと好きですか?』

『結婚したときは愛していました。私が一番しんどいときに支えてくれた恩もある。でも今は、愛なのか義理の付き合いなのか分からなくなる』


 そろそろ昼食を作らないといけないので一旦失礼します。有紀さんの言葉に、俺は引き留めるべきだと思った。でも、何のために。


「仕事と言っておきながら、全然作業していないじゃないの。パソコンでおしゃべりして」


 宮田さんの家から罵声が響く。


「アイロンは下手。料理もろくに作れない。安売りの出来合いなんて、瑞穂が可哀想です。出て行きなさい。跡継ぎを作れない穀潰しは、この家にいりません!」

「お義母さん、待ってください。駄目なところを直します。だから、もう一度だけチャンスをください」


 嫁姑バトルかよ。俺はスマホにイヤホンを差した。窓が開いていますよと指摘して、両者から罵倒されたくない。テツトの歌に元気をもらおう。


 動画を再生しようとしたとき、子供のような嗚咽に目を見張る。


「僕の料理を捨てないで。洗濯物を洗い直さないで。リアルでも居場所をください」


 俺の右手は勝手に動き出していた。


 凛緖@hatennkou

 #140字小説「雨」

「雨のきみも綺麗だね」僕は濡れた髪をハンカチで拭いてあげる。きみは俯き、セーラー服のリボンを弄ぶ。先輩、勘違いさせないでください。かぼそい声は、マイクの前で豹変する。「皆さん、おはようございます。今日も元気に過ごしましょう」凜とした彼女の耳が赤いのは僕だけの秘密。


 有紀さん、すぐにコメントをください。向かいの住人と同一人物ではないことを証明してください。

 祈るように画面を見つめる。思い過ごしであってくれ。


 返事は日付が変わったときに来た。

 

 藤堂有紀@yukitoudou

 凛緖さま、素敵な物語に泣けました。恋の綺麗さがずっと続けばいい。この先の人生をともに歩みたい、なんて欲張らなかったら。大人になると、後悔の方が幸せを押し潰してしまいます。凛緖さまは、どうか優しい世界観を大切になさってください。

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