最終話 惑いの森の獣 -4

 和久永神社わくながじんじゃ陸斗りくとが訪ねてきたのは良く晴れた日の午後だった。麗らかな天気とは対照的に陸斗の顔は暗い。少し痩せたようにも見えるその様に、あおいは眉を寄せた。


「それで、俺に相談って? 莫杜まくずと何かあった?」


陸斗が青に相談することなど一つしかない。不安げに揺れる陸斗の瞳に問いかけると、陸斗は泣きだしそうに顔を歪めた。


「この前から、何度山へ行っても莫杜と会えないんです」

「莫杜と?」


あれだけ陸斗にべた惚れの莫杜が、陸斗を避けるとは相当だ。一体何があったのか尋ねると、陸斗は会えなくなる前の会話を教えてくれた。


「それ、俺には両想いだったってことに聞こえるけど?」

「おれもそう思いました。意味がわからない」


すっかりしょげてしまった陸斗に、青は事情を一姫に話して良いかと尋ねた。一姫なら何か知っているかもしれない。陸斗が頷いたのを確認して、青は一姫を呼んだ。


「莫杜がそう言うのなら、アレはもうお前に会う気は無いのだろうよ。諦めろ」


話を聞いた一姫があっさりと言った。陸斗が目を瞠る。あまりにもあまりな言葉に青が食って掛かった。


「おい、姫、なんだよその言い方」

「ならば優しく言ってやろうか? 可哀想だが、莫杜はもう陸斗の前には姿を見せないだろう。あの山は莫杜のテリトリーだ。莫杜が会う気にならなければ陸斗がいくら探しても無駄だ。見つからん」


目を細めた一姫に、青が落ち着くために深呼吸をする。感情的に話しても一姫は動かない。それは今までの経験で知っている。


「莫杜は陸斗くんを好きなはずだろ? なんで『会わない』になるんだよ」

「本当のところは莫杜にしかわからん。だが、大方の想像はつく。あやかしと人とは生きる時間が違い過ぎる。理由などそれだけで充分だろう」


だから諦めろ、と続けた一姫に、陸斗が歯を食いしばる。


「なんだよそれ、勝手すぎる。おれの気持ちはどうでもいいのかよ」

「それならお前は、莫杜の気持ちは考えたか? 莫杜と人間のお前が共に過ごせばどうなる? 久遠の時を恋人を失って空虚に過ごすくらいなら、わらわなら愛する者の子孫を見守って穏やかに過ごす方が何百倍もマシだ。莫杜がそう考えてもなんら不思議はない。それくらいの時をわらわたちは過ごしている」


どうしたって先にいなくなるのは人間だ。親しい者を失うのは怖い。それはもう青も知っている。

 そうして一姫はずっとその気持ちを抱えて過ごしているのだと今更ながら気が付いた。一姫はこの神社で涌永の一族と共に何百年も過ごしている。その間に何度も別れがあったはずだ。陸斗も思うところがあるのか、それ以上の言葉は無い。


―――――でも、


「姫、頼む。二人にちゃんと話をさせてやりたい。協力してくれないか」


深く頭を下げた青に、陸斗が驚いた顔をする。それから同じように頭を下げた。二人分の後頭部を眺めて一姫は溜め息をつく。


「もういい、顔を上げろ。だが、何故アオはそんなに必死なんだ? お前は関係ないだろう?」

「え、っと。それは……」


一姫と顔を上げた陸斗の視線が青に向く。陸斗も不思議そうだ。しかし理由を言い淀む青に、一姫は軽く息をついた。青と陸斗、順番に視線を合わせる。


「まあ、良い。ただし力を貸すのは一度きりだ。それで莫杜を説得できなければ諦めろよ」


そう言った一姫に、青は泣きそうに、そして陸斗は嬉しそうに笑った。




 陸斗が神社を訪ねてから数日後、青は晨酔山ときよいやまの麓の公園に来ていた。今日も原付きバイクを隠し、陸斗に電話を掛ける。しばらくしてやって来た陸斗と軽い挨拶を交わした。


「山に入っても、莫杜とは会えないんですけど、青さんがいれば会えますかね?」

「一姫に、式神を預かってきた」

「式神?」


陸斗の疑問の声に、青のパーカーのフードがもぞもぞと動く。ぴょこんと顔を出したのは白い小鳥だ。ぱさぱさと軽い羽音を立てて青の頭に止まる。


「すごい、可愛い!」


陸斗の褒め言葉に、小鳥はチィと自慢気に鳴く。


「じゃあ、頼む」


青が頭の小鳥に言うと、小鳥は心得た、とばかりにもう一度鳴いて、青と陸斗の頭上を旋回した。

 先日と同じようにぐにゃりと視界が歪む。足元が抜けるような感覚の後に、目を開けるとそこに莫杜がいた。白く大きな体を伏せていた莫杜が顔を上げる。


「青、と陸斗まで」


驚いた莫杜に、陸斗が口を真一文字に結ぶ。何か言いたそうな様子だが、それより先に莫杜が口を開いた。


「陸斗、もう来るなと言ったはずだ」


やはり拒絶を示す莫杜に陸斗の目に水気が増す。見かねた青が口を開いた。


「莫杜、俺が陸斗くんと莫杜を話し合わせてやって欲しいって一姫に頼んだんだ。莫杜には余計な世話かもしれないけど、陸斗くんの話を聞いてほしい」


頭を下げた青に、莫杜は一度目を瞬き、やがて息をついた。


「私と陸斗のことで、青が頭を下げる必要はない。解った、話を聞こう」


そう言って莫杜の姿がゆらりと歪む。次の瞬間には、人間の男の姿の莫杜が立っていた。先のほうだけが緩く波打つ白く長い髪に、ざくろ色の瞳。切れ長の目はどこか切なげに細められている。

 口火を切ったのは莫杜だった。


「それで、話とは?」

「おれは莫杜が好きだし、莫杜もそうなんだろ? なのに、もう会わない、なんて納得できない」


青が陸斗に視線を向けると、陸斗が直球で投げかけた。それにほんの少し微笑んで、しかし莫杜は動じる風もなく答える。


「確かに、私はお前を好いている。だが陸斗、いずれお前の世界は広くなる。私にこだわらなくても他に好きな人間が出来るさ」

「はあ!? なんでだよ。おれは今、莫杜が好きだって言ってるのに。信じろよ!」

「信じているから、駄目なんだ。お前の気持ちが遊びであるなら許容できる。だが本気であるのなら、霞のような存在の私にお前の貴重な時間を使ってはならない。なに、会わなければいずれ忘れるさ」

「なんで、どうしてそうなるんだよ」


陸斗は唇を噛みしめて、目には薄く涙が浮かんでいる。しかし莫杜も折れそうにない。

 今、二人の恋仲が成立したとして、その先に待っているのは一方的な別れだ。傷が浅いうちに忘れるのが正解、という莫杜は正しいのかもしれない。でも青はそんなに物分かりが良くはなれない。


「二人の問題に口を挟んでごめん。でも莫杜、少しだけ俺の話を聞いて欲しい」


莫杜と陸斗、二人分の視線が青に向く。吐き気のような不快さに胸のあたりを右手で押さえる。震えそうな声を、深呼吸をして落ち着けた。


「俺、陸斗くんと同じ高校生の時に、好きな子がいた。その子とは夏休みに母方の田舎で会ったんだ。見掛けは同い年くらいの人間だけど、紅葉もみじの木の精だった。毎日一緒に遊んで、好きだった。それが恋愛だったのかは今でも分からないけど」


数年前、短い時を共に過ごしたべにとの思い出はまだ鮮明に残っている。あの後、紅を忘れようと必死で勉強し、結果国立の大学に入った。両親は喜んでくれたけれど、それだけだ。

 紅と手を繋いだことも、キスをしたことも覚えている。触れた唇が柔らかかったことも、冷たかったことも知っている。それなのに、どう柔らかかったか、どう冷たかったか、もう思い出せない。あんなに忘れたかったはずなのに、どうしてかその事実に胸が軋む。

 莫杜と陸斗は、たどたどしい青の話に黙って耳を傾けてくれている。紅の話を誰かにするのは初めてだ。


「俺は紅ともう会えないけど、莫杜と陸斗くんは違うだろ? これは俺の勝手な希望だけど、今、触れて、話すことができるならそれを大事にしてほしい」


いつのまにか頬に涙が伝う。それに自分で驚いて、青は目元を拭った。


「ご、ごめん。今まで泣いたことなんてなかったのに」


それを見て、一度顔を見合せた莫杜と陸斗が頷いた。莫杜が白い獣に戻る。大きな体を地に伏せた莫杜に、青がどうしたのかと首を捻る。陸斗が青の背中を押した。


「陸斗くん?」

「いーから青さん、もっと莫杜に近づいて」


言われるがまま青が莫杜に近づくと、陸斗が横に屈んで青の手を引っ張った。同じように青も屈むと、陸斗が青の背中を後ろから莫杜の体に押し付けた。白く長い毛が柔らかく青の顔を受け止める。頬に触れる毛が擽ったい。


「おれ、悲しいことがあった時はいつも莫杜に抱きついて泣いてました。あったかくてゆっくり動いてて落ち着きます。漫画の受け売りだけど『悲しい時はちゃんと泣いた方が良い』そうです。だから我慢しないでください」


陸斗の声と共に肩に何かが触れた。少しだけ顔を動かすと、すぐ隣に陸斗が腰を降ろしていた。陸斗が莫杜に凭れたのが、頬に触れる莫杜の肌から直接伝わる。

 それきり何も言わない陸斗に、青の目からいまさらのように涙が溢れた。人より遅く一定のリズムで拍動を刻む莫杜の体はほんのりと温かい。莫杜は自分を霞のようだと表現したが、この体には血液が流れる音も、体温も存在している。泣き疲れて涙が止まっても、青は莫杜の体に顔を埋めたまましばらくそれを感じていた。



 目元の涙を袖で拭う。顔を上げた青を陸斗が心配そうに見ていた。


「ありがとう、二人とも。俺、この話を誰かにしたの初めてなんだ。なんかすっきりした」


泣いたのは恥ずかしい。でも腹の底に溜まった滓が少しだけ流れた気がした。陸斗は安心したように笑っている。

 青が離れると、莫杜はすぐに人の姿に戻った。座ったまま三人で向かい合う。下ろした手に触れた丈の短い草がちくちくと肌を刺激する。そういえば紅と遊んだ時も同じだった。忘れていたあの日の空気を懐かしく思い出す。ただただ胸を刺すだけだった記憶が少しだけ優しいものに変わった気がする。

 青が手首を撫でていると、莫杜が口を開いた。


「会わなければ解決するものではないのだな。青の話で気が変わった。私は陸斗が離れていくのが怖かった。結局逃げていただけだ」

「……それって、おれはまた来ても良いってこと?」


莫杜の言葉に、陸斗が問い返す。莫杜が情けなく眉を下げた。


「ああ、悪かった。お前がまた訪ねてくれたらとても嬉しい」


陸斗の顔が驚きに染まる。すぐに満面の笑みに変わり、莫杜に抱きついた。その体を危なげなく受け止めて、莫杜が労わるように陸斗の髪を撫でる。


「ただし、ひとつ条件がある」

「条件?」


再び不安そうに陸斗の眉が寄る。不穏な言葉に静かに見守っていた青も息を飲んだ。


「いつか、お前のもとにもっと魅力的な人間が現れた時には、私に執着するなよ。それだけは約束してくれ。私はいつだってお前が『人として』幸せであって欲しいと願っている」

「なにそれ。まだおれのこと信じてないの?」

「違う。信じているから言っている。だが人の心は変わるものだろう?」


自分の心変わりを前提に話される陸斗は辛いだろうが、しかし莫杜の言う事も理解できる。一姫も言っていた。この恋が「成就すること」が必ずしも幸せとは限らない。

 でもこれでは先ほどの焼き直し、堂々巡りだ。青が口を挟もうとしたところで、陸斗が言った。


「わかった。莫杜がおれのことを思って言ってくれてるのは分かるから今はそれでいいよ。でもおれは他のやつを好きになったりしない。そのうち嫌でも認めさせるから」

「それは頼もしいな」


ゆるく笑った莫杜に、陸斗が不満気に頬を膨らませる。


「あ、信じてないだろ。すぐそんな事言えなくしてやるからな」


陸斗がまた莫杜に抱きついた。陸斗からは見えないだろうが、莫杜の顔も満更ではなさそうだ。どうやら綺麗に纏まったらしい話に青も胸を撫で下ろす。

 いずれ別れが来るのは確定した未来だ。それはどうあがいても変わらない。でもその別れが二人にとって優しいものであればいい。そう願って青はまた滲んできた涙を拭った。



 それはそれとして、青は「莫杜に会うのに協力するかわりに酒を汲んでこい」と一姫に言われている。めでたく恋人同士になった二人に水を差すのは大変に憚られたが、任務を遂行しなければ一姫の制裁が待っている。仕方なく莫杜に頼んで泉まで連れて行ってもらい、酒を汲んでから家に帰った。

 莫杜と陸斗の顛末を一姫に報告する。上手くいった事を伝えると、一姫は珍しく驚いた顔をした。


「陸斗くんは、心変わりはしないって言ってた。ずっと一緒にいられるといいな」

「永遠など無いさ。莫杜も信じてはいないだろうよ。だがそれを信じられるお前たちの未熟さが愛おしいんだ」


一番永遠に近しい時を過ごす一姫が言うのだからそれはきっと正しい。でも一姫の口元が穏やかに笑んでいるから、青はそれでいいような気がした。



宮ノ守奇譚 終


***


最後までお読みいただきありがとうございました。

レビューや応援をくださった方もありがとうございました。更新の励みになりました。読者様にわずかでも何かを残せていましたら嬉しく思います。


少しだけ宣伝です。

・次は「薄明の月」の薄墨の過去話他、一姫や青が出ない宮ノ守奇譚と同じ世界線のお話を別立てで連載予定です。

・栄養学で異世界の公衆衛生を向上させる召喚系ファンタジー「賢者はいつもお腹が痛い(完結済)」もあります。宮ノ守奇譚とは逆に明るめのお話です。


よければ上記二作もお付き合い頂ければ幸いです。

それでは、ここを読んでくださる貴方の毎日が心躍る日々になりますように!


2023/3/11

藤名

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宮ノ守奇譚 藤名 @tsk_yc

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