第3話 円山公園
八坂神社は初詣で賑わうと聞くが、私自身は、正月に八坂神社を訪れたことはない。私のアパートから八坂神社へ行こうと思ったらバスあるいは自転車が必要であり、毎年の初詣は、歩いて行ける範囲内で済ませていた。
京都の有名な祭である祇園祭も、ここ八坂神社と関連するイベントだ。だが昼間の山鉾巡行は一度も見たことがなく、私にとっての祇園祭といえば、歩行者天国となった四条通りに多くの露店が建ち並ぶ、宵山や宵々山の方だった。
全く別の時期に八坂神社を訪れた際、境内の裏庭のようなところに倉があるのを見つけて「ここが山鉾の保管庫だよ」と教わったので、八坂神社と祇園祭の繋がりを目で実感できた気分にはなったが……。しょせん、その程度だった。
学生時代の私に印象深かったのは、八坂神社そのものよりも、境内奥の円山公園だった。桜の名所として名高くて、あの大きなしだれ桜がある場所だ。
それこそ、テレビの紀行番組でも扱われるほどの『桜の名所』だろう。観光客も大勢訪れるスポットであり、その意味では「京都に住んでいるから」という特別な意義もなさそうだが……。
そうでもなかった。昼間の観光客では見に行けない――少なくとも泊まりがけでなければ参加できない――イベントもあったからだ。
夜の桜のライトアップだ。
通称『祇園の夜桜』。正式名称は『
そんな情報と共に、サークル仲間の一人が「円山公園の夜桜を見に行こうぜ!」と言い出したのだが、私は最初、あまり乗り気ではなかった。
桜の花見に価値を見出せなかったのだ。桜なんて、鴨川沿いにもたくさん植えられているではないか。川端通りを自転車で走っていれば嫌でも目に入ってくる景色であり、確かに美しいとは思うが、もはや日常に埋もれた光景だった。
しかし、円山公園の桜は違うという。しかも、夜はライトアップされているという。
熱を帯びた友人の言葉を聞きながら、ライトアップに関しても、私は偏見を抱いてしまった。
桜の美しさというものは、自然の美しさではないだろうか。そこに照明のような人工物を加えるのは野暮であり、それこそ花見の意義を失うものではないか。
そうは思いながらも、私は「ライトアップされた円山公園の桜を見に行く」というイベントに参加した。ただ単純に夜遊びの一環として興味あったからだ。まだ私に恋人が出来る前の話であり、少し気になっていた女の子が参加メンバーに含まれていたのも、理由の一つになっていた。
しかし……。
いざ『祇園の夜桜』を目にしたら、そうした先入観は吹き飛んでしまった。当時のことを振り返っても、桜の姿が目に浮かぶだけで、『少し気になっていた女の子』の顔も思い出せないくらいだ。
なにしろ、ただの桜ではなく、しだれ桜なのだ。普通の桜ならば、花で覆われた枝の辺りはピンクだとしても、太い幹の部分は木特有の茶色だろう。黒に近い、かなり濃い茶色だ。
黒っぽい木の幹があるからこそ、それがコントラストになって、桜の花の薄桃色がいっそう映える。それが桜というものだと私は思っていた。
しかし、しだれ桜は違う。ピンクの桜が咲き茂った枝は、柔らかく垂れることで、全体を覆い隠していた。幹の部分など、ほとんど見えない有様だった。
まさにピンク一色だったのだ。
一緒に見に行った仲間たちも、感動しているようだった。ピンクの桜が滝のように垂れてきているとか、ピンクの洪水だとか言っている者もいたが、私の頭に浮かんだのは花火だった。
ライトアップされたせいもあって、ピンクに輝いている夜の桜。それは花火を思わせる輝きであり、私の中にあった「人工的なライトアップは無粋」という概念を吹き飛ばすには十分な美しさだった。
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