【短編】別れの時はにゃんと鳴け

Edy

八回目で満たされた命

 猫に九生あり、という言葉がある。おれたちは記憶を引き継いで生まれ変われるからそう言われる。


 知識チートで転生。今風にいうとそうなるらしい。隣に住む中学生が本をめくりながら、カッケェ、と言っていた。


 格好良い? 馬鹿言え。死ぬのは何回繰り返してもつらい。次で八回目だが、まだ慣れず、その時を思うと気が滅入る。それでも続けてきたのは忘れたくないからだ。今までの出会いなくして今の俺はない。


 息をきらしながら山を登る。山といっても家の裏山で立派なやつじゃない。昼はセミ、夜はスズムシがうるさいだけの山だ。


 また胸の痛みが激しくなって足を止めた。振り返ると、月に照らされた家はすぐそこで、たいして進めていない。


 バアサン、俺がいなくなって寂しがらないだろうか? 最近は縁側でぼーっとしている事が増えた。構ってやろうと頭をこすり付けても、しわだらけの手ででるだけで動こうともしない。俺は俺で良い気分にさせられ、喉を鳴らさせられて目的を忘れてしまうし困ったものだ。

  

 しばらくじっとしていると痛みが和らいできた。行こう。そこまで遠くない。バアサンの事は気にかかるが振り返らずに歩き続けた。


 長い黒毛でやぶの中を進むのは引っ掛かりそうなものだが意外とそうでもない。バアサンが洗い、ブラシをかけてくれているからと気づいた時は、また足が止まりそうになった。


「やっとついたな」


 そこは目立たない窪地くぼちの底で、小さく汚ない小屋と例えてもお世辞になる代物だった。入り口に扉なんてなく、デカデカと汚ない字で『ひみつきち』とある。最初に見つけた時は秘密なのにアピールしてどうすると思ったとものだ。


 中に入ると何も変わっていない。床は土がむき出し、あるのは水を吸って膨らんだ漫画雑誌が数冊だけ。隙間だらけの壁板に残る無数の引っかき傷を見て尻尾がダランと下がった。


 五年前、野良犬に襲われて怪我をした俺が逃げ込んだのがここだった。壁と屋根の隙間にしがみつき、犬に追い立てられていたのを思い出す。


 絶体絶命の危機を救ってくれたのがバアサンだった。棒切れで犬を追い払う姿は頼もしく、俺を持ち上げた手が優しかったのを覚えている。山菜と一緒に籠に入れられた時は食われると覚悟したのは秘密だ。


 とにかく、バアサンと出会ったここは俺にとっては大切で、最期をむかえる場所と決めていた。ただ、心残りはバアサンだ。俺がいなくなれば一人っきりになる。

 

 考えたところで答えはない。できる事は何もない。そうやってぐだぐだと七回死んで、七回生き返った。毎度の事ながら嫌になる。


 そんな不甲斐ふがいない俺に敵意をむき出しにするやつがいた。


 毛に艶がないどころか肋骨ろっこつが浮いているくせに、一人前に牙をみせているメスガキ。そいつは爪をむき、身を縮め、背中の毛を逆立てていた。


「ここは私の場所だ! 出ていけ!」


 勘弁してくれ。生き返るには一人になる必要がある。まあ、ガキ相手にむきにならなくてもいいだろう。


「悪いが譲ってくれ。俺はもうじき死ぬ。ここでないと生まれ変われないんだ。わかるだろ?」

「訳のわからない事言っても無駄だからな!」

「……お前、もしかして知らないのか?」


 警戒を解かないところを見ると、誰も教えてくれなかったのだろう。あわれなやつめ。


 そういえば俺も最初は同じように老猫の生き返りを邪魔したものだ。そうだな。あの老猫のように俺も導き手になるのも悪くない。


「猫は死んでも生き返る。覚えておけ」

「ば、馬鹿にするな! 生き返られるわけないだろ! 死んだら――」

「終わりだと? そうしたいなら止めはしないが、俺たちは誇り高き猫だ。その命は九つ、ある」


 若いメス猫は目を伏せたが、耳は俺に向けられている。黙っているところを見ると信じる気になったようだな。当たり前だろう。自分の魂の事だ。理解できなくても真実と感じられる。俺もそうだったからな。


「お前、名は何だ?」

「ない。野良連中には、カギトラ、って呼ばれてる」


 なるほど。鍵尻尾でキジトラだからか。その尻尾はカギトラと言った時に少し膨らんだ。やはりソロか。よく見ると耳の先がみちぎられている。野良コミュニティともうまくやっていけてないらしい。強がってはいるが、長生きできないだろう。


 どうしたものか、と首を傾げ、尾先をピクピクさせていると名案が浮かんだ。


「よし、カギトラ。生まれ変わりの方法を教えてやる」

「そんなのあるのか?」

「ある。三つの条件を満たせば、生まれ変われる。俺の頼みを聞いてくれたら教えてやろう」

「ずるいぞ! オッサン! 先にその条件を聞いてからだ」


 ふん、強かなやつだ。こういう時、人間は一つ話すたびに指を立てるが、残念なことに猫の指は短い。くそう。いまいましく思いながら指をなめ、ついでに顔を洗った。


「何もったいぶってるんだよ!」

「すまん。まず一つ目、最期を迎えるのは、その時の生で最も思い入れがある場所。俺の場合ははここであり、最後の一回だ」


 カギトラは尻尾をパタパタと振る。


「えっと、今まで七回死んで、今回が八回目なのか?」

「ちゃんと理解できてるな。偉いぞ」

「だーかーらー! 馬鹿にするんじゃねえよ! 二つ目は?」

「誰にも最期の時を見られないこと。猫ってのは孤独で、孤高な生き物だ。俺を見ればわかるだろう」


 背筋を伸ばし、見下ろしながらのセリフは最高にクールだ。残念ながら向けられる視線も冷ややかだが。


「首輪している飼われ猫が偉そうにしやがって。それで場所を譲れって言ったんだな。最後の一つは?」

「その時の生を振り返り、世話になったやつに感謝しろ」

「そんなやつ一人もいない。恨んでるやつは山のようにいるけど」

「そいつらの事はゆるせ。一人残らずだ。どうせ次に影響する関係じゃないし、恨んでいても疲れるだけだろう。後腐れなく気持ちを切り替えるのも猫の美徳だ」


 カギトラは知ったことかと言わんばかりに鼻をひくつかせながら横を向いた。しかし、折り合いをつける気にはなったのだろう。小さい声だったが、わかった、と聞こえた。


「ちゃんと記憶したか?」

「うん。意外と簡単なんだな」

「そうでもない。ここまでが前提条件。実際に生まれ変わるには、ある言葉を唱える必要がある」

「何て言えばいいんだ?」


 これから話す内容を思うと頭が重い。というよりも体が限界に近い。俺はゴロンと横になった。本当なら口にだしたくない。今まで七回しか言っていない言葉だ。


 態度とはまるで違う深刻な雰囲気に飲まれたのか、カギトラも緊張をまとう。腹をくくり、絞り出すように言った。


「生まれて来て良かったニャン。次が楽しみニャン」


 目の前で緊張の糸が切れたのがわかった。ふらりと揺れて倒れた。足をバタバタと振り回し、転げ回っていると思ったら、跳ね起きて飛びかかられた。顔を踏まれながらぼんやりと記憶を手繰り寄せる。そういえば俺も老描に同じ事をした。


「くっそ! 真面目に聞いてたのにテキトーいいやがって! ふざけんな! ハゲ!!」

「うそじゃない。人前で可愛らしいポーズを取らなくていいだけマシと思え。俺はそれで折り合いをつけた。お前もそうしろ。それから俺はハゲじゃない。ペルシャ種をなめるな。爪を立てるな。痛い」

「そういう意味じゃねえよ! で、頼みってなんだよ」


 カギトラはそっと前足をどけた。思ったより話のわかるやつらしい。本来なら、かしこまって頭を下げるところだが、まあ横になったままでもいいだろう。


「俺が世話になってるバアサンを頼む。一緒にいてやるだけでいい」

「なんで私が」

「他に頼れるやつがいない。大丈夫。悪さしなければ叱られはしない」

「例えば?」

「仏壇に上がるな。美味そうなものがあってもだ」


 カギトラは理解できないと言った風に耳を伏せたが、うなずいてくれた。


「他には?」

「畳で爪を研ぐな。気持ちいいのはわかるが爪とぎの段ボールにしておけ。もちろん柱も駄目だ。それからテーブルに上がってはいけない。食事する場所に乗ってはいけないらしい。ああそうだ。体を洗われる事もあるが我慢しろ。慣れれば気持ちよくなる。あとは――」

「めんどくさっ! なんでそこまで気を使わないといけないんだよ! 猫は孤独で孤高なんだろ」


 苛立ちをぶつけるところがないからといって、狭い小屋を走り回るのは止めろ。やせっぽっちの癖に元気なやつだ。こいつならバアサンに元気を与えてくれるだろう。それは年老いた俺にはできない。


「そういうな。良い事もある。雨風に悩まされる事も空腹で倒れる事もない。それに冬になればコタツがある。あれは良い。人間が作る物で一番素晴らしい物だ」

「コタツ?」

「冬になればわかる。予言してやろう。あれに入った瞬間、お前の野生は消える」

「なにそれ、怖い」


 曲がった尻尾を足の間に隠して後退るカギトラを見て、笑った。笑ったつもりだった。実際はむせただけ。胸がひどく痛い。新鮮な空気が欲しくて大きく吸い込みたかったが、さっきより大きいせきが出ただけだった。


 ふん。こういう時は血を吐くんじゃないのか? 最後ぐらい恰好かっこうつけさせてくれてもいいだろうに。


「お、おい! 大丈夫か?」

「落ち着け。みっともない。まだ続きがある」


 前足を使って首輪を外した。苦しくないように緩くしとくね、と言っていたバアサンの声を思い出す。鮮やかな赤い皮の首輪だったのに、久しぶりに見ると色あせていた。そこに書かれている名もかすれている。こいつも俺と一緒でくたびれたということか。


「これをバアサンに届けてくれ」


 カギトラは首輪をつつき、匂いを嗅ぐ。


「これ、何て書いてあるの?」

「俺の名だ。バアサンが……付けてくれた」


 急速に痛みが抜け、フワフワして気持ちよくなってきた。目を閉じると、またカギトラが顔を踏む。


「おい、まだ話は終わってないぞ。それに書いてある名前を教えろ」

「……クロ。バアサンが三日もかけて考えてくれたんだ。良い名だろう?」

「うん。私にも名前くれるかな?」

「ああ。良い名前をつけてもらえ」


 まだ名前がもらえると決まっていないのにカギトラはゴロゴロ転がった。やがて落ち着いたのか立ち上がり、俺の肩に手を置いた。


「クロ、あんたのバアサンは私が責任もって面倒みる。だから安心して生まれ変わって」

「そうさせてもらう。バアサンをよろしく頼む。さあ、行け。ふもとにある青い屋根の家だ」

「また会える? 新しい名前を教えてあげるからさ」

「楽しみにしておく」


 カギトラは俺の首輪をくわえて去った。うるさいやつが消えて、秘密基地をスズムシの声が包む。


 猫は孤独で孤高だ。兄弟たちと一緒に生まれ、別れ、心残りを抱えて一人で死ぬ。今まではそれが嫌だった。しかし今回は違う。はじめて清々しい気持ちで言えそうだった。


 じゃあな。バアサン。カギトラ。


「生まれて来て良かったニャン。次が楽しみニャン」

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