第4話 今日も桜が咲いている
そして今。
私は再び円山公園にやってきて、あの夜桜を目にしている。
学生時代に見たのと同じ、視界いっぱいの美しいピンクだ。
昔と違って、周りを囲む木の柵が二重に強化されているが、これは仕方ないだろう。桜そのものからは十分に離れており、景観を損ねるほどではなかった。
昨日今日始まったライトアップではないが、多くの見物客が来ている。
かつての私のような、京都に住んでいる若者だけではない。観光客らしき姿もあった。日帰り旅行ではなく、現在の私のように、京都に宿泊している者たちだ。
そうした観光客の中には、外国人も含まれていた。目や髪の色だけでなく、仕草や言葉も違うからわかりやすい。
もちろん『仕草や言葉も違う』という意味では、外国人だけではない。いわゆる宇宙人の者たちも、円山公園の夜桜を鑑賞しに来ていた。
ついネットスラングの『宇宙人』の方を使ってしまったが……。
正式には《異界の人々》と呼ぶべきなのだろう。
3年くらい前に別の世界からやってきた、あの者たちだ。
私たちの世界とは空間位相が異なるという異界。そんな世界からの来訪者を迎えて、理論物理学者たちは大いに盛り上がったものだが、一般庶民には理解できない世界だった。私は一応理系の学者だが、専門分野は分子生物学であり、「空間位相が異なる」という話は、私にも難しかった。
いつしかネットでは「あんなの宇宙人みたいなものだ」という書き込みが流れ始めて、政府が公式に定めた《異界の人々》という名称より、『宇宙人』の方が定着してしまった。
ただし、これは呼び方の話に過ぎない。重要なのは、彼らがどういう存在であるか、という点だろう。
昔のSFに出てくる宇宙人が人類以上の科学技術を持っていたように、《異界の人々》も優れた技術を有していた。ただし科学技術ではない。彼らが魔術と呼ぶ技術だ。
しかしこれも、呼び方など問題ではないはずだ。昔々のSF作家が「つきつめれば科学も魔術も一緒」みたいなことを言ったとか言わないとか。《異界の人々》と人類との遭遇においては、当時の人類が抱えていた問題を彼らがひとつ解決してくれた、というのが大きなポイントになった。
数年前から世界的に大流行していた新型ウイルスを、《異界の人々》たちが無力化してくれたのだ。
あのエポックメーキングがなければ、例えば夜の四条通りも、昔の賑わいを取り戻すことは出来なかっただろう。
友好的な人種とみなされて、人類との交流が始まった《異界の人々》。
それこそ観光気分でこちらの世界に来る者も多いらしく、最近では、様々な場所で《異界の人々》を見かけるようになった。
そのほとんどは、私たちの世界のルールや、彼らの「異世界交流における大原則」を遵守する者たちだが……。
数が多くなれば、例外も出てくる。これまでのところ、人の命に関わるような大事件は起きていないが、ちょっとした悪戯は何件か発生しているらしい。
ここ円山公園の事件も、その一つだった。
「桜に近づかないでください! 危険です!」
ふらふらと歩み寄る見物客に対して、警備員が声をかけている。
あの事件以来、柵も二重になっているし、その柵自体おそらく余裕を持って設置されているはず。だから、誰かが危険エリアに立ち入る心配はないが、それでも注意するのが警備員の仕事なのだろう。
そう、今年の春の『あの事件』だ。円山公園を訪れた《異界の人々》の一人が、おそらく桜の美しさに感動して、魔術を施したのだ。
時の流れがゆっくりになる、という魔術を。
それ以来、桜を中心にした数メートル以内では、わずか数時間しか経過していないらしい。おそよ1ヶ月で1時間、それくらいの時の流れだという。
だから桜の成長もほぼ止まっており、こうして晩秋の学会シーズンになった今でも、私たちは『祇園の夜桜』を楽しめるのだった。
事件発覚直後は、大問題にもなった。
かつて私たちと同じ日本人により、南の海で珊瑚が傷つけられた事件や、重要文化財である神社仏閣に落書きされた事件があったが、「それと同じだ!」という論調だったのだ。
世間の非難を受けて、《異界の人々》の役人たちも平謝り。幸い、珊瑚の傷や神社仏閣の落書きとは異なり、修復可能に思えたが……。
彼らは修復に着手しなかった。
この時、大衆の一部は「《異界の人々》は魔術が使えるのだろう? 何故すぐに魔術で直さないのか!」と騒ぎ立てた。
だが、いくら《異界の人々》が魔術使いとはいえ、《異界の人々》全員が優れた魔術使いではないのだ。科学技術の発達した私たちの世界においても、全員が全員、最先端の科学技術を駆使できるわけではないだろう。
例えば私は専門分野の関係で遺伝子組換えの技術を有しているが、これだって誰でも出来ることではなく、専門に学んだ者だけの科学技術だ。そんな私でも出来ないことは多く、今使っているPCが壊れたら、修理に出すしかない。工学関係の科学技術は、私は学んでいないからだ。
それと同じで、『祇園の夜桜』に使われた魔術も、かなり高度で専門的な魔術だった。犯人を捕まえるまで時間遅流魔術は解けない、という話になった。
あの頃は大きく騒がれたものだが、やがてニュースは下火になった。
桜そのものにダメージを与えられたわけではないからだ。時の進みは遅くなったものの、円山公園のしだれ桜は、きちんと着実に成長しているのだ。
今でも《異界の人々》上層部は、悪戯の犯人を逮捕するために努めているのだろうが、もはや私の世界では誰も気にしていなかった。
むしろ、季節外れの『祇園の夜桜』を見られる、という恩恵にあずかっている。「いつでも見られる」となったら見物客は減るかと思ったが、逆に「この時期に桜が見られるのは円山公園だけ!」ということで、かえって人気スポットになっているらしい。
ふと耳をすませば、斜め後ろの見物客の声が聞こえてきた。
「<+)`@_*……」
「>_*&%#)`#”!」
英語でもドイツ語でなく、おそらく私たち人類とは違う言語だ。『宇宙人』こと《異界の人々》なのだろう。
もちろん、この場の見物客の中には、例の事件の犯人はいないはずだが……。
「おかげさまで、今日も桜が咲いています。ありがとう」
心の中で感謝の言葉を呟きながら、私は夜の花見を続けるのだった。
(「今日も桜が咲いている」完)
今日も桜が咲いている 烏川 ハル @haru_karasugawa
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