応援コメント

第14話 社会人」への応援コメント


  • 編集済

    頭で考えた「幸福」な現状であって、漠然とした破滅願望と
    漠然とした不安の裏返しに見えます。

    現代日本においてはほぼ経験することの難しくなったもっと身体的、本能的な
    「危険」というものに身を置いたらそう言った思考の緩さや甘さといった
    身体的なものと頭で考えた想像のズレみたいなものが実感できると思います。

    幸いなことに五体満足でおりますが、小学生までの子供の頃を振りかえっても
    実感を伴って運が悪ければ死んでいると思えることが5回では足りません。
    そういった経験をすると「頭で考えていても身体が動かない」と言うことを
    感じられますし、知識で知っていることと身体感覚との違いも理解できます。

    本能的な危険を知っていると考えた状況に自分を置くことに違いが出ます。
    そのような実感が記憶と身体感覚で残っていると「漠然とした不安」を
    分析して、分割し、具体的に何が不安なのかと言うところまで分解出来るようになります。そして、解体した不安の要素に対してもっとも不安にする核のようなものに対してどうすれば不安を消せるかと言う部分に踏み込めるようになります。

    人間も所詮は動物なのです。生物的な危険を忘れている現代日本人はあり方を
    間違っていると思いますね。
    たしかに時代が違いますが、子供の頃に生命の危険を
    感じる遊びを「できなく」なっていることに問題を感じます。
    危険が潜むことに対してもう少し敏感になれるのにそれ自体を忘れていては
    身体が発する「欲求」を誤って捉えてしまいます。
    本当は危険なことを身体が感じて、それを避けたいと言う欲求を発していても
    頭で押さえつける、気づかないふりでは不安が判らなくなります。
    身体の声にもう少し耳を傾けるようになると不安の捉え方が変わるかと。
    ご参考までに。

    追記
    身体的な感覚を言葉で説明しようと試みましたがやはり難しいです。
    シンプルに普遍的なことだけ言うと、
    自分にもっと素直に生きないと次の瞬間には死ぬかも知れない。
    それでいいのか?ということです。
    望まないことをしがらみや思い込みでやっている人は多いですが、
    いざ死に向かったときに「当事者として」どう向き合うかということ。
    普遍的に人は死にます。それを最終目標として見るときそれでいいのか、と。
    良い学校、良い会社、良い生活。周りに言われるまま、
    思い込みで目標をそこに置く人は多いけれど、それは中間地点です。
    病気や事故で死に向き合ったときに当事者意識が持てないと
    自分がぼやけませんか?
    病で死にゆく人が「お前が死ぬんだぞ?」と怒鳴りつけられて気づくようなことでは
    あまりに情けないではありませんか。
    せめてあの世に後悔を持って行くなら少なくいきたいですよね。
    身体感覚と頭で考えることのズレというのを別の表現でしてみました。
    少しでも分かり易くなっていれば幸いなのですが。
    長文失礼しました。

    作者からの返信

    たくさんのコメントをくださり、ありがとうございます!

    「頭で考えた幸福な現状」という言葉をいただき、「普通に毎日生活を送れていることは、世間一般の幸福には該当しているから「幸福」だと思っている」ことを指してそうおっしゃったのではないか...と思いました。違っていたらすみません。

    @fts01さんの不安や欲求等の捉え方を教えていただき、とても有難いです。
    まだコメントのすべてを自分の中に落とし込めておらず、今何度も読み返しております。

    今後、漠然と不安が湧いたように感じた時に、いただいたこのコメントを読み返して参考にさせていただきます。ありがとうございます。



    追記ありがとうございます! なるほど、と思いました!

    追記いただいたことと合わせて、私なりに「自分の人生の判断を誰にも委ねない代わりに自分で責任を持つ」ことなのかな、と考えたりしています。

    「「危機」に身を置く」とおっしゃったことは、そのために必要な方法なのでは、と解釈しました。

    例えば、依存症の治療の動機づけとしての底つき体験のような感じですかね...。
    以前、@fts01さんにいただいたコメントの、「諦めを持って自分にできることをする」ことの意味もずっと考えておりました。
    これは「誰かが何とかしてくれる」ではなく、「自分で自分を変えないと終わる」という意識を持った時にやっと治療に本気になることと近いのではないかと思いました。

    それは普段の生活でも持っているべき意識で、それが@fts01さんの追記でおっしゃった「当事者意識」なのかな...と思ったりします。

    恐縮ながら、まだまだ汲み取れていない部分もありまして、今後もたくさん考えていこうと思います。
    貴重なお話をいただき、ありがとうございました!

    編集済
  •  優しさの裏返しですね。
     すれ違う人々一人一人に自分を重ねるからこその、罪悪感なのだと思います。

    作者からの返信

    コメント、ありがとうございます!

    前回までのエピソードを踏まえて読んでいただけて、嬉しいです。

  • 暴力表現があるんですが、スピード感のある文体のため、そんなに嫌悪感は感じなかったです。

    作者からの返信

    コメント、ありがとうございます!

    こうして教えていただけると本当に助かります!
    「嫌悪感は感じない」と言っていただけて安堵しました。