教室は宇宙船、どこへだってゆける

星川蓮

教室は宇宙船、どこへだってゆける

 二〇〇一年。

 今からちょうど二十年前になる。東京都の郊外に住む私はこの年、三つの大切なものを失った。


 一つ目は故郷の名前。

 私の住んでいた田無市は隣の保谷市と合併して西東京市になった。形の悪いおむすび型の田無市を、北から東にかけて覆うように保谷市は存在していて、私は子供心に田無市と保谷市の形はニホンザルの横顔みたいだと思っていた。

 それが合併により、何の面白みもないただの大きな三角形になってしまったのだ。


 二つ目は母校の名前。

 私の通っていた西原小学校(通称西原小)は、大通りを挟んですぐ近くにある西原第二小学校(通称西二小)と合併し、けやき小学校として生まれ変わることが決まっていた。

 理由は少子高齢化である。

 西原小は辛うじて一学年に三クラスあったが、西二小は一クラスしかなかった。そのため二つの小学校は一つにまとめられ、使われなくなった方の校舎は老人ホームとして使われることになったのだ。


 母校が無くなるなんて話は、テレビで取り上げられるようなうんと田舎の、それこそ一学年の人数が片手で収まるような学校だけに限ったものだと思っていた。それがまさか東京のど真ん中――都心ではないが、奥多摩郡までを含めた東京都内の中心はやはり田無辺りにある――で起こるとは思っていなかった。

 だから私は大いにショックを受けた。

 けやき小学校は西原小の跡地に作られることになった。老朽化が進み、どこもかしこもくすんだ校舎を建て直すため、私達は強制的に西原小を追い出され、西二小という通うつもりのなかった校舎へ通うことになったのである。

 しかし、小学生の生きる時というのは速い。最初は不満や違和感を覚えていた西二小校舎での学校生活にも二週間もすれば慣れた。


 そして三つ目。

 それは私が気づかない間に失われていたものだった。西原小の校歌だ。

 正確に言えば、学校が無くなったことで、私が失ったものは数え切れないほどあった。校章や教育目標なんかもそうだ。ただ子供だった私にとって、学校が決めた記号や言葉はどうでもよかった。

 ただ校歌は私にとってとても大切なものだった。


 そのことに気づいたのは、西二小の校舎に通うようになってから二年後のこと。取り壊しの準備が進んだ西原小の校舎が、在学生或いは卒業生向けに一日だけ解放された日のことだった。

 五年生になった私は一年生の頃から仲良くしていた裕美ちゃんと一緒に、懐かしい校舎を訪れた。


 上履きに履き替えなさいと先生方からきつく言いつけられていた校舎を靴のままで入るのは新鮮な気分だった。校舎の中は業者の人達が入っていたので、どこもかしこも土足で入っていいことになっていた。

 西原小の校舎は少し変わった形をしている。少なくとも西二小とは違っていた。

 正門をくぐるとすぐに校舎のピロティが広がっている。ピロティを越えずに左のドアを開けると体育館がある。ちなみに右に行くと校舎の渡り廊下が、ピロティを越えて右に曲がると学年別に分かれた二つの下駄箱と校庭がある。


 私と裕美ちゃんはまず体育館に入った。入学式の時に初めて入った体育館は体育の授業は勿論のこと、始業式や終業式といった集会や展覧会の展示、学芸会の発表場所として大いにお世話になった場所だ。

 西二小の体育館と比べると、キャットウォークの手すりの感じなど些細な違いはあるが、バスケットゴールやろくぼく、床に書かれたコートの線は同じだった。


 ただ、一つだけ決定的に違う物があった。舞台の横に掲げられた、校歌の歌詞が刻まれた金属板だった。

 西二小の体育館には西二小の校歌が掲げられており、校舎が変わったばかりの頃こそ、歌ったことのない歌詞に恨めしさに似た拒否感を覚えていたが、今では当たり前の景色の一部と化している。

 しかしこうして再び校歌の歌詞の掲げられた体育館に来てみて、懐かしさと愛着がふつふつと沸いてきた。


「西原小の校歌ってさ」


 私の視線に誘われたのだろうか、隣にいた裕美ちゃんも金属板を見上げながら言った。


「すごくいい歌だよね」

「うん。作詞した人、有名な詩人なんだって」

「谷川俊太郎さんでしょ? 私、図書室でその人の本見たことあるよ」

「へぇ、すごい。本当に有名人なんだね、その人」


 西二小に通うまで、世の中の学校の校歌が全て違っていることを私は知らなかった。校歌と呼ばれる歌は日本のどこに行ってもこの歌なのだと思っていた。

 音楽の授業で歌う歌にはタイトルがあって、親や習い事先で仲良くなった友達も、タイトルを聞けば同じ歌を思い浮かべたのだから、『校歌』という名前の歌が存在しているものだと信じ込んでいたのだ。

 けれど実際に私の知っている校歌を知っているのは西原小に通っていた生徒だけで、中学高校と進学すればまた別の校歌が待っている。

 校歌とはタイトルのない極めて曖昧な存在なのだ。


 私は改めて、西原小の校歌の歌詞を黙読する。



『田無市立西原小学校』

           作詞 谷川俊太郎

           作曲 牛腸征司


 教室は宇宙船 どこへだってゆける

 けやきのこずえにつづくあおぞら

 大きなゆめをもとう 西原のぼくとわたし


 教室は魔法の部屋 だれとだってあえる

 昨日と明日にひびく歌声

 ゆたかな心をもとう 西原のぼくとわたし


 教室は小さな国 なんだってできる

 ひとりひとりが力合わせて

 正しい世界めざす 西原のぼくとわたし



「この歌、二年前の終業式以来、歌ってないよね」

「今は『けやき小の歌』が校歌みたいなものだしね」

「もうこっちの校歌は一生歌わないのかな」

「歌わないと思う。西原小はもうないんだし」


 聞くまでもないことだった。わかっていた。今はどこの小学校に通っているのかと聞かれれば私もけやき小と答えているし、何かに学校名を書かないといけない時も、やはりけやき小と書いていた。

 その名前は手に馴染み、西原小という言葉はどこか遠い存在になっている。

 西原小はもうどこにもない。校舎も明日から本格的に解体工事に入ってなくなる。新しく建てられる校舎は、西東京市立けやき小学校のものだ。


「裕美ちゃん、懐メロって知ってる?」

「昔の歌のことだよね? ぎんぎらぎんが何とかって奴とか、光源氏とか」

「そう。あれ、ずっと前の曲なのに、今でも歌われてるじゃん。多分二十年後とかでも親世代なら歌ってる」

「それがどうかしたの?」

「誰にも歌われなくなった校歌は死んじゃうのかな」


 私の話を聞いて、裕美ちゃんは口をつぐんだ。やはり裕美ちゃんも同じことを思ったのだとわかった。

 校歌は普通の歌と違ってCDにならない。学校の歴史と一緒に生徒が歌いつないできた歌だから、歌われなくなった瞬間に存在してないのと同じになる。

 学校の歴史が終わるのと一緒に消える、それが名前のない歌、校歌。

 既に歌われなくなってから二年の月日が流れている。けやき小の二年生はもうこの歌を知らないし、三年生くらいならばもう忘れてしまった生徒もいるだろう。


「そろそろ校舎の方に行こうよ」

「そうだね」


 西原小の校舎はテトリスのS字のブロックのような形をしている。横長に広がった校舎の両端と中央に階段があり、迷子にならないようにするためか、壁の信号の色で塗り分けられていた。その壁の色にちなんで、体育館に近い方から、青階段、黄階段、赤階段と呼ばれていた。


「懐かしいね」

「うん、懐かしい」


 私と裕美ちゃんは一年一組の教室にいた。私と裕美ちゃんが友達になった思い出の場所だ。教室には当時の机と椅子がまだ残されたままだった。五年生になった私達にとって一年生の机と椅子は玩具のように小さかった。

 適当に一つ席を選んで、裕美ちゃんと座る。

 思えば校歌を覚えたのもこの教室だった。六年生の生徒が歌詞の書いた模造紙を持ってやってきて、一緒に歌って覚えたのだ。その時から私は、この校歌という歌が大層好きになった。

 私にとって初めての校歌だったから、というのは勿論あるだろうが。


「教室は宇宙船。魔法の部屋。小さな国」


 校歌の歌詞の一節をそらんじながら、周囲を見渡す。


「教室を見て宇宙船って思いつくの、すごいよね」

「ね。詩って大体意味わかんないけど、西原小の校歌の歌詞はいいって思う」


 本当に教室が宇宙船だったらいいのにと思う。どこへでも行ける宇宙船なら、解体されないところまで飛んで行けただろうに。

 なんだってできる小さな国だったらよかったのに。そうすれば校歌を、CDのような形あるものとして残せただろう。


「なんで西原小、無くなっちゃったのかな? なんでもうあの歌、校歌じゃないのかな?」


 急に悲しくなって私は小さな机に突っ伏した。隣にいた裕美ちゃんが立ち上がって、私の一つ前の席に移動して頭をなでてくれた。


「仕方ないよ。そう決まっちゃったんだから」

「西原小は何も悪くないじゃん。元はといえば西二小のせいじゃん」

「西二小だって悪くないよ」

「悪いじゃん! 向こうはクラス一つだけだったんだよ? 合併したいんだったら、西二小の子達が西原小に転校してくればよかったじゃん! 名前だって、向こうは第二で、こっちが先に建ってたんだよ?」

「だとしても悪くないよ。西二小の子達だって母校の名前と校歌を無くしたんだよ。ここが田無市じゃなくなったのも同じ。同じなんだよ、私達」

「……うん、そうだね。同じだね」


 裕美ちゃんは大人だなと思った。静かにそうさとされては、駄々をこねている自分が格好悪く思えた。


「ねぇ、教室を宇宙船にしてどこか遠くへ飛ばすことはできないけど、どこへでも行ける、誰とでも会える、なんだってできる場所にはできると思わない?」

「え? 裕美ちゃん、どういうこと?」

「思い出にするんだよ。この教室も、校舎も、体育館も、全部心の中にしまっちゃうの。そしたら西原小は私達と一緒にどこへでも行けるし、卒業しても誰とでも会えるし、なんだってできるでしょ?」

「できるのかな?」

「できるよ。だから一緒に西原小の全部を目に焼きつけようよ。一生忘れないくらい、はっきりと」


 裕美ちゃんはすごい。わがままですぐに機嫌が悪くなる私をなぐさめるのも上手だし、こんな夢みたいな方法でなんでも解決してしまう。

 西原小が私にとって大事なのは、こんな裕美ちゃんと毎日を過ごした場所だからなのかもしれない。


「そうだね。焼きつけよう。一生忘れないくらい」

「うん!」


 廊下に出て一緒に歩く。この校舎ではずっとそうしていたように、二人で手をつないで歩いた。これも裕美ちゃんの提案だった。五年生になれば恥ずかしいことでも、今は特別だと思うと堂々とできた。

 手をつなぎながら、私達は一緒に歌った。ずっと歌っていなかった、私達にとって初めての校歌を、もう歌い継がれることのない、消えゆく言葉をメロディーに乗せて。


「新しい校舎、どんな感じになるのかな?」

「綺麗な校舎になるって聞いたよ。渡り廊下はガラス張りになって、教室も仕切りがないんだって」

「仕切りのない教室? 隣のクラスの声、丸聞こえじゃん」

「信じられないよね。でもそうなるんだって。新しい学校になるんだよ。新時代って言った方が正しいのかな」

「それはそれで通ってみたかったかも」

「けやき小の校舎ができる頃には私達、卒業してるもんね」


 新しい校舎の話を聞くとワクワクした。今まで失うことばかりを考えていたが、取り壊されるからこそ新しい物が生まれるのだ。

 そこはきっと誰かの居場所になって、新しい校歌も誰かに愛され、大事にされていくのだろう。今の私が西原小に対して感じているように。


  ◇


 その日以来、私と裕美ちゃんが西原小の話をすることはなくなった。学校生活や習い事で忙しかったからとも言えるし、思い出す必要がなかったからだとも言える。

 それから一年が経って、裕美ちゃんは私立の中学校に、私は地元の公立中学校に進学して、段々と疎遠になっていった。私には新しい環境で作った友達ができて、高校生になる頃には裕美ちゃんと過ごす時間も完全にゼロになっていた。

 大人になるまでの間に、私は裕美ちゃんを含めて、気づかない間に色んな物を失ってしまったのだと思う。


 けれどふと、二十年経った今もあの日のことを思い出す。

 あの日、裕美ちゃんと歩いた校舎は確かに私の心の中に残っていて、辛い時、悲しい時、いつでも帰ることができるし、誰とでも会うことができる場所になっていた。

 もう校舎はなくなって二十年が経つが、名前も形も、学校を形容する歌も無くした私の母校は生きている。


 教室は宇宙船、どこへだってゆける。


              〈終わり〉

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