青春はカフェモカ味

久里

青春はカフェモカ味

 人を好きになったら、告白をした方が良いという風潮がある。

 目が腐りそうなほど眩しい青春恋愛モノではもちろんのこと、現実のお節介で耳障りな恋バナでもそうだ。みんな、当たり前のように『想いを伝えるのは素晴らしいこと』だと信じて疑っていない。

 たとえ届かなかったとしても、伝えることが正義なのだというみたいに。

 胸の中に秘めているだけの想いになど、意味がないというように。

 両想いの方が、片想いよりも偉い? 

 比べようもないほど、幸せだって?

 そんなの糞食らえだ。  

 そんなことを真顔で断言する奴がいたら、私はそいつの首をひっつかんで、息の根を止めてやりたい。



 太陽の日差しがコンクリートを焼き、ぐにゃりと歪みそうなほど暑い夏。

 私と、親友のみのりは、涼を求めて大学近くのカフェを訪れていた。

 今日も、彼女は、天使のように愛らしい。

りんはさー、大人っぽいよね」

「ん? そうかな」

「うん。みんなが格好良い男の子の話で盛り上がってる時とかにも、ぜんぜん乗ってこないし。そんなことはどうでもよくって、読書に夢中って感じ」

 みのりは、運ばれてきたカフェモカ味のアイスを舌に運んで、満足げな猫のように瞳をほそめる。そんな些細な仕草にも愛おしさが募って、胸がうずいてしまう。

「羨ましい。わたしなんて、いまだに高校生に間違われるよ? もう大学二年生なのに、初恋もしたことないからかな」

「みのりは、そのままで良いよ」

「そう? 凛がそう言ってくれるなら、良いのかもね」

 みのりは、少女のようにあどけなく笑う。

 学科の授業で出会った一年半前から、全然、変わっていない。

 この無防備な笑顔を見るたびに、心臓がギュッと締めつけられるようになったのは、いつ頃からだろうか。

 物語における恋愛では、この瞬間に恋に落ちたのだと説明されることが多いけれど、現実の恋愛に明瞭な境目はないと思う。

 最初は、透明の糸で引かれているみたいに、目で追うようになって。

 いつの間にか、声が聴こえてくるたびに、聞き逃すまいと勝手に耳が反応するようになった。ツヤツヤとした黒い髪も、どことなく猫っぽい瞳も、触れたら柔らかそうな唇も、気がつけば、みのりを形作る全てが私にとって甘い毒になっていた。

「凛? おーい。どうかした?」

 顔をのぞきこまれた時、その真っ黒な瞳に呆け面をした私が映りこんで。シャツの襟からのぞいた鎖骨の白さが、眼を焼いた。慌てて、のけぞる。

「わっ! い、いや。なんでもないよ」

「ふふっ。凛、なんだか最近、ボーッとしてることが多くなったね?」

 それは、あなたに恋をしているからよ。

「気のせいよ」

 今日も私は、本音を身体の奥底にしずめて、息を吸うようにウソを吐く。

「そればっかり。まぁ、凛が話したくないならベツに良いけど。それより、凛も食べる?」

 目の前からひょいっと差し出されたのは、銀色のスプーンの上に載ったカフェモカ味のアイス。

 間接キスだ。

 ドクドクと、凄まじい勢いで血が身体を巡りはじめる。

「食べないの? 溶けちゃうよ」

 痺れをきらしたような声に、飛び出しちゃいそうな心臓をおさえながら、思いきって食らいつく。ほてる頬をなだめるように、冷たいアイスが口の中で溶けていく。

 恋をする前は、間接キスなんて頭をよぎりもしなかったのに。

 さっきの間、ヘンに思われなかったかな。

 一度気になりはじめると、そればかりが頭の中をぐるぐるとしてしまう。

「おいしい?」

 だけれど、大体が杞憂で。それはそれで、少し胸が痛むの。

 我ながら、本当に面倒くさい。

「……うん。甘いね」

「そう? 苦いと思ったけどなぁ。クセになる味だけどね」

 本当は、みのりが口づけていたという艶めかしさばかりが気になって、味なんて少しも分からなかった。



 みのりに恋をしているとハッキリ自覚してから、約半年。

 二人でカフェモカ味のアイスを食べた夏から、あっという間に冬が訪れた。

 それまでは、みのりの無邪気さに翻弄されながらも、私はみのりの親友をつつがなくやっていた。

 やれていた、と思う。

 だけれど、一度だけ、禁忌をおかしてしまったことがある。

 それは、冬休み中の出来事。

 一人暮らしのみのりの家に、初めて招かれた。

 甘美な気持ちと、後ろめたいような気持ちとをぐらぐらと天秤に載せながら、好きな人の誘いを断ることなんてやっぱりできなかった。

 みのりの部屋は、想像していた通りに女の子らしく、ほのかに甘い香りがした。

 二人で手分けをしながら作った鍋を食べて。

 他愛もない話をしながら笑っていた時は、今、人生が終わっても悔いがないと本気で思うほど幸せだったんだ。

 だけれど、その夜、私は天国から地獄に突き落とされることになる。

「ねえ、凛。わたしね、好きな人ができた。ゼミで知り合った男の子」

 寝る前。

 電気を消した暗い部屋の中で、みのりはベッドのふとんをたぐりよせながら、ぽつりと呟いた。

「そっか」

 心を殺して、なるべく平坦な声で答えたけれど。

 本当は、青い空から、稲妻が落ちてきたような衝撃を受けた。

 突然、嵐がやってきたみたいに、自分で自分が恐ろしくなるほど胸の内がごうごうと荒れ狂った。

 いつだって起こりえたはずのことなのに。

 都合の悪いことからは目を逸らす自分の情けなさを、突きつけられたようだった。

 みのりは、そんな私の気など知らずに、一段上のベッドの上から拗ねたような声をあげた。

「冷たいな。なんにも聞いてくれないの?」

「だって。……大学二年生なら、恋くらいするでしょう」

「凛も、恋をしているの?」

 しているよ。

 胸をかきむしりたくなるほど苦しい恋を、あなたにしている。

「凛? 寝ちゃった?」

 『親友』としてこの家に泊まっている私に、この想いを告げる権利はない。

 頭の上まですっぽりと布団をかぶり、唇を引き結んで、胸の内の嵐が過ぎ去っていくのを震えながら待った。

「寝ちゃったんだ。つまんないの」

 それから、みのりの小さな寝息の音が聞こえてきた時、悲しいぐらいに胸がホッとした。

 みのり。

 心の中で、好きな人の名前を転がすと、頬が熱くなった。

 眠れなくなってしまい、静かに上体を持ち上げる。

 見下ろしたみのりは、あまりにも無防備に眠っていた。

 指を通して梳きたくなるような、サラサラの黒い髪。吸いつきたくなるほど、白い肌。布団の上に投げ出された細い腕。すべてが愛おしく、見つめているだけで、じわじわと体内の血液の温度が上がっていく。

 みのりは、私のことを『親友』だと信じて疑っていないから、こんなに安心しきった顔で寝られるのね。

 いつかは、この愛らしい唇を、見知らぬ男が奪うんだ。

 そう思ったら、身体が勝手に動いていた。

 こっそりと、世界の目を盗むように。

 夜の闇が、私の罪を覆い隠してくれることを祈って。

 くちびるとくちびるを、そっと、触れ合わせる。

 触れたのは、秒にも満たない、ほんの数瞬間。

 だけれど、その途端、身体の真ん中から焼き尽くされそうな切なさと愛おしさが噴き出した。

 みのりの唇からは、背徳の味がした。

 アダムとイヴが食べた禁断の果実は、こんな味をしていたのかしら。



 大学三年生の春。

 桜の花びらがキャンパスの足元を埋めたその日、みのりから、彼氏ができたと報告を受けた。相手はゼミで知り合った人だというから、きっと、冬に話していた恋が叶ったのだろう。

 あの冬の日から、覚悟はしていた。

 そのはずだった。

「ねえ、凛! わたしね、その……」

 一緒に受けている学科の授業が終わった後、みのりは、もじもじと恥ずかしそうに頬を染めながらうつむいた。

 それから、私の耳元に唇を寄せて、こっそりと囁いたんだ。

「初めて、キスをしちゃった。恥ずかしいけど、とっても幸せなのね」

 彼女が、この世界の誰よりも幸せだという顔で笑った時、心臓が痛いほどに収縮した。

「凛にもいつか、恋をしてほしいな」

 喉の奥が、熱くなって震える。

「凛? どうかした?」

 笑え。

 顔の筋肉が強張っても、心臓がナイフで抉りまわされたように痛くても、私はなんでもないという顔をして笑う以外に赦されない。

 選択肢もない。

 みのりの初めては私のものなのに、だなんていう浅ましい感情を見透かされるわけにはいかないの。

 私は、みのりの『親友』だから。

「……っ。ううん。ただ……みのりが幸せそうで、嬉しくて」

「ええっ! 大げさだよ、本当にどうしちゃったの」

 これは、罰だ。

 たとえウソを吐いてでも、好きな人の一番近くにいたいと願った罰。 



「じゃあね、凛。また、明日!」

 みのりが彼と付き合い始めてから一か月。

 一緒に受けている学科の授業を受け終わった後、私は、今日も愛しいみのりを彼のもとへと送り出す。

 いつか、ただの親友として心の底から祝福してあげられる日はくるのかしら。

 この胸を焼き焦がすような苦しい気持ちも、春が訪れて雪がとけるように、なくなって消えてしまう?

 今は、想像もつかないけれど。

 ねえ、みのり。 

 私の初恋の人。

 あなたに恋をしたから、痛くて、苦しくて、どうして私ばっかりって世界の全てを呪いたくなるような思いも味わった。

 でもね。

 私は、あなたの無邪気な笑顔を、守りたかった。

 叶えられない想いを告げて、やさしいあなたを困らせたくはなかったの。

 大人になっても、あなたに想いを告げなかったことを後悔したりしない。

 いつか私が、誰かと両想いになったとしても、片想いよりも両想いの方が幸せだなんて断言する人間にはなりたくない。

 だって、私は。

 一緒にアイスを食べた時も。

 お泊り会をした時も。

 ひりつくような切なさの中で、胸がいっぱいになるほどの幸せも感じていたんだ。

 この幸福な片想いを、不幸だったなんて、誰にも言わせない。

 青春に味があるとするならば。

 きっと、とろけるように甘いのに、舌の上に苦さの残るカフェモカのような味。【完】

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

青春はカフェモカ味 久里 @mikanmomo1123

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ