後編
あっという間に8月8日が来た。
翔くんからは事前にテレビ電話のお誘いも来ていたから、メイクも服も頑張った。
そしてドキドキしながら、意識はずっとスマホへ。
それなのに、翔くんは、テレビ電話をしてこなかった。
「もうさ、何この暑さ。人が住める土地じゃない」
「あのさ、この暑さの中、住んでる人が目の前にいるんだけど」
画面から出てきちゃったアイドルでも目の前にしたような私は、興奮するどころか、とても冷静になっていた。
お母さんが朝からニヤニヤしていた理由がこれだったなんて!
親同士も仲が良く、事前に話は済んでいたようで、知らなかったのは私だけだった。っていうか、勘違いしていたせいで、気付けなかった。
「あ、ごめん。でもさ、もう外に出ない方がいい。こんなん、倒れる」
「じゃあなんで、翔くんはここに来たの?」
そうだよ。なんで来たのさ!?
自分の部屋に、大好きな人がいる。
それなのに、目の前にいる事が夢みたいで、私は幸せに浸れないでいた。
「大切な話があるって、俺、書いたよな?」
「書いてあった。テレビ電話で話すのかと思ってた」
「あ、そーいう事。どうりで反応がおかしいと思った」
「ごめん」
翔くんを見た第一声が、『げっ!!』だったからね。そりゃ、こんな暑い日に東京に来てくれた翔くんも、変な顔するわ。
「今度からちゃんと書いとく」
そう言うと、翔くんはなぜか、私の隣へ来た。
カランと、アイスミルクティーの中の氷が、私の心臓の代わりに音を立てた気がした。
「あのさ、話、聞いてくれる?」
「そのために、ここに来たんでしょ? もう思う存分、話していいから」
お互いの成長は、画面を通して知ってる。
それなのに、いざ目の前にすると、こんなにも違うのかって、思った。翔くんの背はものすごく高くなってたし、体つきもしっかりしてて、知らない人みたい。
笑った顔だけが、昔の翔くんの面影を残していた。
「もうさ、ずーっと、我慢してきた。去年バイト頑張って、お金貯めて、ようやく、彩花ちゃんに会いに来れた」
「そんなに頑張って、会いに来てくれたの?」
翔くんはもっと違う事を努力した方がいいよね……。
彼もよくわからない行動を取るので、お互い様だなって、私は考える。
「ずっと気持ちを伝えてきたからわかってると思うけど、俺、彩花ちゃんの事、本気で好きだから」
「…………は?」
いきなり頭を叩かれたような衝撃に、私の口から低い声が出た。
「え、何その反応」
「ま、待って。ちょっと、何言ってるのかわかんない」
冷房が効いた部屋なのに、翔くんの言葉を理解した私の体温は急上昇した。
「俺の気持ち知ってて、彩花ちゃんは気付かないフリしてたんじゃないの?」
「えっ、何それ? 初耳なんだけど」
「いや、今日初めて言ったから。え、何これ?」
お互い同時に首を傾げる。
きっと表情も同じだろうと思ったら、笑えてきた。
「翔くん、驚きすぎ」
「え? やっぱ、気付いてた?」
「いや、全然」
「俺の今までの努力って……」
ガックリって音が聞こえてきそうなぐらい、翔くんが肩を落とす。
なんだか居たたまれなくなって、私は置き去りにされていた彼の麦茶を差し出した。
話を聞いていると私が原因っぽいから、これぐらいはしておかないといけないなって思う。
ちょっとまだよくわかんないけど、これで少しは私の罪悪感が薄まった気がした。
「……あのさ、彩花ちゃん、前に言ってたよな。友達の遠恋が大変そうだって」
私から麦茶を受け取った翔くんはひと口飲むと、ぽつりと呟いた。
「覚えてたの?」
遠回しに翔くんへの不満をぶつけてしまった時の事を言われ、私の体が一気に冷えた。
「うん。だってさ、それが理由で、俺は眼中にないって言われたと思ったから」
え……、とんだ勘違いだけど!?
慌てた私は必死に言い訳を考える。
その間も、翔くんは話し続けた。
「それなのにさ、彩花ちゃんはいつも俺の事励ましてくれるし、一緒のもの好きになるし、文通だって続けてくれるし。俺の気持ち知ってて、幼なじみだから、合わせてくれてると思ってた。それなら俺が諦めなきゃいいって思って、気持ち、伝えに来た」
更に距離を詰めてきた翔くんの真剣な顔に、私の心臓が騒ぎ出す。
「俺、こっちの大学受験する。距離だけが問題なら、その距離を無くす。だから待ってて。絶対彩花ちゃんの事、振り向かせるから」
「そ、それだけで進路決めちゃダメだよ!!」
まさかの宣言に、今度は私の胸が痛み出す。
「俺、やりたい事あるんだ。昨日それができる大学の下見して、やっぱこっちで頑張ろうって思った。だからさ、今日、直接話したかったんだ」
翔くんがそんな事考えてたなんて、知らなかった。
たくさん話してきたのに、お互い、知らない事がまだあったんだ……。
翔くんの気持ちを知ったんだから、私も伝える。
そう思って、アイスミルクティーで口を潤した。
「私も、ずっと、翔くんの事が、好き、だった」
「えっ?」
「翔くんが、私の初恋。『俺が引っ越しても寂しくないように、手紙たくさん送るから』って言ってくれて、嬉しかった。『やっぱり昔からお互いを知ってる相手だと安心する』って言われるのも、すごく嬉しかった。でもそれは全部、翔くんが優しいからだと思ってた」
勢いで言い切り、私はまたアイスミルクティーを飲む。もう味なんてわかんなかったけど、私の想いを更に吐き出させてくれるには、充分な飲み物だった。
「『髪の毛の長い彩花ちゃんが可愛い』って言葉に、私はドキドキしてた。でもこれも、髪の長い子が好きなんだって、思ってた」
「待って。え、嘘だろ。俺、誰にでもそんな事言わないし、彩花ちゃんだから可愛いって伝え続けてたのに。もしかして、傷付けてたのか?」
「ははっ。勝手に勘違いしてただけ」
慌てて笑って誤魔化したのに、心配そうな顔の翔くんは私の髪に触れてきた。
「それで切っちゃったの?」
「……うん。髪、短くなったらこの恋も終わるのかなって、思って。でもさ、翔くんが可愛いって言ってくれたから、終わらなかった」
私は恥ずかしくなって、翔くんを見ないようにしながら、アイスミルクティーを飲み続ける。
すると、彼がぽそっと呟いた。
「それ、美味しそう」
「えっ、これ?」
「いつもさ、俺の手紙読む時、飲んでるって言ってたよな?」
「うん」
「もらっていい?」
「いいよ」
あ、これ、間接キスじゃ……。
翔くんに渡しながら、体の熱を全部集めたように顔が赤くなったのがわかる。
そんな私に、何故か翔くんの顔が近付いきて、驚きで固まった。
ふわっと、柔らかい何かに口を塞がれたけど、それはすぐに離れた。
「あっま」
「……い、今のって……!!」
いつもと違う、男の人の顔をして笑う翔くんに、私の胸が痛いほど高鳴る。
「今度からこれ飲む時は、今日の事思い出して。俺が彩花ちゃんを好きな気持ちは、ずっと変わらないから」
アイスミルクティーよりも甘い翔くんの声に、私の今まで我慢してきた気持ちが爆発してしまった。
「い、今のじゃ、すぐ、忘れちゃうから、も、もう1回、してほしい」
溢れ出す感情とは裏腹に、私の声はとても小さかった。でもまたすぐに会えなくなっちゃうなら、もっと翔くんを感じたくて、勇気を出した。
「それ、反則」
顔を覆ってる翔くんの耳は真っ赤で、私も自分が同じ色をしたままだったと気付かされる。でもそれがなんだか嬉しくて、くすりと笑った。
そんな私へ向き直し、彼は赤い顔をさらけ出して、近付いてくる。
「俺の彼女は昔も今も、可愛すぎる」
それだけ呟くと、また翔くんの柔らかな唇が優しく触れる。
きっとこの思い出が甘すぎて、これから飲むアイスミルクティーは何もしなくても甘く感じそう。そう思えるぐらい、彼との口づけは蜂蜜のように私の心に溶けた。
薄まる事のないアイスミルクティー ソラノ ヒナ @soranohina
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