2020年3月4日 前日にIOCのバッハ会長が記者会見で「五輪は余裕で開催できるさ、HAHAHA」とほざいたこの日、隣人の美少女が生活態度にブチギレました

なんだこのマスクは! こんなマスクが付けられるか!

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国内の感染確認999人(クルーズ船を含む)

2020年3月4日


全国の自治体や厚生労働省によると、3日午後11時までに国内で新型コロナウイルスの感染が確認された人の累計が合わせて999人となったが判明した。そのうちクルーズ船の乗客乗員が706人、チャーター機で帰国した人が14人となっている。

このうち死亡したのは12人で、人工呼吸器をつけたり集中治療室にいる重症者は58人となっている。

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 3月4日の朝、天気は曇り。

 小早川がスマホでニュースを見ながら、昨日の出来事を思い出す。


 ――やらかした。逢坂を抱きしめてしまった。


 恋人でもない自分が、逢坂を抱きしめるなどあってはならないことだ。

 向こうは気にしていない様子だったが、小早川は昨晩からずっと、恥ずかしさと気まずさで、悶え苦しんでいた。


 いくら色恋沙汰と縁がない人生を送ってきたとはいえ、ちょっと異性と親しくなっただけで好かれていると勘違いするなんて、まるで恋愛経験値0の男じゃないか。


 まさに恋愛経験値0の男こと小早川陸斗は、断続的に押し寄せてくる自己嫌悪と終わりなき戦いをしていた。


 そんな朝の平和な時間に、ピンポーンとチャイムが鳴った。

 ドアを開けると、派手な刺繍が施された布マスクを付けた逢坂がいた。


「様子を見に来ました。お変わりないですか?」


 紙袋を片手に玄関口で佇む逢坂に、小早川は問いただす。


「……どうした?」

「あなたがコロナで倒れていないか心配で来ました」


 簡潔に淡々と。

 逢坂は来訪理由を告げると、手にした紙袋を押し付けてきた。


「これ、先日のお礼です。受け取って頂けると嬉しいです」

「それはご丁寧にどうも」

「中身は手作りマスクです。もしよかったら使って下さい」

「そいつはありがたい」


 マスクの差し入れは、素直に嬉しかった。

 小早川にマスクを自作できるほどの手芸テクニックはないし、自宅にマスクの材料もなかったので感謝しかない。


 マスクなければ人にあらずの風潮は先日のコンビニ入店拒否で痛感しているので、これでやっと差別と迫害から逃れられる。


「ここで付けて貰っていいでしょうか? サイズが合うか心配なので」


 逢坂のマスクは、レースやフリルが付いた薄い水色のデザインだ。

 パステルな色合いが可愛らしくて、お花の刺繍は逢坂の雰囲気と合っている。


 ただ気になるのは、サイズが大きめな点だ。

 逢坂が小顔なのもあるだろうが、それにしてもマスクがデカすぎる。


 ブカブカなマスクを装着した逢坂を観察する。

 赤面しながら冷や汗を流していた。視線も泳いで落ち着きがない。

 もしかしたら、男に手作りの品を渡すのが恥ずかしいのかもしれない。


 小早川は(手作りのプレゼントを渡すなんて恋人みたいだしな。恥じらうのも無理はない)と共感しながら、紙袋の中に入っている手作りマスクを取り出す。


 逢坂の付けているマスクと同じデザインだった。

 サイズも逢坂のマスクと同じだが、少しだけ違和感があった。


 微妙にデザインが違うのだ。

 具体的にいうと、逢坂のマスクと刺繍の模様やその他が左右反転しているのだ。


「逢坂。こいつの素材はなんだ?」

「…………」


 小早川に問われた逢坂は、黙秘権を使った。

 額を垂れる冷や汗の勢いが増している。視線のキョロキョロがバタフライ。

 ブカブカのマスクから見える目元だけでニコッと微笑んで、


「では。また明日も様子を見に来ますね」

「待て。俺の質問に答えろ」


 あと、花柄の刺繍やレースが施されたデザイン。

 人間の顔に沿わせて作られていない、お椀型の何かを包むのに適した膨らみ。

 まるで、逢坂の大きなおっぱいを包み込むかのような曲線。


 小早川は、犯人を尋問する刑事のような表情で言葉を紡いだ。


「逢坂、これブラジャーだよな?」

「……布マスクです」

「安倍首相の記者会見かよ。はぐらかさずちゃんと答えろ」

「……私と同じでマスクのないあなたが困ってると思いまして、手持ちの材料で自作してみました……素材の関係で2つ作れましたし……」

「その素材はなんだ?」

「……恋する乙女の青春ブラです」

「んな恥ずかしいモン、顔に付けて外を歩けるか!」


 小早川は、逢坂手作りのブラマスクを片手に心のなかで絶叫する。


 ――いや、無理!

 ――このご時世でも男にブラマスクは無理だから!

 ――逢坂の善意はありがたいが、ブラマスクは善意の暴力にも程があるだろ!


 闇に流せば数十万の値が付きそうなブラマスクを紙袋に戻しながら、小早川は言うのだ。


「ありがとう、逢坂の気遣いに感謝する、これは返す」

「小さくてもう使わなくなったブラジャーの再利用なので、ご遠慮せず……」

「余計に使いたくないわ!」

「しっ、失礼ですね! ちゃんとお洗濯してますし、自画自賛ですけど出来はいいんですよ! ほら、ブラの内側にパッドを入れるポケットにキッチンペーパーを入れてあるからフィルター機能もあるんですっ!」

「機能面の不満じゃねーよ! 男が付けたら公序良俗に反するデザインに抵抗があるんだよ!」

「女でも恥ずかしいです! でも……そうだ! いちど付けてみて下さいっ!」

「これを付けろ……だと?」


 少し赤面した小早川は、逢坂のブラマスクを眺める。

 こいつを顔に密着させる……変態だ。ぜったいに変態だ。変態でしかない。


 逢坂は、頬を染めながら言うのだ。


「あなたは私のコロナに感染した可能性があります。だから第三者への感染拡大を防ぐためにもマスクが必要で……そのぉ、喜んでもらいたくて一生懸命作ったんです」


 指をイジイジしながら恥じらって言う逢坂は、悔しいけど可愛かった。

 そこまで言われたら、やることは決まっている。


「ふんぬっ」


 小早川は羞恥心を押し返しながら、逢坂の手作りブラマスクを装着した。


「ふぉぉぉぉ……うぉぉ……」


 ブラマスクを付けた瞬間に鼻腔を満たした、甘く官能的な女の子の香り。

 顔の輪郭にフィットする膨らみは、顔の輪郭にジャストフィット。

 極上の肌触りは言葉で表現することができず、皮膚から至高の官能を伝えてくる。


 ――女の子は、こんな素晴らしい肌着を付けていたのか。


 小早川は、ブラマスクの完成度とポテンシャルに驚愕する。

 自宅の玄関でブラジャーを顔につけて感動に打ち震えるその姿は、高度な訓練を受けた変態でしかなかった。


「どうですか?」

「認めたくないが……素晴らしい付け心地だ」

「喜んで頂けたようで嬉しいです」


 逢坂はペコリとお辞儀をすると、満足げな表情で言うのだ。


「明日も様子を見に来ます。何かあったら遠慮なくチャイムを鳴らして下さい」

「……あぁ」


 小早川はげっそりと疲労感を覚えながら、徒歩4秒の隣室に帰る逢坂を見送った。


(アイツ、明日も来るのか……)


 逢坂は、受けた恩は必ず返す主義らしい。

 そうでもなければ、たまたま手助けしただけの隣人である小早川に中古のブラジャーを提供するわけがない。


 毎朝美少女が様子を見に来てくるのは一般的に嬉しいシチュかもしれないが、それが恋人でもなんでもない高嶺の花の隣人だったら話は別だ。精神がガリガリすり減るに違いない。


 小早川は頭痛に苦しみながら、朝食の準備を始める。

 台所のやかんでお湯を沸かして、カップ焼きそばにお湯を注いで3分待つ。

 お湯をシンクに捨てると「ベコン!」と、ステンレスが音を出す。

 あとは液体ソースとふりかけをかけて、コンビニで貰った割り箸で食べ始める。


「雨、降ってきたかな?」


 お天気アプリによると、今日はにわか雨が降るらしい。

 空気の入れ替えを兼ねて窓を開けて確認すると、まだ雨は降ってないようだ。


「それ、朝ごはんですか?」

「そうだよ」

「朝からインスタント食品なんて不健康ですね。見てられません」


 今日も、街に活気がない。

 誰も彼もがコロナで自粛……って、誰に声をかけられた?


「今からそっちに行っていいですか?」


 声の出どころは、隣の部屋のベランダ。

 ベランダで洗濯物を干していたであろう逢坂が、手すりから身を乗り出すように隣室の小早川を覗き込んでいたのだ。


「今から来る……だと?」

「はい、どうせお暇ですよね? 拒否は許しませんよ」


 隣室のベランダにいる逢坂は、手早く洗濯物を干し終えながら言った。

 

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