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  • 「人の為に」の孤独感。への応援コメント

    自主企画への参加有難うございます。
    「人の為に」なることをするのは下手すれば大きなお世話でただの偽善者になりかねないことなんですよね。


    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    端的に言うとそんな感じですね。人の為にと言っておきながら、本当にそれが人の為になっているのか、とてもわかりにくいものです。暗中模索以外わかる方法があればいいのですがね。

  • 強さへの応援コメント

    コメント失礼します。
    反論ではないんですが、読ませていただき、強いことと弱いことの二極で捉えられていることに自分としてはちょっとひっかかりを覚えました。
    何に強く、何に弱いか…それが曖昧な気がしたんです。
    というのも、誰しも強い部分と弱い部分を持っていると思うんですね。
    で、こちらで言う「強い人」というのは、自分が何に「弱い」かをしっかり認識し、それを受け入れられる人のことを言うのでしょうか?
    つまり、自己肯定感の強い人ですね。
    捉え間違ってたらすみません^^;

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    こんばんは、波ノ音流斗です。

    この文章は、私がだいぶ参っていた時に書いていたものですので、だいぶ曖昧で乱雑な部分が多かったと思います。読みにくい文章ではなかったでしょうか?

    今の私が参っていないかと言うと決してそうではないのですが、少し俯瞰的に見れるようになった私からすると、この話はもう少し概念的なものなのかもしれないと思っています。

    数年前に私の周りにいた人間で、私には弱みを見せることなく笑顔だったり何事もないかのように振る舞たりして、私の知らないところで泣いている、みたいな人が割と多く存在していてですね。

    そう言う方々を見て、そう言う負の感情を曝け出せる信頼関係を持つのもすごいと思ったし、もっと根底の部分から、「あ、そんな振る舞いができるってすごいな」って思っていたりしていたわけです。


    まぁあまり本文と言ってることが変わらないのは申し訳ないです。昔の私は、なんと言うか、「自分ができなくて、他人のできること」それに対する一種の羨望みたいなものを綴りたかったのだと思います。


    長くなりました、拙い日本語ですので掴みにくいところが多かったと思います。私も言語化するのが下手ですので。

    最後に、この文を手に取っていただき、ありがとうございます。

  • 「人の為に」の孤独感。への応援コメント

    他者の存在を認めていらっしゃるのだなあ、と思いました。
    きっと良い事です。

    私はそういう確信にまで至りません。

    作者からの返信

    こんにちは、波ノ音流斗です。

    他者の存在を認めるというのは、まぁ良いことなのでしょうか。素直に褒め言葉として受け取ります。

    私が得てるのが「確信」なのか「盲信」なのかはだいぶ微妙ですし、そこまで気にすることでもないのかもしれないです。まぁ、それに関して何か考えるきっかけになったのでしたら幸いです。

    読んでいただきありがとうございます。

    編集済
  • 童心の空白と空白の発狂への応援コメント

    消えていったりはしないよ

    少なくとも、あなたは『ここ』にしっかりと『刻んで』いるじゃないか。

    自分は、頭の中に思いついた小説のシーンとかセリフとかネタとか設定とか『書き残していなくて』頭の中から消えちゃって絶望することがよくある。
    でも断片メモとか日記とかで何とか書き留められたものを繋ぐ形で、かろうじて小説ができてゆく。
    その時、文章を少しでも刻めていて良かった。と、心底ホッとする。


    だからこの場に刻まれた文章は小説か詩かエッセイか自身の振り返りか分からないけど『何か』になってあなたの身を助けてくれるハズ!

    作者からの返信

    その「ホッとする」という感覚は少なからず大事にしたいです。

    近頃この「消えていく」という感覚が非常に鋭くなっていってて、自分で毎度絶望を覚えていることがあります。末恐ろしい話です。

    貴方様のような方に、この書き殴りの寄せ集めを読んでいただけているというのが、物書きとして、いつか消えるものとしてありがたいものです。

    コメントありがとうございます。

  • 『努力』って言うから堅苦しくなるんじゃないかな?
    やりたいことがあるからやってみた→案外続いてる。てな感じでいいと思う。

    よくよく考えると『努力』と言うのはあくまで他人が自分に対する評価として使う概念なのかも。

    他人が『努力』してると評価しても本人にとってはただ好きで続けてただけだったりするし。

    自分にとって、小説書くことは完全に好きで好きでノリノリでぜんっぜん苦にならない……というわけではなく、しんどい苦しい辛い、けども上手い下手は別にして自分にはこれしかないからという縋《すが》りに近いものがある。

    そういう意味では、この場で自分は絶対書けないと思う論述文章を見てしまうと、第三者視点で『すごい努力だ』と思ってしまうわけです。

    作者からの返信

    最後のそれを『すごい努力』と認識できているだけで立派な人間です。これを時折『才能』と片付けてしまう人がいるので。

    何かを続けるという行為において、何か物に縋ったり、好き好みを貫いていたり、とそういう感覚を持つ人間も少なくないのですが、私はどうも気分屋みたいなところがありまして、そういう行為が出来る時点で「すごいなぁ」と憧れを抱く時があります。

    なんというか、その「継続」という行為もすごいのですが、その継続が他人に評価されるようなものに膨れ上がっているというところが『努力』のすごいところなのかもですね。だいぶ他人よがりな考えではあります。

    まぁだから結論、自分が他人の目を気にしているという部分があるのかもしれません。

  • 強さへの応援コメント

    逃げていいよ。逃避してなんぼだよ。だって心が死んだら身体も死ぬ。それで終わっちゃうじゃん!

    逃げるのってほんと大事。
    自問自答してしんどくなったら『また今度考えよう』と後回しにする(逃げる)もん。

    逃げるのはカッコ悪くない。生き残る為に必須の行為。弱いわけじゃない。

    だって
    人生は生き残ったもん勝ち!
    だもん。

    作者からの返信

    三十六計逃げるに如かず、でしたでしょうか、そんな言葉もあったりしますよね。

    まぁ自らの力不足を認識せずに特攻するよりはよっぽど大事な行為だと思います。ただ、その行為をし続けないようにと自戒してはいるのですが。

    生き残って勝ったとして…と話を進めると、少し暗くなりそうなのでここで留めておきます。

  • 自分の幸せ、他人の幸せへの応援コメント

    反論っぽくなるのを最初に断っておくけど。

    自分はこれまでいじられ役で、それにほとほと嫌気がさしてしまった。
    いじられ役の犠牲の上に成り立つ『笑いの場』の構造。それに対する激しい怒りで処女作を書き上げた。
    それからは自分の怒りを小説に込める日々を送ってる。

    『人は他人の不幸をエンタメとする残酷さを持っている』

    この仕組みを知ってしまったから、自分は意地でも人の為に犠牲になぞなるもんか!と誓った。

    そして自分の受けた理不尽、生まれた怒りは全て小説として再利用してやる!と生きてく上での方針を決めた。

    だからこの項を読んで、激しい怒りにとらわれてしまった。

    色んな考えがあるからこの世は面白いし、だから、あなたを否定するというのではないのだ。
    だけど自分みたいな人間もいるということはせめて認識だけはしてほしいかも。

    作者からの返信

    こんにちは、涙ノ音流斗です。

    反論の方が討論には必要ですので大歓迎です。
    あなたの処女作、そしてその後の人生の指針、大変な苦しみを抱えて生きて来たことを理解しました。口ではこのように言えても、やはり理解し切れるものではないでしょう。

    一応誤解なきようにお伝えしておきますと、私自身いわゆるドッキリのような軽いものを始めとして、あなたのお言葉をお借りすると『他人の不幸をエンタメにする残酷な行為』が結構苦手です。生理的、本能的な嫌悪感を感じている感じであります。

    しかしながら、この文章を書いた頃の私もまた稚拙だったようで、自分の意見を他人に押し付けるような解釈をしかねない表現になっていました。書き直すというのは少し違う気がするのでそのままにしますが、貴方様の心の腫れ物を殴りつけるような酷い行為をしてしまったと、ここで謝罪させてください。

    そういう認識は持ち続けるつもりです。他人を不幸にすることは絶対悪であるというのは、普遍で不変の事実にし続ける所存です。

  • 「孤高」の孤独感。への応援コメント

    孤独に自問自答し苦しみや怒りを凝縮させて小説を創る作家と、朱に交わり様々なものを取り込み小説を作る作家がいたら、前者の方が何かとんでもないものを創ってそうな気がする。

    少なくとも、創作には孤独が必要不可欠だと思う。

    作者からの返信

    こんにちは、波ノ音流斗です。

    「気がする」という曖昧な感覚ではあるものの、何か根底で間違いないという確信を持てる解釈ですね。孤高は孤独であるけれど、孤独がいつか孤高に昇華することもなきにしもあらずなのでしょうか。

    コメントありがとうございます。

  • 強さへの応援コメント

    こんばんわです!またまた書きますね?しつこくてすみませんです😵😵💧


    私の思う強さとは、自分の感情や気持ちに素直になる勇気を持つことが出来る人が
    強いと思います😃😃💕

    好きなのに。好きと言えないのは、傷だらけになることから逃げてます!

    その逃げは、あらゆる面で
    表面化してきます!

    素直になると傷付くけど。一旦乗り越えてしまえば。強さが身に付きます。


    隠すことは本来の自分を
    偽ることです。それは弱さです。合わせておけば、何も
    文句は言われないですから。

    作者からの返信

    またまただなんてとんでもないです。返信、ありがたい限りです。

    自らの感情に向き合うこと、中々私も苦手なものでして。なんというか、他人の目を気にしているというか、人への迷惑に敏感になってるとか。そんなところだと思っておりますが、やはり傷つきたくないというのも否定できないですね。

    私には少し強くなるのに時間がかかりそうです。

    コメントありがとうございました。

  • 自分の幸せ、他人の幸せへの応援コメント

    う~ん(゚-゚)💦💦作者さん初めまして。こんばんわです😊🎶

    とてもシッカリとご自身の考えや意見をお持ちだな?と率直に感じました。

    私が読むと、作者さん考えすぎ、考えすぎ💦💦🌀と思ってしまいます。
    他人の幸せ=自分の幸せ。と受け取れなくなる自分が
    醜い!とまでは行かないにしろ、責めてもどうにもならないのです。

    典型の鬱の症状でございます。私も統合失調症ですが、やはり自分を責め、痛めつけていた時も、たくさんありましたが。


    鬱ゆえに苦しむ。ゆえに優しさからくるモノだと思います。作者さんは本来ならば、とても計り知れない程にお優しい方だったんだな?と思います。


    今では、私はかなり復活して来ましたが。

    やはり、治りかけの時は、
    脱力感がすごくて、感情が落ち込み辛い時期もありました。

    それを私は、鬱状態なんだと
    解釈しました!何のやる気も起きず、ただただ自分を痛めつけて。


    それをする事で
    過去の過ちや亡き両親、または未来へと……


    償いをしているつもりでした。その鬱状態から知らぬうちに脱して、今があります。


    やはり、料理や手先を動かして体を動かす事が一番だと
    思います。


    太陽からプラスのエネルギーを吸収して、笑顔になって下さいね!

    作者からの返信

    こんにちは、波ノ音流斗です。

    返信が遅くなってしまい、申し訳ありません。

    この文章は、かなり前に書いたものです。一応その頃から病院に通い続けておりまして、今のところまあまあといったところでしょうか。

    しかしまぁ、なんとなくこれを書いた昔の頃と考え方はあまり変わってないのかもしれません。
    あまりに悲観的というかなんというか、ひどい文章だと我ながら思うわけですが、いかんせん孤独は苦手でないにしろ、他者の愛には飢えているようで、そんな自己中心的なものと絡まりつつあるようです。

    とはいえ、やはりこういう考えに固執しすぎないように気をつけるつもりです。

    応援ありがとうございます。貴方様の経験からのお言葉を無駄にしないよう、気楽に精進してまいります。体を動かすところからですね。

    ありがとうございます。

  • 空虚、もしくは幸せへの応援コメント

     荘子を読むことはいいかもしれません。決して励ましの言葉はありませんが、オウム真理教にもどこにも繋がっていません。

  • 僕もです。僕の考えであっているか分かりませんが、受験勉強でも、八時間とかやってしまうのは、ある種受動的であるとも考えられる、むしろ休むことはそれはそれで良いとも聞きました。
    休む能力も大事です。しかも、続けられる能力は、専門に没頭してしまうとも言えます。
    他人への奉仕が全てという訳でもありません。一度評論を読んでみるといいかもしれません。自分の知識欲を掻き立てることは面白いですよ。こうして言うと胡散臭いですが。

  •  いいと思います。英語ではdiscriminationが差別と区別を兼ねると聞きますが、そこは化けないように常に監視し続けるしかありません。
     自分はとりあえず理不尽なレベルのジェンダーギャップと差別とそれぞれの生きづらさをなくしたいなと思っています。ただ、今はそれを達成する手段について知らないので、その理不尽の土壌をあらゆる手段を用いて抹消すべきとなっています。ドラえもんのしずかちゃんの持ち物を本にするとか、トイザらスのおもちゃコーナーの青、ピンクの壁を取り払うとか、それは正しいと感じています。それらの徹底したこどもの意識改革を行うべきだと思っています。
     自分の考えは適宜訂正します。

  • 「孤高」の孤独感。への応援コメント

    こちらもクソみたいなマウントになりますが、同じタイプです。学校で、「みんなの早押しクイズ」に参加するやる気が出ないそれだけで自分は孤独に苛まれましたね。部活は特にそうでした。「ひとりじゃない」っていうのは「トーキョー・ダモイ」みたいな真に受けたらバカを見る言葉でしょう。だいたい歌詞書く人も歌う人もこっち側にいない。

    「ちょっと何言ってるか分からない」彼らの常套手段ですね。でも……自分は彼らとアイツとの中間、蝿であり人間である、醜い存在でした。あの頃はよく分からなかった。
    おっと自分語りですね。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    他人の自分語りを聞くのもこの小説の趣旨なので大丈夫ですよ。
    中々大変な体験をされたのですね、私はそのような環境下より遥かに優遇されたところにいたのでしょう。「醜い人間だ」と突っぱねることができるのも強さなのだと思います。


  • 編集済

    「人の為に」の孤独感。への応援コメント

    自分が与える人間、もしくは与えられる人間になって人との身分差ができるのが怖いです。

    与えられる人に対しては、生活保護制度への批判。
    与える人に対してはミツグ君。

    人の為と書くのは、
    「人の性は悪なり,その善なる者は偽なり」
    荀子のこっちの意味の事をとっていたのでしょうかと思ってあまり考えませんでした。

    補:不安を煽るようなことを言って申し訳ありませんでした。ここに書くことしか出来ませんので証拠はないですが、そのような真似はしていません。でも、サイバーセキュリティとして、それはするべきかなと思っていまして。Googleの方で操作すれば、大体のデータは消去できますし、また簡単に新しいアカウントを作ることができます。それならばこのアカウントを維持したまま安全に執筆を続けられます。重ね重ねすみません。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    その怖さ、確かによくわかりますね、その身分差の発生による批判はどこか僻みのようなものを感じます。人間らしいといえばそれに収まりますが、なんとも虚しい話です。

  • 童心の空白と空白の発狂への応援コメント

     意見を求めるエッセイだとすれば、一言だけ。

     希望を忘れないでください。

    作者からの返信

    わかりました。希望、ですね。

  • 「人の為に」の孤独感。への応援コメント

    人の為というのは本質的には難しいことですよね。
    そもそも、人は自分の内面以外は明確に知ることができません。その時点で、他人の為と思う行為が、独りよがりになる危険性が存在してしまいます。さらに、それが自分のために。

    突き詰めて考えると、なぜ人の為に行動するのか。
    それは、そうしたいと自分が思うからです。
    よく見られたい、良い自分でありたい、理由はそれぞれでしょうが、自分がしたいからです。

    そこで、既に自分の為になっています。
    結果として、さらなる利益を得て、また自分の為になるかもしれませんが、そんなものに関係なくスタート時に既に自分の為なんですよね。

    だからといって、人の為に行動することをやめるのか。
    それも、それでいいと思います。

    ですが、究極的に自分の為であろうと、その過程で他人の為になることはあると思います。そもそも、一元論で考えるのがおかしいのだと思っています。

    たとえ、偽善でもそれが他人の為になると思えれば、行動すればいいと思います。
    もちろん、そこでやめるのも自由です。

    そして、行動の結果、
    相手の害悪になってしまう場合。
    これは責任を取ればいいでしょう。
    害悪になることを恐れ、人の為となる行動を止めてしまうのは、もったいない。自身の心がかわいそうです。

    先の責任も考え行動すればいいと思います。
    もちろん、取り返しのつかないこともあると思いますが、
    そこは都度都度判断するしかないですね。

    とにかく、偽善であろうと、結果自分の為になろうと、相手の害悪になる可能性があろうと、

    人の為に行動したいという、美しい衝動をそんなものの為に捨ててしまうのはもったいない。そう考えてしまいます。

    まあ、あくまでも、個人的な見解ですけどね。
    全ては個人の自由。
    その時々で、判断して生きていけばいいと思います。
    こうだと決めつける必要はないですもんね。
    人生なんて、曖昧なものなのですから。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    返信遅れてしまいすみません。

    美しい衝動、と言う表現はなんとも面白いなぁと思いました。他人を助けたいと言う所謂エゴのようなものに対して自分はどうも敏感になっていたようです。なんだか難しい話になるかなと思いましたが、そこまで深く考えずに、その美しい衝動に身を任せてみるのもいいのかなと思いました。

    とてもしっかり読んでいただけたようでとても嬉しいです。ありがとうございます。

  • 「人の為に」の孤独感。への応援コメント

    企画にご参加いただき、ありがとうございます。
    僕の作品でも先で取り入れようとしているテーマで、とても興味深く拝読いたしました。

    さて、僕の意見ですが。
    この世には魂の物語があって、一人一人が一生をかけて様々な体験をし、最終的には善悪を超えた完璧な存在になると言う考え方が僕には浸透しています。ですから、その時は無為に思えても、長いスパンで見れば無為なことなんてないんです。人の為に奉仕することも、人の為を思ってやったのに失敗したことも、全部必要な経験なんです。

    押し付けでいいんです。自分も相手もそれを体験する為に生まれてきたのですから。

    長々とややこしいことを失礼いたしました……。こういう心理に踏み込んだ話題、大好きでちょっと興奮しちゃいました。反省します……。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    返信遅れてしまいすみません…。

    魂の物語、とても響きがいいなぁなんて思いましたが、もしかすると本当にそうなのかもしれないと思いました。無為なことはない、とか、全ての体験が…とか、とても身になる話だと思います。

    心理に踏み込む話をこう語れるような方がいることはとても幸せなのだと思います。とても良い話ありがとうございました。

  • 強さへの応援コメント

    私が強いと思うときは、自分の考えがぶれない人や、弱さを素直に認めて他人に頼ることが出来る人かな。

    集団の空気に流されずおかしいものはおかしいと言える。
    その結果みんなに無視されたとしても、「無視されちゃった」と素直に認められる。
    そこからだったらどうすれば空気を変えられるか考えて実行していく。

    私が過去に言った発言として、ヤンキーに絡まれたときに、
    「喧嘩したら自分は負けるよ。でも怒りはするからね」
    と言ってみたら、そこから絡まれなくなりました。
    どこか芯の強さみたいなものを感じとってくれたのかなと良いふうに考えたりもしますが、
    相手からしたら「自分で負けるって言う奴ダセー」で相手にされなくなっただけかもですね(笑)

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    わたしもそんな強い人を見てきました。自分と違い愚直で鋼のような姿を見せる人間に憧れを抱いたものです。そのような割り切ることのできる人たちは、私のような人間を見てどのようなことを思うのか、なんとも気になりますね。

    あなたのその強さはとても良いものだと思います、これからも持ち続けてくださいな。

  • 自分の幸せ、他人の幸せへの応援コメント

    私は他人の幸せは無関係って感じかな。
    もちろん羨ましく思ったりするときもありますが、もっと凄い人がいっぱいいるのに、目の前の小さな凄さを羨む必要ないなと。
    どうせだったら最高峰のお金持ちとか羨まないとね。

    そして他人の不幸が楽しいです。
    不幸な人はエピソードが豊富。失敗しないための教訓や情報が盛りだくさん。

    他人が成功しても失敗してもどちらも自分にはなんの影響もないので、他人の自慢は聞きたくないと思ってしまいます。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    面白い考えだなと思いました。他人の不幸をそういう受け取り方をする方は、どこか成長の仕方が違いそうでいいですね。他人の幸せというのに固執するのも良くないかもしれません。

    多くコメントをいただくと、やはり人間はみんな違う考えを持って生きてるんだなと再確認できて楽しいですね、とてもタメになるいい話でした。

  • 「孤高」の孤独感。への応援コメント

    多くの人が孤独であると思っています。
    孤独であると認めたくないために、仲間ごっこをしているのかなと。

    家族すごしていたって、良い子を演じている本当の自分ではない孤独。
    恋人と過ごしても嫌われないために楽しませなくちゃと考え。

    そして底辺仲間の中で過ごしたところで、こいつら本当の仲間ではないと心の中で思いながら、上っ面の会話をして。
    だったら最初から飛び抜けた状態で、上の立場から話をする方が楽かなと考えたりします。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    仲間ごっこ、ですね。どうしても的を射てるような表現に聞こえます。実際楽な立ち回りはそちらの方かもしれませんし、それはそれで一つのライフスタイルなのかなぁなんて思ったりします。

  • 「人の為に」の孤独感。への応援コメント

    私は自分のために良いことをしていこうと思っています。
    自分が平和に過ごすためには社会が良くないと実現しない。
    だから社会を良くしようと。

    手助けできなかった自分がカッコ悪いと思うから、カッコ悪くならないために行動する。
    傷つけて悲しませると自分も嫌な気持ちになるから、嫌な気持ちにならないために傷つけないようにする。

    そもそも人のために何か出来るほど優秀ではないので、自分が出来ることはお手伝いするという気持ちで過ごしています。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    感服いたします、なんか割り切れるのもまた大事な気がしますね。自分は他人のことを考えられるほど優秀じゃないから、自分が過ごしやすいために他人を助ける、そちらの方が原動力としては理にかなってますし、むしろ自我で動いてくれた方がその手助けも受け取りやすい気がします。不思議とかっこいい立ち位置に見えますね。

  • 「しょうがない」とはへの応援コメント

    連載中の第7話まで拝読させていただきました。

    私自身『彼女』と同じような立場になったことがあったのでコメントさせていただきます。

    しょうがなければ彼女を泣かせてもいいのかという問いに対しての結論を申しますと、この場合『いい』か『悪いか』の判断はできかねるというのが素直な感想です。

    彼女の何に対しての涙だったのかも重要な気がいたします。私が『彼女』と同じ立場にいたときに流した涙は『責任ある立場にいながらも、うまくいかない出来事に対してうまく対応できない自分へのふがいなさ』から来るものでした。やるかたない事情で部活に参加できていなかった部員に対して、責めたり、その人に『泣かされた』と思ったりはしていませんでした。涙を流した原因がその部員であったとしても、その部員を『悪い』とは決して思っていませんでした。

    また自分は困り果てている、不幸だと思っていた方が、物事を解決しようと暗中模索するよりも楽な時もあり、あえて『不幸』なままでいた節もあったかもしれません。

    いいのか悪いのかという判断基準でははかり切れない出来事なのだと感じました。
    脈絡のない文章ですみません。少しでも参考になれば幸いです。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    この話はどうも感情的で稚拙なものとなっていたにもかかわらず、このように丁寧かつ参考になるお話を聞けて、どこか救われるようで嬉しいです。自分自身が参っていた部分があったので、あなたのそれのようなお話が聞けてよかったと思っています。

    これからもよろしくお願いします。

  • 「人の為に」の孤独感。への応援コメント

    「人」の「為」と書いて偽り。
    偽りの意味は 【嘘】 という意味ですよね。でもそれは結局、誰かの為にしたことが自分に返ってしまう事。
    この意見はなるほど、と納得できる考察のような文ですね。この考え方は正しくても間違ってもいませんよ。
    人それぞれの意見というものに思考を広げれるのは良い事ですから。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    こうやって人それぞれの意見に対して同じことを考える人、違った意見のある人、そもそもの解釈の違いのある人など色々な方がいて面白いなぁと思っているところです。納得していただけるような文章が書けていたということでしたら幸いです。

    これからもよろしくお願いします。


  • 編集済

    自分の幸せ、他人の幸せへの応援コメント

     ここで気になるのは『幸せの定義』です。
     『優越感=幸せ』であると定義するなら、自分が優越感を得たときには同時に『劣等感=不幸』を与えることになります。

     後半であなたが語っている『他人の幸せが私の幸せ』は優越感ではありません。『他人が嬉しいと自分も嬉しい』というのは、心の深い部分での共感のようなものだと思います。
     そのような感情を自覚しているあなたを私は尊敬します。

     最後の文章はまた、定義が最初に戻っています。
     『他人に優越感を与えるためなら、自分が劣等感を持ち続けるべきなのかもしれない』そのような意味ならば、私は、はっきりと異を唱えます。

     『偽物の優越感など、決して本物の幸せではありえない』

    作者からの返信

     コメントありがとうございます。

     この話に関しては、若干感情的に書いてしまったもので、読んでいて辻褄が合わない部分があったと思います。申し訳ございません。

     そうですね、「他人に優越感を与える」というよりは「他人に劣等感を与えない」という感覚なのかもしれません。
     貴方様がコメントしてくださったところでも少し話しましたが、他人に行う行為が正しいのかというところがまた論点になってくるかもですね。
     自分の能力だったり勝敗だったりで、相手となる他人に悲しみや苦しみを味わせるのなら、それは不幸を与えたということになるのではないか、それならその行為は、正しいとは言えないし、自分の幸福が他人の幸福を阻害したことになるのではないか、ということです。

     ただし、これを逆手に取ると、逆に幸福を与えたつもりでも本当はそうでないのかもしれない、という話が成り立ってしまいます。他人の幸福の概念を、自分だけで理解しようとしているからなのでしょうか。

     こちらもしっかりとしたご意見ありがとうございます。

  • 「人の為に」の孤独感。への応援コメント

     ここで言う『人の為に』は『その人のために良かれと思って行動する』ことであると解釈しました。

     そこでひとつ目の論考。それが『自分のためになると考えてやっている』のなら不純になる。それには対立する概念があります。『無私の奉仕』です。前者なら『人の為にした』わけではないのではないか。そういう主張だと思いますが、それだけでは『その人ために良かれと思って行動する』という行為の全てを不純と判断する理由にはなりません。

     同じように『ありがた迷惑になる』場合があるというのも、『その行為が本当に感謝される』という対立概念があります。

     つまり『その人のために良かれと思って行動する』ことが偽善に陥りやすいというのはわかるのですが、それを理由として、その概念そのものを否定するのは論理的におかしいのではないか。私はそう考えます。

     この論考から導き出されるのは、むしろ自戒が必要だということでしょう。

     ちなみにイスラム教徒は、自分が天国に行くために善行や施しをします。施しを受ける人間は施しをした人間が天国へ行くための手助けをしていると思うそうです。
     お互いに良い方に解釈するということも、人の心を癒す方法なのかもしれません。

    作者からの返信

     コメントありがとうございます。

     とても的を射てる意見だなぁと思いました。対立概念があることはなんとなく理解しているつもりでしたが、それを踏まえても中々全否定に聞こえてしまう書き方をしてしまっているようですね。自分の中で負の方向に捉えがちな節があるのかもしれません。

     自戒、というのも中々不思議な考えだと思いました。「しない善よりする偽善」みたいな文句が唱えられているのを聞いたことがありますし、それも考慮してみると、他人への行為が正しいのかどうかは、やはりその行為を受ける他人にしかわからないのかもしれません。

     イスラム教の話は初耳でしたね。そんな解釈の仕方があるのかと、勉強になりました。ポジティブ精神のなさ技なのか、何かそれ以上に強い力を持っているような気もします。その考えはなかなか面白いなぁと。

     長文の意見がくると、熟読してくれているようで嬉しい限りです。ありがとうございます。

    編集済
  • 強さへの応援コメント

    『コメントが欲しい人達の集い』から来ました。

    根本的に人間は社会的な生物です。
    群れを作らなければ生存していけない動物なのです。
    故に他人同士と協調する、協力し合う必要が有ります。
    他人の為に行動する事に意義を見出したり、それによって幸福を感じる事も有るでしょう。
    生物としてその様に在るのです。
    又、協力しあって生活し合えるように価値観が作られており、我々は幼いころからその価値観を学んでいるのです。
    他人の為に何かする事が善良であるとか高尚であると考える必要はありません。
    生きて行くための行動の一つだからです。

    とまあ。
    とりあえずパッと思ったのはそんなところですよー。
    ではでは。

    作者からの返信

     コメントありがとうございます。

     生きていくための行動の一つとして存在すること、という考えはいいなぁと思いました。どこか他人への行為に固執してしまっている部分があるのかもしれないですね。自分の中での生活にも生かすべき考えだなぁと思いました。

    ご意見いただき嬉しいです、ありがとうございます。

  • 「人の為に」の孤独感。への応援コメント

    「コメントが欲しい人達の集い」から来ました。
    「人の為に」の孤独感を読ませていただきました。すごく納得させられました。自分は「人の為」というのは良いことだと思っていたのですが、この思考を読んで考えが変わりました。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    「人の為」というのはまぁ、悪いことではないですよ、他人が喜んでくれるのならそれは幸せなことなので。どうもこの書き方だとネガティブな考えになりがちなので、他人への協力とかは惜しまないでくれると嬉しいです。

    これからも頑張ります。