新型コロナで濃厚接触するラブコメ

相上おかき

2020年4月7日

 堤防の並木道に繋がる階段をのぼると、桜色の景色が現れた。

 満開の桜。見渡す限りの桜色だ。

 桜色の世界を春風が吹き抜ける。花弁かべんの絨毯がふわっと揺らめく。

 ひらひらと宙を舞う桜吹雪は、マスクを付けた少年と少女に降り注いだ。


「さすがは桜の名所ですね。ここまで綺麗だとは思いませんでした」

「同感だ。景色に圧倒される」


 仲睦まじげに会話する少年と少女は、桜色の景観を満喫しながら談笑する。

 桜の名所で知られる堤防沿いの並木道には、二人以外の人影はまばらだった。


「俺は花より団子派だが、考えを改めるべきかもな」

「分かります。景色だけでお腹いっぱいになれますよね」

「前言撤回だ。花見には食い物が欲しい」

「残念ですがお弁当はありません。都知事にお花見は自粛しろと言われてますから」

「おのれ、小池め」

「くすっ、りっくんは食いしんぼさんです」


 都内のマンションで一人暮らしをする男子高校生――小早川こばやかわ陸人りくとは、同じマンションの隣の部屋で暮らす隣人の女子高生――逢坂あいさか玲奈れなの笑顔に顔をそむける。


 はにかんだ隣人が、あまりにも可愛すぎるのだ。

 マスクで隠れて目元しか見えない逢坂の笑顔で、小早川の頬は緩んでしまう。


 人影が少ない桜の名所を見渡しながら、小早川は罪悪感たっぷりに言う。


STY AT HOMEステイ アット ホーム、家にろ……か」

「日用品の買い出しや、毎日のお散歩はセーフです」

「俺たちのこれが散歩なのか、それとも花見なのかは、議論の余地があるな」

「これはお散歩です。異論は認めません」

「逢坂は悪いやつだな」

「陸くんも共犯者ですよ。だから他言無用でお願いしますね、ふふっ」


 桜色の世界で仲睦まじげに会話する二人は、共に都内の高校に通う学生である。

 今は平日の昼間だが、二人に登校は必要ない。

 2020年3月2日に日本全国で始まった一斉休校措置は4月7日の今も継続していた。


逢坂あいさか、マスクに花びらついてるぞ」

「そのままで構いません。おうちに春を持ち帰りましょう」

「花びらが欲しいなら、ビニール袋に詰めたほうが良くないか?」

りっくんは風情がないですね」


 逢坂はプンプンと不機嫌な仕草で、マスクで見えないほっぺたを膨らませる。

 その愛らしい仕草に耐えきれなくなった小早川は、逢坂の頭をポンポンして和む。


「桜の名所なのに、静かでいいですね」

「ああ。新型コロナもたまにはいいことをする」


 マスクが日常となった、桜色の世界で。

 小早川と同じ高校に通う逢坂は、マスク越しに笑いながら言うのだ。


「来年はお弁当持参で来ましょうね。小池さんが会見で言ってたじゃないですか。桜は来年もきっと咲く――と」

「来年の春までに新型コロナが収まっていれば……な」


 頭上の桜を眺めながら、小早川はぼやいた。


 その時、二人のスマホが同時に鳴る。

 ニュース・防災アプリの『NHK速報』が、速報ニュースを伝えてきたのだ。


「安倍ちゃんが、明日中に緊急事態宣言を出すらしい」

「まえから噂になってましたよね」


 休校中で暇を持て余す高校生には、緊急事態宣言もどこ吹く風だ。

 非日常の世界で、今日も二人の日常は続いている。


「陸くん……手を繋いでいいですか?」

「……あぁ」


 二人の関係は、恋人未満で友達以上。

 同じマンションに暮らす隣人同士に過ぎない二人は、ぎこちなく指を絡ませる。


「…………」

「…………」


 頬を染めながら初々しく桜並木を散歩する、小早川と逢坂は考える。

 気まずい沈黙。だけど心地いい。

 恋い焦がれる相手と二人っきりで過ごす、なんでもない時間が安らぐ。


「そろそろ帰るか」

「ええ。帰り道にスーパーでお買い物したいので付き合ってください」


 ただの隣人に過ぎなかった二人の関係が、他人同士から進展した運命の日。

 その日は、都内に小雨が降る3月2日だった。

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