エピローグ

第68話 北の王国、南の楽園


 こん、こん。ふるい木の扉に、心ぼそげなちいさな音。

 きこえないわ、だって、いまは私は夢のなか。シーツにくるまり魔女は口もとにふっくらみをうかべた。

 こんこんこん。扉からまた音、未知の世界に放り出されたおさなのような、たすけをもとめるような、溺れた仔猫がすがるものをさがすような、頼りなげな音。そら耳ってことにするのはいじわるかしら。しまったままの扉へ目を向けると、魔女はベッドから起きだした。

 窓のそとでは肌さむい庭を朝陽が照らしていた。みじかい夏はあっという間に過ぎて、野も山も川もいまはすっかり秋模様。

 こんこん、こんこんこんこん。さっきからノックがつづいている。はいはい、いま行くからそんなうるさくしないで、もすこしおとなしく待ってなさい。

 すがしい光をだいなしにする騒ぎのなか魔女が扉まですっとんでくと、手をふれてもいないのに勢いよく扉がひらいた。


 扉のそとにいたのは――いいえ、それより先にきのうのお昼のできごとを話しておこうかな。



  ***



「みなみのしまのまじょたちは、それからどうなったの?」


 城壁を散歩しながらちいさな女王は魔女を見あげたのだった。城から望むいちめんの畠は収穫をおえて、ちゃくちゃくと冬じたくをととのえている。野にはいくつもの藁山がつみあがって、ところどころでたき火の煙がゆったりのぼっていた。

「心配ですか?」

 魔女はにっこりほほえんだ。

「だいじょうぶ、みんなげんきにしてますよ」

「あってみたいなあ」

 ぽそりとこぼした声に、侍女たちは色めきたった。教会のさだめにより女王はブリトニケ島から出られない。


 ちいさな女王を先頭に、城壁から庭へと一行は歩み下りた。緑もずいぶん茶がかってきた芝のじゅうたんのうえを歩いていると、まえからがちゃがちゃ鎧を鳴らしながら男が駆けてきた。そこらじゅうで女官たちの黄色い声があがるのが聞こえた。女王つきの侍女までがはっとして顔をあげた。

 騎士はすごい勢いでやってきて、魔女の目のまえで止まった。おさない女王に礼をすると、魔女にはなじるような目を向ける。

「なあに? 今日は女王さまを抱っこしてはいませんよ?」

「ひどいじゃないか。エㇽダが来るんだったら一言声をかけてくれたって」

「ああ……そういえば」

 ぺろっと舌をだす魔女の手をつかんで騎士はひきよせた。どこから覗いてるんだか、そこらじゅうから悲鳴とため息がこぼれた。

「……誤解を生むから、やめてくださる? あなたのファンの子たちにうらまれてしまうわ。まあ私を呪おうなんて勇気のある方はいないでしょうけど」

「筆頭魔女を呪うなんて自殺行為だものな」

「筆頭魔女

 騎士の言葉を魔女は訂正した。


 サラが筆頭魔女補佐になることを条件に、三年前ようやくレベッカは正式に筆頭魔女の座に就くことを了承した。ほんとは補佐じゃなくってになることを求められたのだが、それではレベッカの二の舞になりかねないと、断固サラはことわったのだ。

 それでもレベッカはずいぶん肩の荷をおろして、ときどきお忍びでスリナビレプラヤ島のエリーを訪ねることもできるようになった。島に行くとエリーにこきつかわれてるようで筆頭魔女の名もかたなしだけど、当人が幸せならまわりが口をはさむことはなんにもない。



「いつ来るんだい? 教えてくれよ、ぼくときみの仲じゃないか」

「誤解を招くような言動はよして、って言うのに」

 ふり払おうと魔女が身をよじっても、美青年は手を離さない。

「あなたたち、なかよしになったの? それはとってもうれしいわ」

 ちいさな女王が顔をよろこびでいっぱいにするから魔女は心のなかでため息つくのを表に出さずに、

「……しかたないですわねえ。じゃあ教えてさしあげますわ。では女王さま、ここでおいとまいたします。きょうはゆっくりおやすみくださいね」

 ウィンクすると、ちいさな女王もぶきようなウィンクをかえした。それから魔女は副団長へとふり返り、たくらみをかくしたみを婉然とうかべた。それが昨日のことだった。



  ***



 さて、今日に話をもどして――ひらいた扉のむこういたのは、すっかり成長したエㇽダと、にがわらいの侍女ふたり。成長したと言ってもサラに言わせれば形だけ、一見すてきな女性レディーに育ったかに見えるけどだまされてはいけない。

「サラあ、このお城おおきすぎるよう、また迷っちゃった! このひとたちに連れてきてもらってたすかったあああん」

 半べそで抱きついてくるエㇽダをさっさとソファに追いはらう。

「エドには会った?」

「まだ」

「そう、それはよかった」


 エドワードはまだ独身だ。三十代も半ばになるというのにあいかわらずのプレイボーイぶりで、ひとりに絞りきれないんだろうともっぱらの噂ではあるけれど、じつはいまだにエㇽダを諦めきれていないのが最大の理由だとサラは知っている。

 とうぜんと言おうかエㇽダはまったく気づきもしない。たまに都にあそびに来れば無邪気にエドワードのとこへも寄って、かれの取り巻きの女の子たちをはらはらさせて。

 エドワードも、とっとと身をかためてしまえばいいのにね。エㇽダ自身は気づいてないけど、この子の心はとっくにティッカのものなんだから。


「それにしてもエㇽダ、あんた移動魔法うまくなったよねえ」

 それはエㇽダの七不思議のひとつだ。

「だってサラに会いたかったんだもん」

 しおらしい言葉はうそではないらしい。サラがブリトニケに帰ってしまったあとエㇽダは心を入れ替えたように一所けんめい移動魔法の修業に励んで、めきめき上達した。それでもブリトニケにやってくるまで一年かかったけどね。一年ぶりに会ったとき、抱きついてわんわん泣いて、パジャマのままの私を放してくれないし家族はヘンな目で見るしでそれはもうたいへんだった。

 おかげでいっしょにやってきたサンガのまえだというのに、顔も洗えないし髪だってぼっさぼさ。


 扉をしめて、サラはそわそわ窓のそとのようすをうかがった。

「今日はサンガは?」

で待ってる」

 なんだ、それならそうとはやく言ってよ。ふうっと息をはいてサラは肩の力をぬいた。


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