第9話 復興
電気が戻り、町民には普段の生活が戻っていた。
コンビニやスーパーも通常営業を始めている。
しかし、ガランとあいている一部の商品棚。
ここに並べられるはずだった乳製品は一つもない。
牛乳が絞れなかったからだけでなく、製造メーカーの工場がストップしていたのも原因だ。
だから、自家発電で必死に絞って冷やした牛乳でさえ出荷することができず、自分の手で廃棄せざるを得なかった牧場もある。
別海町で廃棄した牛乳は約3千トン強。
莫大な損失だ。
血のにじむような牛乳の廃棄に、精神面へのショックも大きい。
しかし、ダメージはこれだけではなかった。
ブラックアウトから約一週間後。
治療を続けたにも関わらず、乳房炎の悪化で牛が敗血症になってしまった。
回復の見込みがなかったり、ストレスで搾乳量が減ってしまったままの牛は
この牛ももう……
私は覚悟を決めて横山さんに最後の宣告をした。
「残念ですが、これ以上回復する見込みはなさそうです……」
「そんな……これで5頭目だべ……」
横山さんが苦しそうに息をしている牛を呆然と見つめる。
牛の姿、そして横山さんの悲痛な面持ちに、私の胸が締め付けられた。
「……力が及ばず、すいません。……でも、他の子たちは大丈夫そうです。もう少し時間はかかりますが、治療を続けて助けてあげましょう」
励まそうとする私の言葉に、横山さんが首を横に振った。
「いやぁ……。必死に面倒みてきた牛がバタバタ死ぬなんて、俺にはもう耐えきれねぇ。具合悪い牛がまだ20頭もいて、この後も死んじまうかもしれないって思いながら治療続けてかなきゃいけないなんて、もう……疲れちまったな」
「横山さん……」
横山さんは肩を落として微笑んだ。
目尻にきらりと涙が光る。
自分も被災者である中、生活の糧である牛乳を捨て、牛の心配をし続けてきた農家さんたちにとって、何十頭もの治療を続ける精神的負担は莫大なものだろう。
疲れ切ってしまってもおかしくない。
こういう時、私はなんて言ったら良いのだろうか。
「電気が戻ったの次の日、牛が倒れていたことが忘れらんなくてな。これでようやく大丈夫だ、と思ってた矢先だったから、余計にショックだったのかもしんねぇ。牛舎に来るたんびに、また倒れてるんでないべかって、気が気じゃねんだ。治らないかもしれない、死んでしまうかもしれない、って。……俺ももう、死んでしまった方がいいかもしれないな」
「そんな……!」
いつも元気な横山さんが、ひとまわり小さく見えた。
最後の審判は、他でもない我々獣医師の仕事。
停電の後、私たちは多くの牛の頸静脈に、最期の注射を打った。
農家さんの悲痛な思いを背負いながら。
「それで、篠崎はなんて答えたの?」
診療所の休憩室で、田中がコンビニのシャケおにぎりを頬張りながら聞いてきた。
「えぇ? なんで田中に言わなきゃいけないの」
「とか言って、どうせ誰かに聞いて欲しいんでしょ?」
「……まあね。そうなんだけどさ」
付き合いが長いせいだろうか。
私のことをわかっている風なのが気にかかる。
ギロリと睨む私に、「聞いてあげるから言いなよ」と余裕の微笑みを浮かべるチャラ男の田中。
私は照れ隠しにカップ味噌汁をすすった。
「横山さん!」
私は追い詰められた横山さんの肩に手をおいた。
「あきめないでください。大丈夫ですから。他の子たちは症状が悪化してません、ちゃんと治ります。横山さんが毎日毎日、一生懸命愛情を持ってこの子たちの世話をしていたからですよ。私には痛いほど分かっています。だから……」
下を向いていた横山さんが、顔をあげて私を見た。
数日前の出来事を思い出していると、診療所に元気な男の人の声がひびいた。
「先生! 篠崎先生!」
私と田中が休憩室からひょっこり顔を出す。
「あっ、いた、先生! 大変だぁ!」
「あれ? 横山さん、どうしたんですか?」
「まぁた俺んとこの牛が産気づいて、産まれそうで産まれねんだ! 早く来てくんねぇか⁉︎」
「えっ、あっ、は、はい! すぐに行きます!」
私は持っていたカップ味噌汁を田中に押し付け、急いで診療所を飛び出し車のハンドルを握った。
——だから、まだ諦めないでください。
これからも私と一緒に頑張りましょう!
思わず飛び出した言葉は特別な言葉ではなかった。
しかし、私があまりに必死の形相で訴えたもんだから、落ち込む気力すら無くなったらしい。
驚いた横山さんの顔を思い出して笑いがこぼれる。
「もっと良いセリフなかったのかなぁ。ふふっ」
診療所を出る横山さんの後を追い、一直線の道路で私も車のアクセルを踏んだ。
大きな畑に転がるマシュマロのような牧草ロール、窓を吹き抜けるひんやりした風、緑の匂い。
向こう側を見れば、放牧されている牛の姿が目に入る。
「よぉし、待ってろよー!」
大きな災害を乗り越えて、これからも受け継がれていく農業という命のリレー。
別海町の緑の海を、私は牛のために走り続ける。
【胆振東部地震】
発生日時 平成30年9月6日03:07
最大震度7
マグニチュード6.7
死者42人、重傷者31人、軽症者731人。
住宅全壊462棟、半壊1570棟、一部破壊12600棟。
最大停電戸数は北海道全域を示す295万戸となり、復旧まで2日〜3日半を要した。
廃棄された生乳は、北海道全体で約2万 トン、被害額は約21億円。
別海町で廃棄された生乳は3千トン強、被害総額は3億円を超えた。
停電の影響で一時期は落ち込んだ生乳生産量も、獣医師や、農協、農家同士の協力もあり、一ヶ月後の10月には前年度と同じ程度に回復。
ブラックアウトの後、停電時のガイドラインが作成されたり、補助金を利用して各農家が発電機を購入したりなど対策を講じた。
多くの命を失った胆振東部地震。
私たちはこの教訓を忘れない。
⭐︎最後までお読みくださりありがとうございました。
本作品を執筆するにあたって沢山協力してくださったしの様に、心より感謝申し上げます。
参考資料
1)内閣府:平成30年北海道胆振東部地震に係る被害状況等について(最終閲覧:2021年8月21日)
http://www.bousai.go.jp/updates/h30jishin_hokkaido/pdf/310128_jishin_hokkaido.pdf
2)平成30年北海道胆振東部地震によるミルクサプライチェーンへの 影響と災害等発生時の対応に関する研究(最終閲覧:2021年8月21日)
http://m-alliance.j-milk.jp/ronbun/shakaibunka/huh1j4000000dbjc-att/shakai_study2019-04.pdf
3)平成30年 第4回 別海町議会定例会会議録(最終閲覧:2021年8月21日)
https://betsukai.jp/resources/output/contents/file/release/2363/31433/H30-4-30.12.11.pdf
別海ブラックアウト(べっかいぶらっくあうと) 中村 天人 @nakamuratenjin
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