書くか、書かざるか。それが問題だ。

もし猿がタイプライターをランダムに打ち続けたら、いつかはシェイクスピアの作品ができあがるだろう。そんな話がある。(ちなみに「無限のサル定理」というらしい。)
『タイプライターと猿をかった話』は、その定理をモチーフにした作品だと思われる。

   ***

物語は奇妙な実験の様子からはじまる。
暇つぶしと称し、「私」は猿に小説を書かせようと思い立つ。
猿とタイプライターを購入し「タイプライターを叩きなさい」と命令する。
だが、猿はタイプライターを叩くどころか机を蹴飛ばしてしまう。

読み進めていくうちに、なんだか奇妙だぞと思いはじめる。
突然「猿の言語」で話し始める猿。
その猿とあまりにも自然にやり取りをする「私」。

とうとう猿はタイプライターに向かい、最初の一文字を打つ。
その様子に目が離せなくなる。
だが、いつしか「私」と「猿」の意識の食い違いが顕著になってゆく。
はたして猿は小説を書き上げることができるのか。

そして、最後には強烈などんでん返しが待っている。

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作品を読み終えたら、ぜひ最初からもう一度読み返してほしい。

おそらく一度目は「私」が「猿」を見下しているような空気が流れているだろう。
ところが、二度目はその印象がすっかり変わる。
序盤から張り巡らされた伏線の数々に驚く。
そして、物語に漂う「奇妙な雰囲気」の正体がわかる。

『小説を書きたくないのですか?』
『書けないっていってるんだ』

この少し「ズレた」やり取りの本当の意味がわかったとき、思わず「ああ! そういうことか!」と膝を叩いた。
作中に登場する「私」は「猿」に対して「ちゃんとした答えもだせない」と評しているが、実際にズレているのははたしてどちらなのか。

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“Your soul is carried to the most suitable place with destiny.”

という言葉が作中に登場するが(※ただしbとdを入れ替えたもの)、元はシェイクスピアの言葉らしい。
「運命とは、最もふさわしい場所へと、貴方の魂を運ぶのだ」という意味だそうだ。

単体で見ればとても情熱的な言葉だと感じるが、『タイプライターと猿をかった話』の中に引用されると皮肉めいたものを感じる。
「猿」には魂がある。では「私」にはどうか。

余談だが、「猿」にこの言葉を教えた「ばあちゃん」はどのような意図でこの言葉を「おまじない」として教えたのか。おそらく、人類の進化(退化?)とともに失われていく何かを少しでも留めようとしたのではないだろうか。そんな深読みをすると(個人的に)とても楽しい。

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物語の展開によって「読者の興味が向かう先」をとてもうまく操っている作品だと感じる。また、序盤からずっと合間にふわっと違和感を忍び込ませているやり方もうまい。
三度、四度と繰り返し読みたくなる作品だ。
そして、いろんな方向からグサグサ刺さりまくる作品でもある。

ともあれ、才能があろうとなかろうと。
書くか、書かざるか。
結局のところ、創作者にとってはそれが問題なのだ。

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