そして新たな機械神話を生み出すことができるのか

未来の地球で『太陽系連邦』が発足し、人類は新たなステージに進んだ……かと思いきや、『旧国連合』によって数多の人命が失われ、悲惨な戦争の歴史は繰り返されてしまう。
親友を失ったジークは機械神話に登場する神を模した巨大ロボット『ノア』に乗り込み、激しい戦いに身を投じていく――。

冒頭から友人の死亡シーンで始まり、インパクトがありました。
それでいて出オチではなく戦闘用ロボットのノアや、戦艦や兵器の造形など、緻密に練られた設定によって作者さんの『ロボット愛』を感じられました。
情熱の赴くままに書かれたロボットバトルや戦争シーンも、映像で思い描ければ迫力たっぷりになると思います。

しかしそのためには、小説である以上は文章のみで表現する必要があります。ですが残念ながら、熱意に技術が追いついていない印象でした。
台詞の時に「~~だな。」というような【「」の中に。を入れる必要はない】といったルールや、基本的な『てにをは』、『彼』が誰を指し示しているの? といった部分などなど、根本的な文章力の部分で見直しが必要だと思いました。
ただでさえSFやロボットものという題材は、現在の小説界隈において主流ではなく、読む人を選びます。なのに文章までもが分かりくく難解だと、多くの読者を獲得するのは難しいです。

そして文章力だけでなく、登場人物や物語といった点でも、もっと作り込む必要があったと思います。
主人公のジークの内面的な部分が一切語られず、彼が戦う動機やモチベーションが不明でした。連合への復讐心なのか、親友のような犠牲者を出したくないからノアを操縦しているのか、あるいはトラウマにケリを付けて自分の人生や幸福を掴み取りたいのか。
ジークに限らず、キャラが多い割にはそれぞれの人物にスポットライトが全く当たっていません。なので終始、『戦争をするためのオマケや舞台装置』という印象が拭えませんでした。登場人物までもが『機械』ではないはずです。

名作ロボット作品というのは、ロボット同士が戦って戦争さえしていればそれで面白い、というわけではありません。魅力的なキャラクター達が織り成す人間関係や、重厚な物語、それらがあってこそ、戦闘シーンも引き立つのです。それは作者さんが一番知っていると思います。

とにかく「ロボットバトルや戦争シーンや、脳内にある設定を出力したい」という気持ちが先行し過ぎている印象でした。
やりたいことだけをやって、読者の読みたいものや気持ちは考えず、なのに「多くの人に読んで欲しい、感想が欲しい」と思って行動するのはアンフェアだと思います。

指摘が多くなりましたが、とはいえ迫力あるロボットバトルのシーンや戦術的な盛り上がりなど、光る部分は間違いなくあります。
ですので、後はそれをどう上手く文章として表現するかの問題です。
他の作品や『小説の書き方』などを参考にしつつ、壮大で魅力的な神話を描いて欲しいと思いました。