まえがき

 駅員としての仕事を終えて、私は一息ついた。そのついでに、始まるであろう物語を目の当たりにしたのだ。いや、自分の手で、始まりを迎えさせたのだ。それもこれも全て、私が所有している手記だったからだ。そうでなければ、亡霊などを生み出してやれるはずもない。


 それをわざわざあの男に拾わせて、遺失物に紛れさせたのは、そこから物語が展開していくかもしれないと思ったからだ。だが、元々私の所有なのだから、特に何も起きなかった。当たり前だ。やる前に気づくべきだった。まあいい。そんなことはいい。それよりも重要なのは、亡霊を生み出したのは、本当にあの手記の能力だったのか……その一点だ。


 私は確かに手記を所持していた。だが、その前は? 駅員であった前の自分はどこに消えたのだ? 元々私は記憶力が悪い方なのだが、実際のところ、これは全て仕組まれたものであったのかもしれない。手記を所持しているのも、そこから亡霊を呼び起こすことも、あるいは、ここに私がいることさえも……。


 私こそが、手記によって作り出された存在なのだとしたら。そして、私の持っているものではなく、その者が持っている手記こそが、亡霊を、そして私を作り出しているとしたら……なら、その者さえも、他の何者かによって作り出された手記の住人なのだろう。こんな事は、考えるべきではない。しかし考えてしまう。だとしたら、この世の全ての存在は、作り出された存在によって何かを作り出している……なんと精密な円環であることか!?


 だから、そんな馬鹿馬鹿しいことを考えるのはよしにしよう。そう、私が生み出す手記の亡霊について、考えるべきだ。その方が余程重要だ。あるいは彼は、私を根本から変えてしまう程の……可能性そのものなのだ。


 いつか、手記の亡霊は旅に出るだろう。何もかも仕組まれた旅に、そうとは考えずに。いや、私から隈なく説明されたとしても、それでも亡霊は何も文句を言わずにいるのだろう。それもこれも、私がその様に記したからだ。そう……それだって、誰かが書き記した私なのかもしれないのだから、そんなに滑稽な事はない。しかし、それならそれで、面白いかもしれない。それならいい。それなら、笑っていられる。そう思うのも……いや、これ以上は止めておこう。そう仕向けているであろう者だって、あるいはそうやって仕向けられているのかもしれないのだから……。


 初めに、一本ぶら下がった糸があった筈だ。そして、それを引っ張って、あるいはそれを掴んで登っていく者がいた筈だ。私はその者ではなかったが……しかし、それを見つける事はできるだろう。しかし、実際に見つけるのは亡霊だ。私が宿命を握っている者だ。そして、その宿命を離れて、やがて自由の身となる者だ。私が操る糸を切って、やがて永久になる者だ。だから……私の握っている宿命というものは、ブリキのおもちゃの様にがらんどうで、そこに何でも詰め込んでみせて、それで漸く形になってくれている代物なのだ。


 だからこそ、亡霊はそこに確かに生きているのかもしれなかった。私が宿命を握っている様に思えていたが、私もやはり、誰かの書き記した宿命の下に……そして、やがては私が認識する全ての存在が、そうやって互いに宿命を紡ぎ合っていく様になるだろう。つまりは、それだけ途方もない考えだという事だ。手記の亡霊は、その様な些末な出来事について思いを馳せることはないのだ。その様に、期待しているだけではない。確かに彼をその様な存在に仕立て上げてしまえるだろう。


 そして、それでも彼は、確かに自分の脚で進んでいくのだ。あるいはその様に、自由を手にする象徴として崇めているだけなのだろうか。今は誰にも分からない。今は誰も、私の文章を本気にはしない。気が狂っていると思われるだけだろう。しかし、いつかこれは重要な提言となる。それまでの辛抱だ。それまでは、解決しないであろう疑問に悶え苦しむのだ。しかし、いずれ必ず、彼はこの疑問を解消する糸口を見つけるだろう。そこに一本の糸を通すだろう。私はそれを既に知っている。後は結末を待ち望むだけだ。読者には、それ以外に打つ手は存在しないのだ……。

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かたわらに路線図 埋もれていく言葉の数々 @toritomemonakukaku

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