エピローグと獲得
「……一人になってしまったか。いや、気を遣ってくれたのかもしれない。これから自分は恥ずかしい事になるかもしれないからな。確かに、自分もそんなものは見たくない」
誰か、訪れる者の音が聞こえる。思えば彼が去ってから
「ここが……おぉい、そこにいるんだろ。体の無い人間さん。話は聞いてきたよ」
おぉ……私はここだ。ここにいる。君は、どうやら彼の願いを聞き届けてくれたようだな。いかにも、私こそ体を持たぬ者。君は?
「自分は亡霊だ。路線図の
それでいい。それこそ、私が望んでいた事だ。ようこそ。何もおもてなしはできないが、博物館を案内する事はできる。どうだ? 少々付き合ってくれないだろうか?
「もちろん。どうせ、他に行く所もないからな」
「
……そうか。そうだろうな。あれからもう二十年も経ったのだから。
「あれから?」
おそらく、その手記は私が望んだものだ。私の……『忘れられないもの』を生み出す為のものだ。どうやら、彼は私の望みを叶えてくれたらしい。
「なるほど。彼なら今、作家をしているよ。どうやら
そうか。作り話か。あの無理難題に対して、彼はよくやった。
「分かっていたら、何も言わなければ良かったのに。それでも言うのだろうけど」
それを君が言うか? まあ、いい冗談だとは思うがね。
「それもそうだ。まあいいや。それよりも、この場所について話をしてほしい」
そうか。なら……ここは路線図を作り上げた人々について、様々な資料を集めていた場所なんだが、ここの管理者が死んでしまってからは、誰もこれを受け継ごうとしなかった。今では誰も路線図の主など覚えてはいないだろうし、私も、そんな事には興味は湧かなかった。しかしここに長くいると、どうしようもなく覚えてしまってな……恐らくは、この世の誰よりも詳しいぞ。
「なるほど、それはいい。折角ここまで来たんだ、話の一つでも聞かせてもらう事にしようか」
もちろんだ。
この物語はフィクションです。
「おい、今のは誰だ? お前が話したのか?」
いや、そうではない。そんなはずはない。私が話す時はいつも脈絡を持っている。そうでなければ会話が成立しない。だとすると、あの一言は何だ? ここに私達以外の誰かがいるのか? おい、もう一度話してみてくれないか。ここにいるであろう、もう一つの存在よ。話せる事でいい。何か話してみてくれないか。
この物語はフィクションです。
「同じ事しか言えないみたいだな。それも与太話の最後に付け加えるような言葉だけらしい。なら今までの旅路は、全て与太話に過ぎないという事か?」
そういえば先ほど、手記に手を加えている者がいると言っていたな。駅員の……
「……そんなまさか。いや、そうかもしれない。だとすると……今までずっと消えていた様なものだったが、本当に消えてしまうみたいだな。それならそれで、自然の摂理の
そうか、寂しくなるな。やっと出会えたというのに……自分を理解してくれるであろう存在に、やっと出会えたというのに。しかしこれも運命か。初めから、会うはずの無かった者同士、また離れていくだけなのだろう。
「それだけではないかもしれないな。手記の亡霊という存在ごと、忘れ去られていくんだ。元々人に知られようも無かった存在が、消え去る事で本当に忘れ去られるんだ。文字通り、なかったことになるんだろう」
その事だが……私に一つ考えがある。
「それはどんな?」
言わずとも確かな事だが、その路線図のかたわらに、手記の亡霊を見つけた者は必ず存在する。その者が何か物語を書き記しているかもしれない。都合良くはいかないだろう。おそらく、その中のほとんどは、君が言う通りにそのまま忘れていくだけだ。だが……覚えていようとする者が、どこかにいるはずだ。例えそれが君に直接関係する事柄でなくとも……君が関わった事で、生み出された変化もあるかもしれない。実際に君が辿った旅路よりは短くなってしまうだろうが……私はこれから、その道筋を見つけ出そうと思う。
「なるほどな。楽しみにしているよ。多分、そこ以外にはもう存在していないだろうけど」
それでいいさ。それでも、そこに気配を残す事はできる。そして、君はその気配そのものなのだから。そこに君は存在し続ける。私は、それをじっと眺めているだろう。まるで路線図の様に拡大されて、やがては君自身よりも大きく、君は存在し続けるのだ。いや、これは君の望みではなかったな。君は真実を求めていた。私の言葉は、その真実ではなかったかもしれないが……。
「そもそも、期待なんてしていなかった。初めからあってないようなものを探し求めていたんだ。納得できる結末があるだけ、マシってものだ」
そうかもしれないが……ならあの手記は何だった? 君を生み出す程の可能性を秘めている物の割には、気にも留められていなかったじゃないか。あそこで駅員が見つけなかったら、あのまま君は消えていたかもしれないんだぞ。
「おそらく、何度も消えていたんだろう。何度も何度も一年後から……そうでなければ、ベンチで佇む男が痩せこけている理由が見当たらない。彼がいつ駅の建造に携わったかは知らないが、肉体労働の果てに、まともに歩けない程の骨身になるには相当の時間を要するはずだ。だから、あれは一度目の出会いではなかったはずなんだ。思えば、自分が何かを伝えようとする前から、彼は自分から伝えようとしている事を理解している様だった。あの駅員だってどこか変だった。明らかに自分を視認していた。それまでは気にもかけられていなかったから、だから消えていくばかりだったんだ。だから何度も話しかける自分だけが、ベンチの男以外には見えないまま消えては現れて……そりゃ、痩せこけるだろうな」
だが、現実になった。嘘ではなくなった。
「……そして、あれから二十年も経ってしまった。自分はどうしようもなく消えていくだけだ」
だが、これから君を見つける人がいる。ここに客が訪れる限り、君はそこに存在し続ける。
「そうか。それは嘘じゃないんだな」
そうだ……そうだとも。他の誰も君を信じなくても、私は君を知っているし、君を何度もそこに見つけてみせる。
「……そうか。それはよかった。なら、もう消えてしまっても……いや、別の場所に辿り着くだけなのか。今までの様に、どこかに辿り着こうとするだけなのかもしれない」
そうだとも。そうだとも……何度も何度も、君はそうやって辿り着こうとするんだ。
「それっていいな……そういう存在も、悪くはないかもしれない……」
私は、彼がそこから消え去るのを見ていた。足の方から、やがては全身を取り去るように風が流れていくのをそこに見ていた。彼は確かに、そこで消え去った。だが、彼はまだ生きていると思えてならない。彼はまだ、旅の途中にいる。あるいは、彼が消えたのは、そこではない別の場所に現れようとした結果なのだと……私はそう信じている。
彼のかたわらで、路線図は円を描いている。たった一つ……確かに人を運んでいる道筋がある。彼がこの世界から場所を移してからも、常に運行は妨げられずに続いている。そして、そのかたわらにある物語が、一つ円を描いて、彼の姿をそこに映し出している。それらを語る相手はいないが……ここには、彼の姿が集まっている。彼が傷ついた時、彼が悲しみに暮れた時、彼が
見知らぬ人も、かけがえのない物語を
この物語はフィクションです。
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