笑顔の君 3

 生きるのは苦痛だ。

 未来に対する不安。仕事に対する不安。病気の不安、他人への不安。生きるのも不安だが、死ぬのも不安。

 常になにかに対して不安であり続けている。

 時々、どうにもこうにも不安で仕方がなくなって、生きているのがつらくなる。そうして一年に数度、たまらなくなって、枕に顔をうずめて哭声をあげるのだ。

 いやだ、もういやだ、こんな不安を一生感じ続けなくてはいけないのか。つらいよ、苦しいよ。

 それでも死を選ばないのは生存本能があるのでしかたがないから生きている。


 あ、また来た。

 太っちょ君。

 またじっと、午後三時にもなるのに、ブースにうずたかく積まれた私の同人誌を凝視している。

 そして、なにか、清水の舞台から飛び降りる決意をしたように、いや、東京スカイツリーのてっぺんから飛び降りようとでもするかのように、うつむいた首をふりあげた。

「一冊ください」

 くぐもった声とともに、その周囲にお花が彩るようなエフェクトも見えそうなくらいの笑顔を満面に浮かべ、彼は言った。

「はいっ」

 私は、彼に劣らぬ笑顔とともに返事をしたのだった。


 ああ、笑顔の君よ。

 人を傷つけるのも人なら、人を助けるのも人。

 それがわかっているから、心の底から人を嫌悪することはできぬ。

 ああ、笑顔の君よ。


 開催終了を告げるアナウンスとともに、試合終了。

 ははは、あいかわらず、肉体労働の帰り道になりそうだ。

 なんだか、気の毒そうにみつめる周りの視線を背中に感じながら、あとかたづけ。

 コロコロ付きの大きなキャリーケースに、パンパンに荷物をつめこんで、キャスターの音もむなしく、会場を後にする。

 コロコロ、コロコロ。段差があるたびに、ケースが大きくゆれる。力いっぱい腕と膝に力をこめて、ふんばって耐える。

 ビックサイドからでると、凄まじいまでの西日が私を出迎えてくれた。

 誰のうえにも等しく降り注いでいるはずなのに、私にだけは無情なほどの力強さで降り注ぐ。

 休まず駅に向かって、一直線に突き進む。

 と、大階段の前にたたずむ、太っちょの男性がひとり。

 おや。

 こちらにやってくるぞ。あの笑顔とともに。

 立ち止まる私。

 近づく彼。

 そして足を止めた笑顔の君は、その笑顔のまま、しばらく私をみつめ、口をひらいた。

「ボクの名前は、アーサー・フレデリック三世。あなたを我が妃として、パンテーラ王国へむかえよう」

 笑顔の君は、笑顔をたやさぬ。

「さあ、我の手をとり、我が世界へ」

 私は歩き出した。コロコロ、コロコロ。

 その背中へ、声が届く。

「あれ、おかしいな。オタクってみんな異世界に行きたいんだよね。オタクなら絶対来てくれると思ったんだけど。せっかく迎えにきたのに。あれ、なんでだろう。ねえ、待ってよ、若菜さん」

 私の耳に届くには、コロコロ音のみである。

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笑顔の君 優木悠 @kasugaikomachi

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