応援コメント

欲求に純粋で真面目な人たちの話」への応援コメント

  • 『努力』って言うから堅苦しくなるんじゃないかな?
    やりたいことがあるからやってみた→案外続いてる。てな感じでいいと思う。

    よくよく考えると『努力』と言うのはあくまで他人が自分に対する評価として使う概念なのかも。

    他人が『努力』してると評価しても本人にとってはただ好きで続けてただけだったりするし。

    自分にとって、小説書くことは完全に好きで好きでノリノリでぜんっぜん苦にならない……というわけではなく、しんどい苦しい辛い、けども上手い下手は別にして自分にはこれしかないからという縋《すが》りに近いものがある。

    そういう意味では、この場で自分は絶対書けないと思う論述文章を見てしまうと、第三者視点で『すごい努力だ』と思ってしまうわけです。

    作者からの返信

    最後のそれを『すごい努力』と認識できているだけで立派な人間です。これを時折『才能』と片付けてしまう人がいるので。

    何かを続けるという行為において、何か物に縋ったり、好き好みを貫いていたり、とそういう感覚を持つ人間も少なくないのですが、私はどうも気分屋みたいなところがありまして、そういう行為が出来る時点で「すごいなぁ」と憧れを抱く時があります。

    なんというか、その「継続」という行為もすごいのですが、その継続が他人に評価されるようなものに膨れ上がっているというところが『努力』のすごいところなのかもですね。だいぶ他人よがりな考えではあります。

    まぁだから結論、自分が他人の目を気にしているという部分があるのかもしれません。

  • 僕もです。僕の考えであっているか分かりませんが、受験勉強でも、八時間とかやってしまうのは、ある種受動的であるとも考えられる、むしろ休むことはそれはそれで良いとも聞きました。
    休む能力も大事です。しかも、続けられる能力は、専門に没頭してしまうとも言えます。
    他人への奉仕が全てという訳でもありません。一度評論を読んでみるといいかもしれません。自分の知識欲を掻き立てることは面白いですよ。こうして言うと胡散臭いですが。