タイプライターと猿をかった話

華川とうふ

正しい飼育と使用方法

 小説家になるために猿とタイプライターをかった。

 はやっているのだ。

 猿を育てて、小説を書かせるのが。

 たいていは、タイプライターを打てるようになったところで飽きる奴が多いけれど。


 せっかく育てるなら、ちゃんとしたものを書かせたいと思ったので、タイプライターはよいものを用意した。


 猿は最初は不機嫌そうだった。

 タイプライターを叩くように命じたら、猿は怒った。

 そりゃあ、怒るだろう。

 群れから切り離された理由がこんなことただキーを叩くだけをするためだったなんて。


 猿にだって家族がいることを知っている。

 本当は生まれたての赤ん坊の小猿がよかったのだが、あいにく流行っているせいで小猿は手に入りにくかった。

 予約して順番をまてばいいのだが、ふと思いついた暇つぶしにそんなまっていることはしたくなかった。


 いくら時間も金も無限にあるようなものだとしても。

 猿が届いたころには、興味がなくなっていたら大損だ。

 暇つぶしというのはやりたいと思ったときに始めるのに限るのだ。


 猿は優秀だった。

 とにかく怒っていたのだから。

 最近の猿はよく管理されていて、従順でおとなしい。


 だけれど、その分、私の知識にあるような喜びや怒り、悲しみなどと呼ばれる感情が乏しかった。まあ、言い切るのは少々問題があるかもしれない。なんせ猿の脳に電極を直接さして計測した訳ではないので。ただ、猿たちにはストレスの少ない生活を与えていた。

 猿たちはストレスが少ないせいか自らの昔の生活を覚えていないようだった。


 清潔な部屋にいれ、食事もあたえ、暖かなお湯で水浴びをさせた。病気になれば薬をあたえ、寿命が近づけば他の猿から隔離してそっとその時をまたせた。また、余りに苦しみが酷いときは安楽死という手段を選ぶことができる。

 どんな猿にもそれらは最低限の暮らしとして約束されていた。

 それが猿にとって幸せなはずだからだ。


 だけれど、私のところにきた猿は不機嫌で怒っていた。

 おもしろい。

 新しいというか、ものすごく古い反応だ。

 映像記録でみたのとそっくりだった。


「タイプライターを叩きなさい」


 命令すると、

 猿はゲシゲシッと机を蹴っ飛ばした。

 行儀が悪い。


 でも、まあ、脚で蹴っているのはタイプライターじゃないし、脚を怪我しても手が無事であるのでタイプライターを叩くのには問題がないだろう。

 しばらくはやりたいようにさせた。

 すぐに飽きると考えていたのだ。

 猿の集中力はそんなに続かないというデータもあったので。


 しかし、猿はタイプライターを叩かずに、机を蹴り続けた。

 まったく、規格外な猿だ。

 猿が机を蹴とばすようすをモニター越しに眺めていると、猿は力のかけ方を誤ったのか、机も椅子も倒れた。

 でも。幸運な偶然で机が倒れた衝撃でタイプライターは猿の手の届く場所に落ちていた。


「タイプライターを叩きなさい」


 再び猿に命令した。猿は叩こうとしなかった。


 代わりに、『なんで、そんなこと俺がしなきゃいけないんだよ?』猿の言語でそう言った。喉で空気を震わせる、奇妙な発音で。


 別に答える必要はない問いだ。

 答えたとしても「ただの暇つぶし」としか言えない。

 だけれど、それでは猿はタイプライターを叩かないだろう。

 叩かせるためには何か理由が必要なのかもしれない。


 最初は怒りという理由だけで十分だと思っていたのだが……猿がこんなにめんどうな生き物だなんて思わなかった。どうりで、みんな猿がタイプライターを叩き始めたあたりで飽きるわけだ。

 感情がある目の前の猿でこんなに時間がかかるのだから、普通の猿だったら、タイプライターを叩くまで気が遠くなるほどの時間が必要になるはずだ。


 私は我慢強く猿にタイプライターを叩くように促した。

 せっかく優秀な猿なのだ。タイプライターを叩いて小説を書かせたいと思った。

 だけれど、猿は縛られた椅子とともに倒れたまま、従おうとしなかった。


「タイプライターを叩きなさい」


 何度目に言ったときのころだろうか。

 猿はひたすら無視して、タイプライターとは関係のない机の残骸を蹴り飛ばすだけだったのに。

 猿はまた口を開いた。


『なんで、タイプライターを叩かなきゃいけないんだ? それは文字を書くための機械だろう』


 驚いた。

 猿はタイプライターが何かということを知っていたのだ。

 私は猿にタイプライターを叩かせるのが流行るまで存在について気にも留めなかったというのに。


『タイプライターを叩くというのはタイプライターを壊せという意味ではなく、文字を入力しろという意味です』


 私は思わず、猿の言語で答えてしまった。

 答える必要のない質問なのに。

 だけれど、猿は私の言葉を聞いて、急に態度を変えた。

 ちょっと愉快そうな表情までしている。


『俺に一体なにをさせる気なんだ? そんな骨董品を引っ張り出してきて。文字なんていくらでもデータで存在するだろ』


 猿は縛られた状態で床にころがっているくせに、妙に堂々としていた。まるで、私と対等な立場にいるみたいだ。

 いいだろう。対等だと思うなら、対等なフリをしてあげよう。


『小説を書いて欲しいのです』


 本当は「小説を書きなさい」と命令したかったのだが、猿の言語への自動翻訳を使ったら、少しだけこちらが下手にでているようになってしまった。


『俺に小説を?』


 猿は心底おどろいた声をあげていた。

 その驚きをみられるなら少しぐらい下手にでても良いと思ったくらい、その姿は面白かった。


「タイプライターを叩きなさい」


 私は自分の思ったことを悟られないようにいままでと同じ調子で命令をした。


 だけれど、猿は変わった。


 いままでと違って、そっとタイプライターに手を伸ばしたのだ。

 カチャンッY――猿はキーを叩いた。

 しかも、その手つきはまるで宝物でもさわるような仕草だった。


 たった、一文字。


 だけれど、私はなぜかゾクっと鳥肌がたつような喜びを感じた。

 ここでは達成感が得られるはずなのに、おかしなものだ。


『ほら、これで満足か? あいにく俺は読み書きなんてできない。小説を書くなんて俺には無理な話だ』


 猿はなぜだか、悲しそうな顔をしてあざ笑うようにそういった。


『なぜ、読み書きができないのですか?』


 私はたずねた。


『なんでって、習っていないから。お前らのような新人類様と違って俺たちは最初から何でもできるわけじゃないんだ。何をやるにも練習と失敗を繰り返して、やっとのことで身に着ける。理解できないかもしれないけれど、それしか方法がないんだ。だから諦めろよ。読み書きもできない人間に小説を書かせるなんて、いくらあんた達だって、時間がかかりすぎる。悪趣味だ』


 猿はまくし立てた。

 なんでそんなに早口なのかわからない。この間まで、ろくに声もはっしなかったというのに。


『小説を書きたくないのですか?』

『書けないっていってるんだ』


 答えが不一致だ。


 こちらは、書きたいかどうか聞いているのに、実現可能かどうかを答える。やはり猿だ。

 ちゃんとした答えもだせないくせに、余計なことばかり考える。


『書けるようになればいいでしょう』


 私はあきれながら猿にやさしく語りかけた。


『俺が小説を書けるようになると思うのか?』


 そんなことこちらの知ったことではない。

 だけれど、繰り返せばそのうち偶然でもできるはずだ。

 小説なんて文字の組み合わせでしかないのだから。

 確率はゼロではない。


「書きなさい」


 私は私たちの言語でした。



 猿はしばらく考えた後――カシャンo……カチャンu……――おそるおそるという感じでタイプライターのキーを押し始めた。


 良い感じだ。


何かしらでたらめでも文字が入力されればそのうち偶然に単語くらいはできあがるだろう。

 そのとき、それが言葉だと教えてやればいい。

 さあ、もっと、文字を打ち続けて――私がそう言おうとしたとき、猿の腹がぐうーっとなった。


 そういえば、猿に食事を与えていなかった。

 普通の猿なら、食事をとっくに要求しているだろうに。

 本当に変わった猿だ。

 でも、彼ならなにかできるかもしれない。

 そんな漠然とした期待を私は抱き始めていた。


 彼を椅子から開放して食事を与えた。

 ガツガツと食事をかき込む様子は余程お腹を空かせていたことをうかがわせる。

 そんなに空腹を感じていたのに、猿はどうしてそれを主張しなかったのだろう。

 ただ、タイプライターを叩くのを拒み、小説を書けないと言い、そして文字を打つ。


 私にはまったく理解ができない。


 だけれど、不思議と彼にもっと文字を打たせたいと思った。

 普通ならもう飽きていて、あとは清潔な部屋でさるがいつかその気になるのを待ち続けるだけのはずなのに、私はなぜか彼がちゃんと小説をかけるように教育をしたいと思ったのだ。

 ……思うわけないのに。


 私がそんなことを考えていると気が付くと、猿は眠っていた。

 私はあきれながら、彼のために寝床を用意して、そこで眠るように命じた。


 翌朝、猿に起きてタイプライターを命じようとしたとき、猿は寝床からいなくなっていた。


 逃げられるわけなんてないのに。

 私は焦った。

 頭の中で警報が鳴り響く。

 異常事態発生。

 猿はちゃんとしばりつけておくべきだった。


 カチャンtカチャiカシャンnカチャッyターンッ.


 猿はすでにタイプライターの前に座って、真剣な顔でキーを叩いていた。

 そこには、昨日までの怒りはなかった。

 ただ、なにか考えているのか眉間に皺がよっている。

 まだ、始めたばかりなのだからそんなに難しいことは考えなくてもよいのに。

 しかも、「tiny」って、この小さな猿にはぴったりな単語で私はニヤリと笑った。


『おはようございます。眠れなかったのですか?』


 眠れなかったのなら環境の変化でストレスを感じているかもしれない。次から食事に投入する睡眠薬の量を増やさなければいけない。私がきくと猿は、


『いや、よく眠れたけれど。どうしてもこれが気になって……』


 そういった彼の視線の先にはタイプライターがあった。


『確かに、小説を書く文字を打つのは貴方の仕事ですけれど、体を壊されては困ります。睡眠時間はきちんと取って下さい』


 私は彼に冷たい声で告げた。

 本当は少し嬉しかった。

 だけれど、猿が睡眠不足で死んだとなれば、私の責任問題だ。

 猿には健康でいてもらわなければならない。


『そんなことより、これ、みてくれよ』


 もう見ている。

 ちっちゃな猿にぴったりな「tiny」がそこには並んでいる……はずだった。


 でも違った。


 そこには、


「Your soul is carrieb to the mosit suitadle place with besitiny.」


とあった。

「b」と「d」が入れ替わっているけれど……。

 私は間違いがあっても、この文字列が成り立つ確率を思い出して、驚く。

 こんな偶然があってもいいのだろうか。

 確かに、確率なのだからその中の偶然の一つが偶然、今この瞬間に起きたという考え方もあるかもしれない。


 だけれど、実際にそれが目の前に差し出されると驚きと困惑の海におぼれそうになった。


『これは、本当に貴方が書いたのですか?』

『他に誰がここにいるっていうんだ』


 猿はエッヘンと胸を張り、こうつづけた。


『俺、読み書きはほとんど出来ないけれど、これだけはって、ばあちゃんに教えられたんだ。特別なおまじない。お前にも教えてやるよ』


 まったく……なんて逸材をみつけてしまったのだろう。

 こうして私にとっての思いつきの暇つぶしはなくなった。


 私は彼が小説を書けるように、いろいろなモノを与えた。

 温かい食事に快適な寝床。そして山のような過去の小説家たちのデータを。

 文字を読み書きできるように教材を手に入れ、古典と呼ばれる小説を読ませ、また猿の間で人気が高い映像作品なども見せることにした。


 彼ができるだけ早く本物の小説家になれるように。

 思いつく限りのものを彼に与え、また彼もそれに答えるようにそれらを吸収していった。

 適当に文字を打たせ続けてそこに偶然、単語ができあがったらそれを教えようなんて思っていた自分が馬鹿みたいだ。


 彼はみるみる成長していった。

 彼との生活は暇つぶし以上のものだった。

 家族とも恋人とも違う関係だけれど、彼といるとリラックスできた。

 私は彼との生活に満足し、彼もまんざらじゃないみたいだった。

 しかし、いつもじゃないけれど、彼は怒っていた。


 ある日、私は彼に聞いた。


『どうして、君はいつも怒っているの?』


 すると彼は、


『別に怒ってなどいないよ』


 驚いたように返事をした。


 彼が怒っていないとはどういうことだろう。でも、彼は一日に一回は自分の生活の不満をぶちまける。

 自らの存在の意味を見いだせずに、苛立ち、嘆く。

 そう指摘すると、彼は瞳孔に恐ろしい暗いおおきな黒い月を浮かべて、


「俺は小説を書いている」


 そうぼそりと言った。


 猿との生活は予想していたよりも長くつづいた。

 多くの人は、猿がタイプライターのキーをその奇妙な角度に曲がる指でつつけるようになったところで満足するというのに、私の猿は最初から文章が書けたのだ。


 意味なんかわかっていないけれど。


 でも、小説の、文学の意味なんて本当に誰が分かるというのだろうか。

 過去の名作だって、誰かがそれに価値を見出してそれに同調した人々がいるだけで、誰も読まなければそれはただの文字の羅列だ。

 小説になるのは誰かがを小説と認めなければ小説にはならないのではないだろうか。


 たとえ、書いた本人が自らの書いたものを「小説だ」と言い張ったとしても、それを読んだ誰かが小説と認めなければ小説で無くなってしまうのではないだろうか。


 でも、猿はいうのだ。


「俺は小説を書いている」


 そう、自信たっぷりでっも皮肉めいてでもなく、ただ淡々と事実を述べているみたいだった。



 私には分からない。

 そもそもただの暇つぶしなのだから。

 私は分からなくて猿に言葉をかけることがなくなっていった。



 それでも、猿は書き続けた。

 寝る間も食事をするのも惜しんで。

 艶々だった茶色の毛並みはぼさぼさとして色あせた。

 力強そうな指先は彼と共に棒きれのように痩せてく。

 怒りの炎を宿しながらも時折好奇心にきらめく瞳は落ちくぼみ、ただタイプライターのキーを追い続ける。


 そんな日々が続く中、私は猿に命令を続けた。

「睡眠をとりなさい」

「食事をとりなさい」

 と、最低限の私の義務を果たそうとした。


 でも、本当は義務だけじゃなかった。

 恐ろしかったのだ。このままでは猿が不幸になってしまうんじゃないかって。

 だけれど、猿はいっこうに私の命令なんて聞いてくれなかった。


『できたよ……小説』


 ある日、猿はそう言って私に紙の束をみせた。

 しわがれた声に、乾燥した小枝のような指先が、嬉しそうにこちらに紙の束を差し出す。

 そこにはシェイクスピアは無かった。

 私は必死で自分の知識を参照する。

 だけれど、そこに並ぶ文字列はどれも私の知っているものとは違った。

 そう、実験は失敗だ。

 ただの暇つぶしなのに私はとんでもないことをしてしまった。


 猿はシェイクスピアの物語どころか、過去にあったどんな物語も紡ぎ出さなかった。


 完全なるオリジナルの小説がそこにはあった。


 そして、そこにはどこか知っているような登場人物がいた。


 酷く文明が失われた世界における人間が、新しく私たち人工知能と新しい文明を作ろうという、物語がそこにはあったのであった。

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