概要
二十年前、故郷と母校の名前を失った私の思い出の物語
『教室は宇宙船、どこへだってゆける』
この言葉は二十年前に無くなった西東京市内の小学校『西原小学校』の校歌の歌い出しである。
二〇〇一年、私の住んでいた田無市は保谷市と合併して西東京市に改名され、私の通っていた西原小学校は隣の西原第二小学校と合併してけやき小学校に改名され、名前を失った。
ただ名前が変わっただけだと思っていた私は気づく。学校の名前が変わったのとともに、ずっと歌ってきた『校歌』がもう二度と歌われないものになってしまったことに――
※西東京市立けやき小学校は実在する学校です。そこのホールに行けば西原小学校と西原第二小学校の資料も読めるそうです。
※裕美ちゃんにあたる友達は実際にいましたが、名前は変えています。
この言葉は二十年前に無くなった西東京市内の小学校『西原小学校』の校歌の歌い出しである。
二〇〇一年、私の住んでいた田無市は保谷市と合併して西東京市に改名され、私の通っていた西原小学校は隣の西原第二小学校と合併してけやき小学校に改名され、名前を失った。
ただ名前が変わっただけだと思っていた私は気づく。学校の名前が変わったのとともに、ずっと歌ってきた『校歌』がもう二度と歌われないものになってしまったことに――
※西東京市立けやき小学校は実在する学校です。そこのホールに行けば西原小学校と西原第二小学校の資料も読めるそうです。
※裕美ちゃんにあたる友達は実際にいましたが、名前は変えています。