第2話 究極の二択

「で、あなたはもしやその薬を最後まで飲まなかった人ですか…?」

 私の問いに、老人は頷いた。

「…わしは、この薬の開発者チームの一人だ。さすがにそりゃあ、飲んだらどれだけあほになるか分かってたら、飲まんだろう」


 そう言うもんかな、と妙に納得してしまった。だが苦渋に満ちた老人に比べて、あほは、やたらと幸せそうである。


 何しろこのあめちゃんは食べた瞬間、自分の中でのすべての妄想が実現し、無茶苦茶に絶好調になった気がし、表からみるとあほにしか見えないが、本人は決して不幸になることはないのだと言う。


「一度あほになったらもう戻って来る術は、ない。だがわしはこの地球の人々にまだ一縷の可能性と望みを持って、リハビリを続けているんじゃよ」

「はーそうなんですかあ…」

 スミちゃんは気のない相槌を打ったが、その瞬間、何かに気づいたような顔をして、

「え!?今、おじいさんなんて言いましたか?まさかここ地球!?」

 ええっ、うそっ!?

「いや、地球じゃろ。だってあんたたち、わしと同じ日本人だし」

「ほあっ!?」


 あほは私たちであった。なんか、気軽な感じがして当然だった。じーさんもあほたちもよく見れば、何の変哲もない地球人だった。だからさっきあほたちが言ったのは、紛れもなく聞き間違いじゃない、さやいんげん、だったのだ。


「え!?じゃあここ日本のどこですか!?」

「六本木。この坂下ったところが、麻布あざぶ。その先が青山墓地じゃ」


 老人はあごをしゃくった。地下鉄駅も首都高渋谷線の高架道路もなかった。憧れの六本木ヒルズは十年ほど前、大量のあほたちの車が突き刺さって倒壊したと言う。いやまさかここが!?


「どういうことだ…?」

 私は愕然とした。だってこんなのってあるか。そもそも私たちは、地球を離れてここまでやってきたのである。体感時間にして五年ほどだが、最先端の技術によって惑星間の移動は、それほど時間差を生じずに出来るようになったはず。


 そのとき、恐る恐る隊員の一人が手を挙げた。

「あのう、それが隊長。どうもワープの調子、先月からおかしいみたいで」

「その件は、サポートセンターに電話するって言ってたじゃないか」

「いや、土日でサポートセンターつながらなくて。でもまあ、まだ動くには動くから大丈夫かなって思って、黙ってたんですけど…私たち、タイムスリップしちゃったんじゃないでしょうか」

「ばっか…馬鹿言うなよ。ちょっとワープしただけじゃん。そんなん聞いてないよ」


「おじいさん、今、西暦何年ですか?」

 スミちゃんの質問にじーさんは怪訝そうに答えた。私たちがいたときから、とりあえず百年ぐらい経っていた。


「どうしてこうなった!?」

「サポートセンターに電話して、聞いてみましょうか?」

「遅いわ!!」


 膝が砕けそうになった。なんてことだ。人生一大勝負、あることないことかまして、スポンサーを募りかつてない巨費を投じてこの惑星探査を成功させて、大スターになる予定だったのに。


 あほになった世界には当然、CNNニュースも外国人記者クラブも存在しない。本を書いてもあほしかいないから誰にも読んでもらえず、当然ハリウッド映画化もなし。国民栄誉賞ももらえない。なぜならこの地球には、もはやあほしか住んでいないから。私の人生すべてが今、終わったのだ。


「どうすればいいんだ!?なんだっ、も一回タイムスリップとか出来ないのか?」

「いやー、それサポートセンターに聞いてみないと」

「そんなもんあるか!?お前たち結局、あほばっかりじゃないか!」


 私はあらん限りの言葉を使って、隊員を罵倒した。こんなあほたちを連れて宇宙旅行してしまった。ギャラをけちったせいなのか。いや、断じて私が悪いわけじゃない。こいつらがあほなのだ。


「このあほ!馬鹿!間抜け、おたんちん!仕事辞めちまえ!」


 こんなに怒鳴ったの久しぶりだった。エネルギーを使わないようにずっと無言で宇宙にいるので、結構気持ち良かった。


 隊員は黙って聞いていたが、

「はい、じゃあ辞めさせたいただきます。なあ、みんな」

 はいっ、と全員が頷いた。なんで、ええっ!?

「さっきからお話をうかがってると、もう別にあほでもいいんじゃないかなって思ってきまして。て言うか、あほのが楽ですよ。大体地球はこんな有様ですし、有名になりたいと思って隊長を踏み台に使ってきましたが、その野望もついえました。そしたらおっさんに罵倒されながら冴えない宇宙旅行するのもうんざりだなって」

「ええっ!ちょっと待ってみんな!給料上げるから。どうか考え直して!」


 考え直すものは一人もいなかった。なんたるしょうもない地球に、帰って来てしまったのだ。かくして皆、あめを食べてあほになった。幸せそうだった。おこここっ、とか叫びながら、皆でラインダンスをしている。楽しそうだった。ちょっと仲間に入れてもらいたかった。


「あめちゃんは、あと一個じゃよ?」


 はたと、私はスミちゃんを見た。あほになれるのは、あと一人だけである。スミちゃんも私を見ていた。

 ゴミを見る目である。


「わたし、いいです。別に、隊長が舐めたらいいじゃないですか」

 すっごく冷たく言われた。なんかずきっと来た。

「その代わり、宇宙船下さい。わたし、あほになった隊長や皆のお世話するのぶっちゃけイヤなので、旅に出たいと思います。起こっちゃったことは仕方ないし、あほになった人は見捨てます。まだまだ、宇宙にはイケメンやセレブのいる星があると思うし」

「いやそれは…」

 どうなんだろう。でもスミちゃん、本当にそんな動機で宇宙旅行に志願したんだろうか。

「じゃあ、私も宇宙船に戻るよ」

「じゃあ、わたしあめを食べてあほになります。隊長と二人きりは嫌なんです。もし宇宙のイケメンセレブが現われたときすっごい邪魔ですし、ぶっちゃけ普段の会話が退屈の極みなので。…五分に一回はセクハラするし」

 セクハラするし!と二度、大声で言われた。そんな大きい声で言わなくてもいいじゃないか。

「えっとじゃあ…」


 究極の選択である。


 あめを食べてあほになれば、スミちゃんには軽蔑された上に見棄てられるし、宇宙船に戻ればスミちゃんに嫌がられた上に、あほになられる。どっちにしても私、報われないじゃないか。


「私は別に、どっちでもいいですよ?(小声)…あほになったら、それはそれで幸せでしょうし。最後の命令です。隊長が決めてください」

 スミちゃんの声は揺るがなかった。これじゃ、どっちが隊長だか分かりゃしない。


(でも本当にどうしよう)


 スミちゃんは今、あほになった方が楽だって言った。

 そう言えば考えてみたらあほになったら、後のことは考えなくていいのだ。

 やっぱり。

 あほになった方がいいのか?

(あほのが楽なのか…?)

 じーさんのあめは一個だけ。あほへの道を行けるのは一人だけ。

 私は思わず息を呑んだ。


 スミちゃんを載せた宇宙船が暮れゆく東京の空に、遠ざかっていく。あほたちは、ねぐらに帰っていった。彼らは夕方にカレーの匂いを嗅ぐと、なぜか大人しく塒に戻っていくと言う。


 私はあめを食べなかった。じーさんとともに、あほになった隊員たちを管理することに決めたのだ。


「スミちゃんが応援を連れて、帰ってくるまでの辛抱だ。責任ある隊長として、私は最後まで隊員たちを管理する義務があるしね!」


 大人の高笑いをしたが、なぜか空々しかった。スミちゃんは、あっそ、とは言っていなくなったが、そう言えば戻って来るとは決して言わなかった。


 あれから毎日、あほになった人たちを介護している。しかし連中は、あほなりに扱い易かった。お陰で毎日暇で空を見ている。恐ろしく退屈だった。


 そんなときはあめを食べて、いっそあほになったらいいなと思う。そしたらこの退屈な空も、飽きずに眺めていられるだろう。スミちゃんは戻って来ないし。そしてじいさんは退屈じゃないのだろう。最近毎日、私の顔を怪訝そうに見つめてくる。


 そんなある日のことだった。朝、ふとあめの在り処が気になって箱を開けた。そこにあめが入っていなかった。


「じいさん、あめがないよ」

 驚いて駈け込んで来た私を、じーさんはじっと見つめて言った。

「さやいんげん」

 あああっ、私も、あほになりたい。

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オココの惑星 橋本ちかげ @Chikage-Hashimoto

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