魔物は◯◯◯なんかしない!!

明山昇

第1話 魔物はトイレにいかない

1-1 鑑定士の仕事

「国王陛下、下手すればそれ以外の人間も含めた数人が、魔物になっている。あるいは成り代わられている可能性が高いと思われる。」


 鑑定士ゼアーチ・トレジュラーは、自宅兼店舗である「ゼアーチ・リサーチ・サービス」に訪れた珍客に対し、彼女らが依頼してきたとある鑑定品を見ながら、想定される最悪の事態を重々しく述べた。




 ほんの数刻前の出来事である。


 ゼアーチはふぅ、と食事を終えると、自らの作業机の上に、でん、と宝箱を置いた。そして衛生対策の手袋、マスクを身に着けると、手の届く場所に愛用の武器を置いてからその袋を開けた。


 袋の中には、ねばねばとした粘着質の物質に包まれた何かが入っていた。これは魔物の排泄物である。ただし人間のそれとは異なり、消化した不要物が含まれているわけでは無い。



 そもそも魔物とは何か。魔物とは魔力を帯びた生物の総称である。ドラゴンからワーウルフは勿論、ネズミや豚、果ては人間まで、魔力を帯びて通常生物と画する生体構造をしていれば全て魔物として扱われる。具体的な部分としては、消化と排泄である。魔物は何かを食べると、魔物以外の通常生物が栄養素を吸収するのと同様に、その食べた物質を分解し、魔力の形にして取り込む。


 魔力とはこの世界に存在する不可思議な微粒子であり、原子よりも更に小さい、物質の最小単位である。原子すらこの魔力と呼ばれる微粒子により形成され、それを操作する事で物質を生み出す事すら出来る。魔力を使用する法則が所謂魔法と呼ばれる技術である。


 そんな魔力を取り込むというのは、食した物質の全てを吸収するのと同義である。そうして、魔力を取り込み、古くなった魔力を排出する。魔力の形で、更に体の表面から排出されるので、本人、いや、本魔物ですら気づかない内に排出される事となる。


 魔物が排出した古い魔力は徐々に大気とーー正確には大気中の新しい魔力とーー反応し、徐々に原子を構成し、分子を構成し、そして何かを形取っていく。それが最終的に行き着く先は「アイテム」である。魔物の歩んだ道には、魔力を帯びたアイテムと、それを取り巻く粘着性物質ーーこれは魔力が形取り、それでも不要なものが溢れた結果、半液体・半固体という中途半端な状態で実体化した結果と考えられているが、実際のところについてはまだ研究過程であるーーが残されるというわけである。


 魔力を帯びたアイテムとは、つまり何らかの特殊効果、或いは通常生物の技術では作成する事が出来ないアイテムである。これもまた不思議な事に、魔力が剣の形を取ったり、槍の形を取ったり、果ては効果不確定な薬品の形を取る事すらあるのである。これについては未だ何故なのか特定されていない。


 つまり現状わかっているのは、次の三点である。


 1.魔物は所謂大便/小便を排泄しない。

 2.魔物は生活する過程で、排泄物の代わりとして、アイテムと粘着性物質を産む場合がある。

 3.そのアイテムは特殊効果を有している場合があるが、具体的な内容は不明である。


 この三点だけの内、2と3は周知の事実である。1はゼアーチが発見した仮説であり、未だそれは公にはなっていない。だが今重要なのは3である。この不可思議なアイテムは、どのようなものか。それは時々により異なり、そして最初は不定形を取る事もあるため、特定が難しい。アイテムを見つければすぐに喜べるというわけではないのである。


 そこに鑑定士の仕事がある。


 鑑定士とは主にアイテムの鑑定を行う。魔物の排泄物を探り、粘着性物質とアイテムを切り離す。そしてそのアイテムが何であるか、どのような効果を有するかを類推する。そうした技術を有しているのが鑑定士である。


 技術とはつまり知識と経験である。ボタンを押せばポンと分かるようなものではなく、地道な観察が物を言う。ゼアーチはそれにかけては十二分な知識と経験、そして実績を有していた。



「まず……剣だな。」


 粘着性物質を手元の武器で切る。厄介な事に、この状態ではまだアイテムは特定の形状を取っていない。氷と炎の魔法を帯びた特殊な用具で、適切な温度に冷やす事でアイテムを固体化し形状が安定させつつ、炎の魔法の力で粘着性物質とアイテムを切り分ける。この部分も、鑑定士の技術が要求される点であった。上手く取り除かなければ、正しくアイテムとして固定出来ず、溶けてドロドロの物質へと代わり使用出来なくなる。


 ゼアーチはその技術で適切にアイテムを固定化させると、切り取った粘着性物質を用意した容器へそれを仕舞う。それから、ねばねばに包まれていた物を眺める。諸刃である点含め、形状は通常の剣と差異が無い。


「材質は……鉄。まぁ普通か。……ふむ、この文字は……。」


 掛けた眼鏡でじっとその剣を見つめる。材質を特定し、そして剣の刃の部分に何か文様が彫られているのを見つけた。魔力が集中する事で、特定の文様を示す事がある。これは、その武器に対し、追加効果を発揮させる。例えば斬りつけると炎のダメージを与えたり、水のダメージを与えたり。そうした効果は文様の形により異なる。


「ふむふむ……。」


 ゼアーチは手元にある、自ら記した文様のパターン表をパラパラと捲りながら、手元の剣の文様との整合を図る。


「これか。」


 同じ文様を記録していた。違う文様であったら検証のために実験が必要であったが、今回は不要なようである。


「はぁ、切った物に炎ダメージか。人斬りにゃ渡せんな。あれはそういう人間ではなさそうだったから良いが。」


 ゼアーチはこれを依頼してきた冒険者の顔を思い出す。まぁ普通の、希望に満ち溢れた冒険者といった様相であった。人も良さそうで、初対面の自分にもニコニコと笑みを浮かべていた。横の女性魔導士と腕を組んでいたのも思い出される。


 そういう冒険者から大体死んでいくのだが、などと考える。冒険者とはシビアな職業である。愛の力でどうにかなるようなものではない。


「ま、良し。」


 だが彼には関係が無かった。彼にとっては、このアイテムが炎の剣である事が特定出来ただけで良いのである。それと、これを何処で手に入れたか、そこにはどのような魔物が居たか。


「二アン山中腹、居たのは、スライム、あと獣人ーーオークとゴブリンだったか。まぁ普通、だな。普通のダンジョンには普通のアイテム、と。」


 そう言って彼は記録を終わらせる。そして横に退かした粘着性物質へ手を伸ばす。手袋越しでもそのねばねばとした気持ち悪い感触は良く伝わってくる。


「スライムというわけでもないのだよな、これは。全く何なのやら。スライムの出来損ないか、或いはスライムがこいつの出来損ないなのか。」


 そう言って彼は蓋を閉めると、容器を保管庫へと仕舞い込んだ。これは返す必要が無い。返したとしても要らないと言われるだけで終わるだろう事は、若干二十歳にして相当の経験を詰んだ熟練の鑑定士たるゼアーチには手に取るように分かった。


 この剣を取りに来るのは明日。それまではと、布に包んで鑑定済アイテム専用の保管庫へと仕舞い込む。先程の研究用保管庫と異なり、鑑定済アイテムの保管庫は、ガラガラであった。ゼアーチの店は閑古鳥が鳴いていた。


 それでも彼は満足していた。腕は確かという評判は流れているし、自分が食っていけるだけの収入は得られている。それに、必要な材料は十分に手に入っている。生きていくのに問題は無い。それに、あまり仕事が多すぎると、一人で切り盛りしているこの鑑定屋「ゼアーチ・リサーチ・サービス」に人を雇わざるを得なくなっていく。率直に言ってそれは避けたかった。彼は一人でコツコツと研究するのが好きだった。他人が絡めばそれだけで気を揉む対象が増える。そうすると研究に割ける時間も減る。それは困る。それに、他人がもしこの家に来たらーー。



「お邪魔するわよ。」


 そんな事を考えていると、ドアが開かれた。客である。


「ああいらっしゃ……おや、久しぶりに見る顔だ。」


 入ってきた客を見てゼアーチは顔を顰めた。この顔には見覚えがある。


「お久しぶりゼアーチ。二年振りかしら?」


 入ってきたのは女性であった。白銀の甲冑に身を包み、傍にはその甲冑と似合う兜と、何やら袋を抱えている。甲冑はギチギチと音を立てている。特に胸元と腿の辺りは、特注らしくかなり広々と作られているようだが、それでも彼女の肉体を覆うにはギリギリの設計になってしまっているようであった。


「三年ぶりだね。あの事件以来だから。」


「ああ……もうそんなになるのね。……ごめんね。話題にするつもりはなかったの。あれは忘れたかったから。」


「全くだ。私は忘れるわけにもいかないが。……ところで何の用だね。わざわざこんな辺鄙な場所に、騎士団長ともあろうお方が出向くとは。思い出話でもするかね。」


 ゼアーチは多少の嫌味を込めて言った。


 言われた相手、このガウローヴ王国の騎士団長、シルディ・プロティークは柔和な笑みを浮かべた。


「相変わらずね、アナタは。もう少し愛想良くしてもいいんじゃないの?それだから友人が……まぁ、説教はやめましょう。ちょっと用事があってこの辺まで来たの。ついでに寄っただけよ。」


 ゼアーチはちらと彼女の手元の袋や、彼女が開けたドアを見て、ふうん、と言うと、用事を尋ねた。


「ああ、用事というのはこれ。」


 袋から取り出したのは短剣であった。


「これを鑑定してほしいの。」


「ただの短剣だな。能力はなし。」


 彼は一眼で判断して言った。


「……早くない?」


「騎士団に置いてあったものを鑑定するだけなら時間は掛からないさ。」


「……。」


「どういう意味かとは問わないのだね。まぁ当然か、君が意味がわからないわけが無い。」


「……なんで分かったの?」


「鑑定品に騎士団のマークは付かない。覚えておきたまえ。偶然であってもこのようなマークがついた試しは無い。」


 そう言いながら彼は、短剣の柄に縁取られた、ガウローヴ王国騎士団のマークーー盾の前に二本の剣が交差した絵ーーを指さした。


「これは、ああ、それはそうよね。」


「それに。粘着性物質もちゃんと短剣に付いていない。もっとべっとりと付いているものだ。引き剥がすのに苦労するくらいにはね。こうやって、」


 彼は短剣を持ち上げた。短剣についていた粘着性物質はどろりと机の上に落ちた。


「簡単に取れたりはしない。」


「ああ……。」


 シルディは苦笑した。


「参ったわ。いや、アナタを騙すなんてワタシには無理ね。」


「長い付き合いだ。そんな事良くご存知だと思ったがね。というより君の場合。私にこれを見抜かれるまでが計算の範囲内だと思うが違うかね。」


「……いや、まぁ。」


 そう言って彼女は改めて袋を机の上に置いた。


「これに気付けないなら帰ろうかと思ったからね。……ここまで見抜かれているとちょっと気持ち悪いけれど。」


「私はそういうのが生業でね。これが本題か?……ふーむ?」


 そう言うと彼は袋の中からアイテムを取り出した。容器に粘着性物質を切り分けて仕舞ってからそれをまじまじと見つめる。


「……これは何処で?」


「それは……言わないとダメ?」


 ゼアーチはこのやり取りに違和感を覚えた。


「……なるほど明かしたくないと。結構。」


 つまりこれは見つかった場所が問題なのだ、という事がゼアーチには察せた。少なくとも、騎士団長様が直々に出向く必要がある程には問題なのだろう。……ドアの向こうで待機している、ドレスの切れ端をそこから覗かせている"誰か"も関係しているのだろう、という事もゼアーチは瞬時に理解した。


「まずこのアイテムは、そうだな、大分高級品だーー杖だな。宝石が綺麗だ。排泄物とは思えんね。ここまで綺麗で、文様も……あるね。ふむ、この文様は多分探索魔法。同じように魔力の篭ったアイテムを探知する魔法の文様だ。つまりこの杖があれば、他のアイテムの在処を探す事ができるというわけだ。だが、これは相当レアな文様。濃密な魔力が充満していて、凶悪な魔物が居る場所でなければ落ちていないはずだ。」


 古い魔力が結びつくその力と、文様、魔力の結びつきの反応の強さに応じて生じるそれは、その周囲に住む、古い魔力を排泄する魔物の強さに比例している。そう彼の経験則は訴えていた。そして魔物の強さは、魔物の住処=ダンジョンの深さと、そこに充満する魔力の濃さに比例する。つまり、このようなレアのアイテムは、強い魔物が徘徊する、深いダンジョンにしか存在しないはずである。


「だが。」


 これを騎士団長が持ってくるという事は。


「……それにこの新鮮さ。まるで近場で取ってきたようではないか?」


 ゼアーチは粘着性物質の方に目を見やり言った。シルディは黙っている。


「それと、そこにいる……王女様かな?ドレスは動き辛いだろうし、あまり外で着ない方がいいと思うぞ。ドアからはみ出ている。」


「う。」


 シルディは思わず唸った。


「つまりこういう事かね。これは城の中で見つかったと。」


「その通りです。」


 そう言ったのは、ドアの裏に隠れていた女性であった。


 ゼアーチにはその顔とドレスに見覚えがあったーーこの国に居て知らない者はいないだろうーー第一王女、スピリア・ガウローヴその人であった。

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