第69話(最終話) キスの魔法


 王都とさだめられて以来ずっと王族たちが住まいとしてきたお城は何百年ものあいだに改築増築、お色直しだ修繕だと普請をかさねて、すっかり迷路のようになっている。巨大な迷路についさっきまよって半べそになってたこともわすれてエㇽダは、好奇心のおもむくままそこらの枝道にすぐ逸れてしまう。案内役のはずのサラは、むしろエㇽダにひっぱられるかっこうだ。

 やっと中庭に出たところで、ちいさな女王が侍女にかしづかれて歩くのに出くわした。ドレスは今日も女王をすっぽりおおって、空とおんなじあわいみず色。

 女王は顔じゅういっぱいのみをサラに向けたあと、となりのエㇽダを見あげた。

「あなたがエㇽダね?」

「そうだよ。そう言うあんたは女王さまね、サラから聞いて知ってるよ」

 でもエㇽダは女王さまがなんなのかってわかっていないしその扱いはたぶん使い魔と大差ない。



 みんなそろって、向かっていくさきは女王の花園。その花園にはいる門のまえでは騎士の正装をした男がうずくまっていた。

「エド!」

 エㇽダが声をかけると騎士は顔をあげて、いっしゅんうれしそうに顔をかがやかせたあとまたゆがめた。

「どうしたの? だいじょうぶ?」

「ああ……まえの戦の傷がひらいたようでね」

「それはたいへん。あなたたち、御典医のとこへ連れてってさしあげて」

 女王につきそう侍女ふたりにサラが指図すると、ふたりは顔を見あわせた。あこがれのエドワードとお近づきになるチャンス……ではあるのだけれど、

「私たちは女王さまのお側から離れるわけにはまいりません」

 そう答える侍女たちの顔はとってもせつなく無念そう。

「あらそお? じゃ、私の部屋へ連れていきましょう」

 エドワードの表情にはまた苦悶がうかぶ。その髪に手をおいて魔女は妖艶にわらった。

治してさしあげますわね」

「待ってくださいませ……!」

 思いつめた声で侍女が魔女をとめた。「かしこまりました。私がエドワードさまをお連れいたしますわ」

 魔女はにっこり。

「では頼みますわね。ひとりでは支えきれませんよ、ふたりの肩をかしてさしあげて」


 そうして侍女ふたりがエドワードによりそって歩くのを見おくって、サラと女王は目を見あわせた。どちらの目にもくふふとみがうかんでる。

「作戦成功」


 それから三人で花園にはいると門をとじて、エㇽダがこんこんとその門をたたいた。

「サンガ。聞こえる? ここ」

 そう言って、花園から城へとぬける門のむこうの様子をうかがった。

「おしろへもどるの?」

 心ぼそげに見あげる女王さまの髪を、魔女はやさしくなでた。見あげた空には霧がながれてきて、あっという間にまっしろになった。

 あたたかい風がふいた。雨が頬にあたった。おおつぶの、あったかい雨。


「じゅんび完了。さ、行こっか」

 エㇽダがふりむく。それからちいさな女王をずずずいっと扉のまえへ押しだした。

 女王は頬を紅潮させて、深呼吸してそれから、ゆっくり扉を押した。



 扉のひらいたさきは――スリナビレプラヤ島の、ジャングルのなか。

 花が満開だった。濃い緑が風にざざざと揺れていた。葉っぱがいくつもいくつも降ってきた。色とりどりの蝶がひらひら飛んで、女王のまわりに鱗粉を散らした。とおくでコンゴウインコがけたたましく啼くと、猿の啼き声がそれに応じた。

「こっちこっち」

 エㇽダが女王の手をひいて、子供の歩調なんて知らないよってふうにずんずん歩いてく。森をぬけると空はまっさお、ゆったり流れる泥の川。ティッカが舟を用意して待っていた。


 舟は上流へと向かう。泥の川が太陽の光をにぶく返した。

 湿原のそばを通りすぎるときエㇽダが大声をあげる。

「トカたん! トカたあん!」

 すると六角オオトカゲが湿原からのっそりあらわれた。あいかわらずの、めいわくそうな顔。


 さらに舟をすすめると魔女の家が見えてきた、十年前に夏休みを過ごしたころと変わらぬすがたで。庭のまんなかには虎と蛇とに見守られて、サンガがあぐらになって目をとじていた。北の王国と南の楽園とを門でつなぐ魔法は、サンガが組んだのだ。

 ちいさな女王さまのうえから陽の光がたっぷりおちてくる。髪にモルフォ蝶がとまった。舟の舳先へさきに極楽鳥が舞い降りつばさをかいつくろった。水鳥の羽ばたきがをゆらすと、川の淵をおおった睡蓮の葉から蛙たちがいっせいに川に飛びこんだ。



  ***



 おなじ門をくぐって南の島から城にもどってきたのは夕方になってから。

 泣き顔の侍女たちにさんざんなじられて、天頂に月がとどくころになってようやくサラは部屋に戻った。


 扉をあけるとベッドのうえにはサンガが平和な寝息をたてていた。魔法の式をとじるために、サンガはに来る必要があったのだ。

 それにしてもこの子ったらもう淑女レディーのベッドにかってにもぐりこんどいて、それをちっとも罪だなんて感じさせないのだ。ためいきついて、サンガを見おろした。油断して大の字になっちゃって、なのにワイルドって感じはしなくてむしろひとときのひまをうたた寝するたおが隙を見せたかのようで、それをこっそりのぞく自分の方がよほど罪深いんじゃないかって赤面してしまう。

 ちょっぴりひらいたくちびるが濡れてなやましくひかる。……誘ってる?


 じつはサラはまだキスの魔法を行使していない。ぜったいだれにも、女王さまにだって秘密だけどね。

 ファーストキスの魔法。魔女のキスで目ざめさせると、相手は魔女がさいしょに発した願いをなんでもきいてしまう。ファーストキスのときだけ有効な、一生にいちどの禁断の魔法。


 もしかしていま、絶好のチャンスなんじゃない? サラはサンガのくちびるにじいっと見いった。

 なにをお願いしようかな。でも魔法なんかつかわなくったって、サンガはたいてい言うこときいてくれるもんなあ。ううむ。いま私がほしいものってなんだろう。

 すてきな王子さまはもう見つけた。ひとつ難を言うならこの王子さま、プロポーズだとか思いつきそうもないしそれどころか結婚って概念じたいあるのかないのかいまひとつ謎だ。男女の流儀エチカってやつがまったくぜんぜんちがうみたいだからね。


 結婚してって願ってみる? それとも、一生私を愛して、とか?


 それはやっぱりちがうよね。そんなの魔法でしばることじゃない。だいじょうぶ、魔法なんかに頼らなくったって私たちはだいじょうぶ。私たちの前途にはいくらでも時間がある。サンガのくちびるが幸せそうにほころぶから、私も幸せ。そろそろ起きるかな。


 たぶん私は、キスの魔法をつかわない。だってはじめては、目のさめてるときに、サンガからしてほしいもん。

 サンガ、はやく起きて。一年ぶりだもん、話すこといっぱいあるんだ。夜どおし話そう。




(おしまい)


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魔女たちのレッスン、楽園のエチカ 久里 琳 @KRN4

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