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  • 第16話 聞かないで。への応援コメント

    拝聴しました。

    もうちょっと余裕をつくって、やさしくなりたいと思いました。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます!
    心の余裕、大事ですね...。

  • 第16話 聞かないで。への応援コメント

    読み合い企画からきました。
    過去の記憶に今なお苦しめられている主人公は、他人から言われたことされたこと以上に自分でつらさを増幅させてしまっているように感じました。
    「聞いて」という言葉の表面的な部分だけでなく、本当の闇をだれかが紐解いてくれればいいのですが……。生々しい独白に、最後まで目が離せませんでした。

    作者からの返信

    コメント、ありがとうございます!
    また、最後まで読んでくださって有難いです!

    「自分でつらさを増幅させている」きっとその通りなのだと思います。
    「本当の闇」は気付きにくいものかもしれませんね...。


  • 編集済

    第16話 聞かないで。への応援コメント

    お疲れ様です。


    駄文、良いじゃないですか。
    自分にとって必要なことなら誰かにどう思われても自分にさえ判れば
    良いことってたくさんありますよ。
    自殺に失敗するのと普通に死に損なってるのとどっちがマシかなんて
    誰にも判らないことですし、それがあって今の自分があるんだから宝物です。
    自分が壊れてると自覚がある人はきっと思っているより優しいし、
    壊れてると思っても下を見れば深淵の淵で踏みとどまっている自分がいます。

    優しい人はたくさん背負うから疲れてしまいます。
    たくさんのことを背負うと疲れてしまうから、せめて一つだけ自分で決めて
    「自分のために」それを貫きましょうよ。
    あとは天の配剤ですよ。
    その位の心持ちの方が疲れません。
    死ぬときに自分に優しくなりましょう。
    その位の目標の方がきっと死ぬまで付き合うには丁度良いかと思います。

    作者からの返信

    コメント、ありがとうございます!

    「自分にさえ判れば良いこともたくさんある」、そうなのだと思います。
    『聞いて。』なんてタイトルにしてしまって内心実は冷汗を掻いていました…。しかし、「それがあって今の自分があるんだから宝物」という言葉をいただけて、それだけでも拙いながら文章にしたことに自分の中で意味があったな、と噛み締めております。

    「死ぬときに自分に優しくなる」ことを目標にするというお言葉に、自分を労わることを忘れずにいたい、そんな風に生きて最後に死にたいな、と思えました。
    最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!


  • 編集済

    第16話 聞かないで。への応援コメント

     駄文なんて事はありません。

     人間は粘土の様な物です。
     一度壊れてもまた、優しさという水分を含ませれば、幾らでも作り直す事ができます。それに間違って手が触れてグニャっとなっても、それはそれで味が出て良いもんです。

     火葬場で焼入れされるまで、幾らでも形を作って行きましょう。

     (何言ってんだ?俺。)

    作者からの返信

    コメント、ありがとうございます!

    粘土の例え、素敵です!
    特に「優しさという水分」の表現で、自分の水分は人にあげすぎる(期待に過度に答えようとする)と自分が干からびて壊れてしまいそうな気持ちになりますし、相手を水浸しにするのも相手のためになりません。

    火葬場で完成されるまで何度でも形を変えられるんだと思うと、最後に一番素敵な形に辿り着けるように生きたいなあと思えます。

    何度も言ってしまいますが、最後までお付き合いくださってありがとうございました!


  • 編集済

    第14話 社会人への応援コメント

    頭で考えた「幸福」な現状であって、漠然とした破滅願望と
    漠然とした不安の裏返しに見えます。

    現代日本においてはほぼ経験することの難しくなったもっと身体的、本能的な
    「危険」というものに身を置いたらそう言った思考の緩さや甘さといった
    身体的なものと頭で考えた想像のズレみたいなものが実感できると思います。

    幸いなことに五体満足でおりますが、小学生までの子供の頃を振りかえっても
    実感を伴って運が悪ければ死んでいると思えることが5回では足りません。
    そういった経験をすると「頭で考えていても身体が動かない」と言うことを
    感じられますし、知識で知っていることと身体感覚との違いも理解できます。

    本能的な危険を知っていると考えた状況に自分を置くことに違いが出ます。
    そのような実感が記憶と身体感覚で残っていると「漠然とした不安」を
    分析して、分割し、具体的に何が不安なのかと言うところまで分解出来るようになります。そして、解体した不安の要素に対してもっとも不安にする核のようなものに対してどうすれば不安を消せるかと言う部分に踏み込めるようになります。

    人間も所詮は動物なのです。生物的な危険を忘れている現代日本人はあり方を
    間違っていると思いますね。
    たしかに時代が違いますが、子供の頃に生命の危険を
    感じる遊びを「できなく」なっていることに問題を感じます。
    危険が潜むことに対してもう少し敏感になれるのにそれ自体を忘れていては
    身体が発する「欲求」を誤って捉えてしまいます。
    本当は危険なことを身体が感じて、それを避けたいと言う欲求を発していても
    頭で押さえつける、気づかないふりでは不安が判らなくなります。
    身体の声にもう少し耳を傾けるようになると不安の捉え方が変わるかと。
    ご参考までに。

    追記
    身体的な感覚を言葉で説明しようと試みましたがやはり難しいです。
    シンプルに普遍的なことだけ言うと、
    自分にもっと素直に生きないと次の瞬間には死ぬかも知れない。
    それでいいのか?ということです。
    望まないことをしがらみや思い込みでやっている人は多いですが、
    いざ死に向かったときに「当事者として」どう向き合うかということ。
    普遍的に人は死にます。それを最終目標として見るときそれでいいのか、と。
    良い学校、良い会社、良い生活。周りに言われるまま、
    思い込みで目標をそこに置く人は多いけれど、それは中間地点です。
    病気や事故で死に向き合ったときに当事者意識が持てないと
    自分がぼやけませんか?
    病で死にゆく人が「お前が死ぬんだぞ?」と怒鳴りつけられて気づくようなことでは
    あまりに情けないではありませんか。
    せめてあの世に後悔を持って行くなら少なくいきたいですよね。
    身体感覚と頭で考えることのズレというのを別の表現でしてみました。
    少しでも分かり易くなっていれば幸いなのですが。
    長文失礼しました。

    作者からの返信

    たくさんのコメントをくださり、ありがとうございます!

    「頭で考えた幸福な現状」という言葉をいただき、「普通に毎日生活を送れていることは、世間一般の幸福には該当しているから「幸福」だと思っている」ことを指してそうおっしゃったのではないか...と思いました。違っていたらすみません。

    @fts01さんの不安や欲求等の捉え方を教えていただき、とても有難いです。
    まだコメントのすべてを自分の中に落とし込めておらず、今何度も読み返しております。

    今後、漠然と不安が湧いたように感じた時に、いただいたこのコメントを読み返して参考にさせていただきます。ありがとうございます。



    追記ありがとうございます! なるほど、と思いました!

    追記いただいたことと合わせて、私なりに「自分の人生の判断を誰にも委ねない代わりに自分で責任を持つ」ことなのかな、と考えたりしています。

    「「危機」に身を置く」とおっしゃったことは、そのために必要な方法なのでは、と解釈しました。

    例えば、依存症の治療の動機づけとしての底つき体験のような感じですかね...。
    以前、@fts01さんにいただいたコメントの、「諦めを持って自分にできることをする」ことの意味もずっと考えておりました。
    これは「誰かが何とかしてくれる」ではなく、「自分で自分を変えないと終わる」という意識を持った時にやっと治療に本気になることと近いのではないかと思いました。

    それは普段の生活でも持っているべき意識で、それが@fts01さんの追記でおっしゃった「当事者意識」なのかな...と思ったりします。

    恐縮ながら、まだまだ汲み取れていない部分もありまして、今後もたくさん考えていこうと思います。
    貴重なお話をいただき、ありがとうございました!

    編集済
  • 第13話 女の子への応援コメント

    お疲れ様です。

    この描写を拝見するに、
    母親として「子供のために」叱っているのではなく
    自身の「母親という立場をよく見せる」ために叱っている
    と言うのが見て取れるのですが。
    Y.Tさま同様の見解ですね。
    自身が「みっともないから」叱ると。
    もう少しまともかだらしない親であれば子供の方も「気づき」があって裏表の
    行動が取れるようになるんでしょうけれど、親子とも一番お互い不幸になる加減に見えました。

    作者からの返信

    コメント、ありがとうございます!

    @fts01さんの見解を読ませていただき、もしかしたらこの母親は子供のために教える(しつける)ことを普段、子供と二人でいる時はせず、人前でだけ叱ったのかもしれないと思いました。

    真相は分かりませんが、もしそうであれば、子供は何が適切な行動なのか言葉で学ぶ機会がないのだと思います。
    おっしゃっる通り「親子とも一番不幸」になりそうだと思いました...。

  • 第15話 おしまいっ。への応援コメント

    え⁉︎

    作者からの返信

    コメント、ありがとうございます!

    よろしければ明日までこの話にお付き合いください...。

  • 第9話 彼氏君への応援コメント

    ああ、主人公を勘違いして、ここまで読んでました。
    つらいお話ですね

    作者からの返信

    コメント、ありがとうございます!

    つらさに共感いただいて有難いです。

  • 第14話 社会人への応援コメント

     優しさの裏返しですね。
     すれ違う人々一人一人に自分を重ねるからこその、罪悪感なのだと思います。

    作者からの返信

    コメント、ありがとうございます!

    前回までのエピソードを踏まえて読んでいただけて、嬉しいです。

  • 第14話 社会人への応援コメント

    暴力表現があるんですが、スピード感のある文体のため、そんなに嫌悪感は感じなかったです。

    作者からの返信

    コメント、ありがとうございます!

    こうして教えていただけると本当に助かります!
    「嫌悪感は感じない」と言っていただけて安堵しました。

  • 第13話 女の子への応援コメント

     たぶん、このお母さんは逆に、家では女の子を叱る事は余りしていないのかも知れません。
     だからこそ、お母さんに言い返す事もできたのでしょう。

     女の子を叩いたのは、羞恥心故のことなのかも。「私、ちゃんと躾けています。」そんな周囲に対するアピールなのかも知れません。
     叩かれた女の子は、可哀想ですね。
     お母さんも、家に帰ってからそう思い、また子育てに試行錯誤していくのでしょう。

     

    作者からの返信

    コメント、ありがとうございます!

    「この母親は逆に家では叱っていないかもしれない」というご指摘、なるほど確かに、と思いました。

    もし子供が騒いでいる状況で母親が無視していれば、母親に常識がないと見られるのだと思います。苦しいところですね...。


  • 編集済

    第12話 先生②への応援コメント

    根本的に他者に理想を持ちすぎですよ。
    医師ごとき他人に何が判るのでしょう。
    他人の痛みも苦しみも分からない物です。
    自分の痛みもつらさも自分のもの。後から振り返れるようになれば宝物です。

    その上で、頼るならせめて身内にしておくと良い。
    それもべったりではなく、辛いときに背負って進んで貰うくらいの
    距離感が丁度良い。
    それ以上では自分も相手も潰れます。

    今、自分が相手に何を要求したいのか切り分けましょう。
    同意が欲しいのか、今の苦しみに対処(治療)して欲しいのか。
    それをきちんとしないと自分が疲れますよ。

    折り合いを~のくだりですが、
    本当にこんなことを患者に言う精神科医が居るならクズですね。
    カウンセラーの看板掛けて無免許ならなおさらクズです。
    PT(理学療法士)、OT(作業療法士)ですらこんなことは言いませんよ。

    追記
    もちろん誇張はあるとして割り引いて拝読しておりますが、立場として越えない一線はあるので。折り合いの件ですが、基本のきですよ。
    言ってしまったら医師としての立場からただの個人同士になってしまうから患者と医師という立場を崩してしまいます。
    遠回しであろうとも言ってはならない言葉というのはあります。
    それを言われたと仰るのであればハッキリ人間としてクズの医師ですよ。
    お気持ちお察しします。
    どうかご自身をお責めになりませんよう。相手が悪かったのです。

    作者からの返信

    コメント、ありがとうございます!

    「他人に理想を持ちすぎ」というお言葉、今は痛いほど理解できます...。そこをご指摘くださり有難いです。
    「自分が相手に何を要求したいか切り分ける」ことが本当に大事ですね。際限なく何かしてほしいだと、単に相手に依存することになり自分の心の回復からは遠ざかる気がします...。

    「自分の痛みもつらさも自分のもの」とおっしゃってくださり、自分の経験の全てをそう捉えられるようになれたらいいのに...と思いました。

    折り合いを、のくだりについてですが、この一言だけ見ると酷い言葉だと思います。
    しかし、この話の主人公は「当てつけと自己保身」をしています。先生の適切な言葉を敢えて省いていたり、多少の虚構があったりするだろうと読んでいただけると違って見えてくるかもしれません。
    (ちなみに実際にはもう少しオブラートに包んで遠回しに言われました)



    追記ありがとうございます!
    (返信が遅くなりました...)

    「遠回しであろうと言ってはならない言葉」だとおっしゃってくださり、やっと今そうかもしれないと気付けました。
    「相手が悪かった」そう思うとちょっと気が楽になりますね。
    温かい言葉をくださり、ありがとうございます!

    編集済

  • 編集済

    第11話 先生①への応援コメント

    お疲れ様です。

    カウンセリングですか。
    通院の場合は1~2分話してひたすら薬だけ出されるのとどっちがマシなんでしょう。
    「相手の期待に応えよう」なんて欠片も思わない自分としては
    医師に「今の私にお前は何が出来るんだ?」と言う姿勢で終始接していたので
    この話のようなことは微塵もありませんでしたが。

    うつ状態の病名付けて数週間の入院治療計画出してきましたが、
    検査と投薬以外結局何かされた覚えもないまましらけた自分が
    「ここに居たらヤバい」と言う危機感と
    「「自分ならぬ」他者なんて結局この程度の判断しか出来ない」
    と言う医師に対する諦めを持って自分で何とかしましたね。

    専門知識があってすら医師に出来るのは病名を付けることと、薬を出すこと。
    医師は頼る物ではなく、使う物です。
    自分の症状について勉強し、分析し、医師に相談する。
    希望の方針を示して相手に提案させて自分の方針と折り合わせる。
    それが自己分析と判断が可能な状態のあり方だと思います。
    正常かとか周囲と比べることに意味はありません。

    自分の有り様くらい自分で決めないと息苦しくて居られませんよ。
    お話のような有り様ではキツいでしょうね。
    他人を頼ったら自分も相手も疲れるばかりです。
    本質的に他人の痛みなんて人は理解しません。まして渡る世間は鬼ばかり。

    良い意味での諦めを持って自分に出来ることをしていかないと
    自身がますます疲れるばかりですよ。
    参考まで。

    作者からの返信

    コメント、ありがとうございます!

    「医師は頼る物ではなく、使う物」
    今ならばとてもこの言葉を実感できます。

    当時は相談機関がどんなことをしてくれるのか知らないまま、失礼ながら半分好奇心で訪ねた気がします。
    きちんと説明を聞いて、実際的にどこまでしてくれるのか把握することが大切ですね。自分がどこを治療してほしいのか優先順位を決めて、医療・相談機関のサービスを活用する...という姿勢があれば違った経緯になっていたように思います。

    参考になります、ありがとうございました!

  • 第10話 ネットへの応援コメント

    お疲れ様です。
    鬱ですか。
    キッチリ自己分析しつつ現状把握している自分と疲れている自分がいると
    狂うのもわざとらしく思えるし、自分にしらけるんですよねぇ。

    ただ、ネットはあさっても意味が無いです。
    誰かの事例を自分に当てはめても無意味だから。
    ますます自分がしらけて疲れるだけですよ。

    作者からの返信

    コメント、ありがとうございます!

    「自分にしらける」感じ、よく分かります。

    私も今ではネット情報に拠り所を探すことはしない方が良いなと思っています。
    (元気な時に情報収集できたら良いのにと思いますが、元気な時は暗い情報は避けてしまいがちになります...)


  • 編集済

    第12話 先生②への応援コメント

     自分の知識の中にないものを見るのは難しい、とは思います。
     ただ、いくら「ぼく」が演技をしていたとしても、1日に何人も患者さんを見ていたなら「ぼく」のケースは自分の知識の中に当てはまらない事は気づくはずです。

     恐らく、この先生は自分の仕事量が増えることを嫌って、見て見ぬふりをしていたのでしょう。
     「相手もこちらの期待に応えようとしてくれてる。意思を汲み取ろう。」とかなんとか理由をつけていたのだと思います。

     効率化を図る為には、やっつけ仕事も必要だと思うのですが、先生が見ているのは物ではなく「人」です。

     同じ、人を扱う職業人として思うところがあり、長文になってしまいました。申し訳ありません。

     追伸 先生に対して批判的になってしまったのは過去の自分自身に対してのものも含まれていたのかもしれません。
     まだまだ修行が足りませんでした。(宗教家ではない。)

     気分を悪くしてしまったならすいません。

    作者からの返信

    たくさんコメントいただいてありがとうございます!
    (この話全体を通してエピソードの前後の入れ替えはあれどほぼエッセイなので、温かい言葉に救われています)

    「自分の知識にないものを見るのは難しい」とのお言葉に、はっとしました。
    先生と言えども万能なわけはないので、もし別の誰かが見れば「ぼく」は別の救われ方に辿り着けたのかもしれないなと思いました。

    カウンセリングの辞め時を患者側が見極めるのは難しいですし、どんなに優秀な先生でもまったく間違わないことはないと思います。

    これまでは(自分が患者側とした時)、こうして取り零されたとしても心という曖昧なものの治療である以上、仕方ないことだなと半ば諦めていました。

    しかし「先生が見ているのは人です」とのお言葉を見た時に、仕方ないという理由で見捨ててはいけない、と思えました。
    こういった局面でもし私が相談される側になった時、Y.Tさんのように悩みを受け止められる人間になりたいと思いました。



    追記ありがとうございます。
    「先生でも間違えることはある」と実感できたので私としては有難いお言葉ばかりです。

    大変なお仕事をされているのだと思います。ご無理なさらず...!

    編集済

  • 編集済

    第11話 先生①への応援コメント

     「自分は〇〇してやってる。だから君は〇〇であるべきだ。」

     意識してもしなくても、人は少なからずそんな事を思ってしまう事もあるかもしれません。

     それに気づかなかったり、気づいたとしても、それを無視出来るほどの精神の持ち主であれば、何も問題はないでしょう。

     ただ、それを感じとった「ぼく」は、残念ながら、優しい人でした。

     レビューでも書いた、自覚のない暴力とは、人間のそう言った部分が多くを占めているのかも知れませんね。


     ただ、知識ではなく、患者を、「心」で見てしまうとカウンセラーという仕事は難しいのかも知れません。自身の心を病んでしまう精神科の先生も少なくないようです。

    作者からの返信

    コメント、ありがとうございます!

    この話の主人公を優しい人と言ってくださって有難いです。

    私を含め人は誰しも、多かれ少なかれ自覚のない暴力を振るってしまっているのかもしれませんね...。

    「先生は患者を心で見てしまうと病んでしまう」
    その視点を書いていただけて嬉しく思います。
    この話は一人称であり、最初に述べた通り自己保身の話です。主人公の都合の良い部分だけを抜き取っているんじゃないかという視点でも見てもらえると面白いのではないかと思います。


  • 編集済

    第10話 ネットへの応援コメント

     ネット記事だけじゃなく、お医者様の方も、身内から見れば、テンプレートな内容しか言ってくれない様な気がします。

     読み進めれば読み進めるほど、辛くなってしまいますが、僕にはこの文章が必要です。

     作者様の無理のないように書き進めて頂けたらと思います。

    作者からの返信

    コメントとレビューもいただいて、ありがとうございます!

    テンプレートな内容しか言ってくれない...私もそうだと思います。(状況的にも精神的にも)元気な時に見れば、もっともらしく聞こえていたのに...と悔しくなります。

    「辛くなるけど必要」と言っていただけて嬉しいと同時に、どこかの何気ない文や単語で傷つけてしまわないか心配です...。
    そのような点を発見されましたらご指摘ください...。



    この話は極力、描写等を省いて書いているので、まったく意味が通じないエピソードもあるかもしれないと覚悟していました。

    その部分を汲んで読み取ってくださることを毎回ありがたく思います。
    そして温かいお言葉いつもありがとうございます。


  • 編集済

    第9話 彼氏君への応援コメント

     彼氏君の行いには、私も覚えがありますね。

     付き合ってるから、身体の関係も当たり前だと、その時の私も考えていました。
     若い時の、苦い思い出です。

     追伸

     求める方と求められる方、それぞれ望むものの違いが恋愛の難しいところですよね。

     勿論、作者様の文章に、批判的なものは含まれてはいない事はわかっているのでご安心を。

     ただ、求められた方の心情がわかりやすく描かれていたので、当時の私の反省も含めて、色々と考えさせて貰いました。

    作者からの返信

    コメント、ありがとうございます!

    (嫌なことを思い出した方も多いのかもしれないと今気づきました...。誰を批判するつもりもなく書いてます...。嫌な気持ちになりそうな予感がした方は自衛してください)

    この話の彼氏君は、私としては、とても紳士的な人だなと思いながら書きました...。からだの関係を求める時に、今後どんな風に付き合っていきたいか、ちゃんと話し合えたら良いのですが難しいですね。



    追伸いただいてありがとうございます!
    (先程こちらの追伸に気がつきまして、返信が遅くなりました...)

    「批判的なものは含まれてはいない事はわかっている」と言っていただけて、分かっていただけることが有難いです。

    あまり上手くない文章ですが、心情を理解する手がかりとしていただけてこんなに嬉しいことはありません! ありがとうございます!

    編集済
  • 第8話 兄ちゃん②への応援コメント

     自分が『守ってやってる』という自負が、弟が自身にとって都合の良い所有物になる様に、兄もまた、期待するのでしょう。

     無関心も辛いですが、期待される内容によっては、それ以上に残酷に感じます。
     

    作者からの返信

    コメント、ありがとうございます!

    「都合の良い所有物になる様に」というのは、まさにそうだと思います。
    そして、悪意がない分ありがた迷惑を自分がしていると気づきにくいように思います。

    このエピソードは実体験なので、「残酷に感じる」とはっきり言っていただけて、勝手ですが救われました。

  • 第7話 兄ちゃん①への応援コメント

     自分にできない事をする人は、確かに怖いですね。

    作者からの返信

    コメント、ありがとうございます!

    薄情な主人公だと言われる覚悟で書きましたが、そのように心境を理解していただけるのはすごく有難いなと思いました!

  • 第6話 母ちゃん②への応援コメント

     人は近しい人にある種の期待をして、それが正解だと思い込みますよね。
     そして上手くいかなければ、心が揺さぶられ、上手くいけば、ああ、やはり自分は正しかったんだと満足します。

     では、期待された側は、何に満足すればいいのでしょう?

    作者からの返信

    コメント、ありがとうございます!

     とても的確に読み取ってくださって私から付け足すことが何もないほどです。ありがとうございます!

    「期待された側は、何に満足すればいいのか?」
     この問いについて私も考えながら書きました。

     私なりの答えとして、期待された側が自分のやりたいことを犠牲にして期待に答えた後は、別の誰か(子どもなど)に期待をかける、というように連鎖するのではないかと思います。
     期待した時に「それは誰の人生のための期待なのか」と自分に問いかけて立ち返れると良いのですが。