逢坂玲奈の告白
逢坂の部屋は、よく整理整頓されていた。
玄関の靴は多くないが、台所の調理器具は多い。
リビングの左側にはシングルベッド、右側にはファンシーなテレビ台。
部屋の中央に小さめの座卓があり、窓際にはタンスを兼ねたスチールラック。
家具と寝具が淡いピンク色に統一された、女の子らしい部屋だ。
「一人で歩けるか?」
「大丈夫です……ご迷惑をおかけします……」
逢坂は、フラフラとベッドに倒れ込んだ。
小早川がキッチンで汲んだ水を差し出すと、薬局で貰ったばかりの薬を飲む。
「かたじけないです……」
「お前は武士か。俺は部屋の端っこに座ってるから、なにかあったら教えてくれ」
そう言いながら、小早川は逢坂の薬をチラ見する。
抗菌薬のレボフロキサシン水和物、鎮咳薬のデキストロメトルファン、去痰薬のカルボシステイン、解熱鎮痛薬のアセトアミノフェン。
風邪の諸症状に効く当たり障りのない薬で、無難としかコメントできない。
小早川は床に腰掛けて、スマホを取り出す。
自室のWi-Fiは届いている。部屋が隣同士なだけあって電波は良好だ。
「充電器、借りるぞ。バッテリーがやばい」
「あのぉ……」
ベッドに潜り込んだ逢坂は、体を起こしながら上目遣いで言うのだ。
「寝る前にお着替えをしたくて……」
「しばらく壁とにらめっこしてるから、さっさと済ませてくれ」
「申し訳ありません……」
小早川は、逢坂に背中を向けた。
何も見えないが、背後で衣擦れの音が聞こえてドキドキが止まらない。
(パサッ)と、床に布が落ちる音も心臓に良くない。
しばらくすると、着替えを終えたであろう逢坂が言った。
「もう大丈夫です……」
「他にも、なにかあったら――――」
小早川は、振り向くと同時に言葉を失った。
着替えを終えた逢坂は、淡いピンク色をしたネグリジェ姿をしてたのだ。
ゆったりとしたワンピースのパジャマは、ところどころがレースとフリルで肌色が透けていて目に優しくない。
着る人によっては痛々しくなりかねないロリーター趣味なネグリジェだが、童顔の逢坂の雰囲気とはベストマッチで、平たく言えば不覚にも赤面してしまうぐらい可愛いかった。
「…………」
言葉を失って呆然とする小早川に何かを察した逢坂は、高熱とは違うベクトルで赤面しながら「こ、これしかパジャマを持ってないんです……!」と布団に潜り込んでしまう。
ぼふん、と布団を被った逢坂は、消え入りそうな声で問いかけてきた。
「……こ、子供っぽくて引きましたか?」
「いや、よく似合ってると思う」
「うぅぅ……」
布団の中から、逢坂の恨めしげなうめき声が聞こえた。
俺はなにも悪くないと、小早川は心のなかで無罪を主張した。
無言の時間が少し、逢坂がポツリポツリと語りだした。
「……嬉しかったです。小早川君が声をかけてくれて……」
「同じマンションの隣人だし当然だ」
「でも……ひっぐ」
我慢できない涙が、逢坂から溢れてくる。
逢坂の泣きじゃくる口から、感情の奔流が言葉の形で溢れ出してきた。
「えっぐ……私はコロナに感染してからずっと一人ぼっちで……どこに電話しても助けてくれなくて……病院でも怖がられて……せきが酷くて熱があって立っているのもつらいのに、お店の外でお薬ができるのを待って欲しいと酷いことを言われて……っ」
いまの日本で、コロナ疑いの患者に人権はない。
そんな風潮があることはニュース番組で見て知っていたが、小早川にとってそれはどこか遠くの世界で起きている自分とは無関係の事柄に過ぎなかった。
逢坂の涙ながらの告白は、小早川が他人事のように考えていたコロナ差別を身近なモノと認識させるだけのインパクトがあった。
スーパーでは『発熱のあるお客様の入店はご遠慮下さい』と放送が流れている。
電車で咳をするだけで、周囲から人がサッと遠ざかる。
民間病院では医師法第19条第1項に違反する発熱患者の診察拒否が起きている。
コロナ差別の実在を自覚した小早川に、逢坂は咳と涙でむせながら言った。
「だから嬉しかったんです……小早川君が声をかけてくれて」
「下心ありきの親切かもしれないぞ。おたくみたいな美人はとくに多いだろ」
「ゲホゲホ……っ」
「無理に会話をしなくていい。今はおとなしく寝ていろ」
「ゴホッ……ふふっ。下心でコロナ感染者に親切するなんて、小早川君は命知らずさんなんですね」
逢坂は自分のジョークがツボに入ったのか、ニコッと優しい笑顔を向けてきた。
マスク越しとはいえ初めて見る逢坂の笑顔に、小早川もつられて笑ってしまう。
「私がコロナで突然死しそうになったら、救急車を呼んでくださいね」
「任せろ」
小早川の返事を満足げに聞いた逢坂は、まぶたを閉じて眠りについた。
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