溶けるのは花か
夏場に摘んだ板チョコの欠片が、指先の熱に当てられて、中心から溶け出していくような、あるいは冷蔵庫から出して常温に置いたバターが、箱から涙を流してその中で溶けているような、そんなシーンを男は思い浮かべた。
夏場だから余計に手入れなどしなくなって、皮膚が剥がれやすくなった不恰好な男の手のひらに、しっとりとした彼女の指先を感じた。
トントンとリズム良く手のひらを突く彼女の手は綺麗で、何のネイルも塗らずとも、桜色の可愛い爪色をしていた。その向こうには、目を瞑っている彼女がいる。
安心感を感じるような光景に、男が感嘆とも取れる息を吐くと、彼女は目を開いた。男を見ると目を細めて笑った。
「おはよう」
「……うん」
「なんか変な夢でも見た?」
「なぜ?」
「さっき、悩ましげに『まいった』って言ってたから」
「ほんと?」
「うん」
男はさっきまでいた夢の中を思い出そうと、何度か瞬いた。
何だったか、悪夢では無かったはずだ。むしろ幸せな、贅沢な「まいった」だった……はずだ。
「あ」
ふいに男が声を漏らした。彼女が少しだけ顔を起こす。
「花見を、していたんだ」
「うん」
「今は夏だけど……近くに桜並木あるじゃん、そこを歩いて、進行形の花見をしていた」
「何にまいってたの」
「……その、変な話だけど。キミが」
「私?」
「花をみていたら、キミを思い出して。花がキミに見えたんだ。周りは花だらけなわけだら……それで参った、って」
「"花"が"私"に見えたの? "私"が'花"みたい、じゃなくて?」
「うん」
彼女は面白そうに笑った。その笑いが、男をバカにしたものではないと、彼はよくわかっていたので、その様をじっと見ていた。
「重症じゃん」
「ほんとにね」
「んふふ」
笑う途中、彼女がクシャミをした。ずっと作動しているエアコンの温度が低すぎたのだろうか。
男は寝返りを打ち、背後に投げ出されているエアコンのリモコンに手を伸ばす。温度設定を見直そうと思ったのだ。
そんな彼を追うように、彼女が覆い被さった。
リモコンを掴もうと伸ばした左手を止めるように、彼女の左手が同じように伸びてその手を掴む。互いの肘から下がピッタリとくっつき、体温が混ざった。
男の首元に彼女の吐いた息が当たり、スカートから伸びた足が男の足に絡みついた。
寒いなどと微塵も思わないほど、服から出た素肌がピッタリとくっついた。
「これくらいの気温の方が、丁度いいと思う」
首元でモゴモゴと話す声が聞こえ、男はクスクスと笑った。
「キミは……夏ほどくっ付きたがるんだ」
「うん」
「なんで?」
「何でかなあ」
「暑くない?」
「エアコンがあるもん」
「かなり矛盾した行動だよね」
「一種の贅沢だよ」
「ぜいたく」
男の手の甲を、彼女の手が包んだ。
互いの肌は、ジンワリと汗を発し、ピッタリと張り付いた。
腕も、足も、触れてる所全てが1つになるように、張り付く。不思議と不快感がないのが興味深かった。
このまま肌が……バターのように? チョコのように? 溶けて、1つになって……そしたらきっと面白いだろうな、と男は思った。
触れ合った所だけが暑くて、それ以外の所は快適な室温。
互いの存在をこれでもかと感じる時間。
「冬に炬燵でアイスを食べるみたいに。夏にエアコンをつけてくっつく贅沢」
彼女は自慢げに言った。男がどう答えるのか分かっている声音だった。あなたも同じでしょ? そう伝える声。
男は笑う。
嗚呼、それは確かに
「最高の贅沢だ」
男と彼女 夢星 一 @yumenoyume
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