あってもなくても

「もう、百合香ゆりか、何やってるの!」


 慌てたように言うなり、清香きよかは百合香ちゃんの小さい手からペンを取り上げた。自宅で、機嫌よく遊んでいるからって子供は油断できない。何度も痛い目を見てるのに、つい目を離した隙にやつらは思いもやらないことをしでかしてくれる。

 清香の娘の百合香ちゃんはもう五歳。口も手も器用になってきてるからなおのこと、清香ママへの口答えも一人前だ。


「ゆあちゃんとおそろいにするんだもん。ゆうちゃんもよろこんでるもん!」


 ゆあちゃんこと結菜ゆうなは、私の娘だ。百合香ちゃんにころんと転がされて、服の裾を捲られて。剥き出しになったお腹には、ハートやお花が色んな色で描かれている。子供だけで遊ばせていて、少し目を離したらこれだ。私と同じくお臍がない結菜のお腹は、百合香ちゃんには手ごろなキャンパスに見えたのかも。


「良いんだよ、清香きよか結奈ゆうなもご機嫌だし」


 結菜を抱き上げて、百合香ちゃんの「作品」を目の高さでじっくりと見る。うん、いつかお風呂で見せた淫紋を、百合香ちゃんはよく観察して再現してる。お臍のあるなし、可愛い模様いんもんのあるなし、子供には複雑フクザツだろうけど、だからこそ気になっちゃうんだろうな。


「でもこれ、油性だよ? 幼稚園で怒られない?」

「むしろ自慢しちゃう。ゆりちゃんに描いてもらったんだ、って。ママとお揃いだしねー?」


 お揃い、は私と清香にとっていまだに特別な言葉。結菜のきゃあきゃあって無邪気な笑い声とあいまって、清香の怒る気力を失くしてくれるはずだ。


「もう……ごめんね、うちの子が」

「『お姉ちゃん』に遊んでもらったんだもんねー? 可愛い模様、嬉しいよねー?」


 年齢一桁の幼児に淫紋、なんて言葉を教えるのはさすがに躊躇われるけど、色んなお腹の人がいるんだよ、って早めに教えておくのは悪いことじゃないはずだ。百合香ちゃんは、そのうち自分にだけお臍があるのを不思議に思うんだろうし、清香ママを恨むこともあるかもしれない。そんな鬱憤のはけ口に、自分の身体に落書きしても良いんだよ、それでも生きてけるよ、っていう実例になってあげたい、なんて余計なお世話かもしれないけど。


「ママもおそろいにしないの?」

「うーん……ママはねえ、百合香の弟か妹を作るかもしれないから」


 百合香ちゃんは、怒られたのを忘れたかのようにけろりとした表情で清香を見上げて首を傾げてる。幼い我が子に淫紋を勧められるってのもなかなかシュールな状況だ。苦笑する清香の答えに、百合香ちゃんはぱあっと雲が晴れるようにきらきらした笑顔になる。


「おとーと! いもーと!」

「分からないけどね。お腹で産むか、人工子宮にするかも決めてないし」


 臨月の清香のお腹を触らせてもらったけど、びっくりするほど大きくなってぱんぱんだった。あれじゃ淫紋も伸びちゃう。あれは子宮切除手術が普及したから流行ったファッションなんだなって、あの時私はやっと実感したものだ。


「でも、百合香はお臍がお揃いのほうが良いかなー?」


 子宮がない私は、お腹を痛めて結菜を産むことはしなかった。できなかった。だから私自身の負担としては楽なものだったし、人工子宮の中で育っていく結菜を見守りながら大学に行くこともできた。学生結婚もも、今はそう珍しいことじゃない。

 清香だって、出産直後はもう二度とご免、みたいなことを言っていたんだけど──子供に色々見せておきたいって気持ちはこの子も同じなんだろう。百合香ちゃんが将来どんな選択をするか、その材料にするためならもう一度身体を張っても良いと思っているらしい。


「おそろいでも良いし、ゆりかだけのおへそでも良いー!」

「百合香……」


 百合香ちゃんに抱き着かれた清香に代わって、私は彼女の目に滲んだ涙を拭ってあげた。私の目については、瞬きをして誤魔化して。

 どちらでも良い、って言ってくれることがどれほど嬉しくて心強いか。将来の選択に任せた百合香ちゃん、世間に倣って手術を受けさせた結菜。どちらが良かったのか、どちらがより幸せなのか、親は心配で申し訳なくてならないっていうのに。何も知らない子供だから言えることだとしても、いずれ責められるとしても、子供たちの笑顔はとても眩しい。


 私たちはみんな、何かしらの烙印を負って生きていくのだろう。

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Girls with Dirty Stigma 悠井すみれ @Veilchen

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