悪声のカナリヤとセイレーンの合唱
その後、響佳先輩と有中くんは無事に和解し、部員にも『ものすごくスパルタだけど的確な指導の人だから……!』ということを言い含めて、有中くんに練習を指導してもらうことになった。
「いいか、6月のJコン申し込みまであと2ヶ月。全力で基礎力を鍛えて課題曲の練習をしながら、適正を見て自由曲を決める。そしてその後、地区大会は8月! 申し込んでから本番まで2ヶ月しか
鬼の形相の有中くんの掛け声で、日本最大の合唱の大会、JHK主催のJHK全国学校合唱コンクール――通称・Jコンに向けての練習が始まった。
――そこからは、本当に地獄のような練習が続いた。
有中くんの厳しい言葉と叱咤に部員が泣きだすことも両手両足の数じゃ足りなかったし、これまでおじいちゃん先生の指導の元でのんびり活動していた私達からすれば、考えられないほどキツイ練習ばかりだった。
それでも、有中くんがどこまでも真剣に指導してくれたから、みんな投げ出さずについてきた。
元々、偏差値の高い
それに、録音してはフィードバックしてくれる有中くんの分析と指導のおかげで、上達していくのが自分達でも分かって、目に見える成長が嬉しかった。
4月、5月と基礎練習と体力づくり、課題曲の練習が続き、自由曲もようやく決まって、6月の地区大会申し込みも済んでからしばらくして。
「集合! 地区大会の出場順、出たぞ!」
基礎練習をしていたら、有中くんがA4の紙を片手に部室に入ってきた。
「嘘でしょ、
「やっば、最悪じゃん」
「終わった……」
黒板にマグネットで貼られたその紙を見て、響佳先輩、高橋さん、志穂ちゃんが口々に言った。
私達の前は、よりによって『
安定したバランスの混声合唱で、豊かな表現と完璧なハーモニーの美しさで、名前の通り極楽が見えると言われるほど。
そんな名門校の後に歌うなんて、端的に言って
「ハッ、構いやしねえよ。前の学校の歌声なんて霞む歌を歌ってやりゃあいいだけの話だ」
私達の嘆きを鼻で笑って、有中くんは言った。
「相手が極楽の迦陵頻伽なら、テメェらは今日から歌声で船乗りを殺す海の悪魔――セイレーンだ! 聞かずにはいられない魅惑の歌で、聞き手の魂まで奪う魔性の怪物に仕上げてやるよ!」
不遜に声を掛ける有中くんの、なんと頼もしいことやら。
いつもの調子に、みんな苦笑を浮かべて表情が和らぐ。
「いいか、ここからが本当の地獄だぞ! 死んでもついて来い!」
「はい!」
有中くんの掛け声に、みんな覚悟を決めて返事した。
――そしてそこから、それまでの地獄だと思っていた練習がかわいいものだと思えるほどのキツイ練習が続いた。
それでも、部員が泣きだす回数はずっと減ったし、みんな勝手が分かって来て練習の質も量も上がった。
来る日も来る日も練習に次ぐ練習。それでも有中くんの絶妙な飴と鞭で(とはいえ圧倒的に鞭の方が多かったけど)、みんなの士気は高かった。
有中くんが羽ばたくように指揮棒を振るうたび、歌が良くなっていくのが分かったから。
有中くんの指導で、私達は確実にセイレーンに育っていった。
「ねえ、有中くん。私達の歌って、正直なところ、どう思う?」
地区大会をちょうど1週間後に控えた練習の帰り、方向が同じ有中くんと二人で歩きながら尋ねた。
「呑気の権化みてえな羽田が弱気なんて、珍しいじゃねえか」
心底驚いたように言われて、苦笑する。
「いやほら、最初、指導を頼む時に『有中くんの声の代わりになる』なんて言っちゃったじゃん。今思うと、すごく大それたことを言ったなあと思って」
すっかり日が暮れたのにまだ蒸し暑い夜道を歩きながら答えた。
大変な練習を始めてつくづく思ったのだ。
確かに才能もあるとは思うけど、『田中カナリア』くんの歌声の裏に、どれほどの努力があったのだろうかと。
想像するだけでも気が遠くなりそうだ。
「今頃気づいたのか、間抜けめ」
「うう、ぐうの音もでない……」
ただの悪口でしかないけど、まったくもってその通りだなと思う。
「まあ、今んとこ富士山の7合目くらいまでってところじゃねえか? まあまあの仕上がりだろ」
「『天上の歌声』と呼ばれたカナリアくんの歌声には及ばないわけかあ」
「ド素人に4ヶ月で抜かれたらこっちもたまったもんじゃねえよ。驕ってんじゃねえ」
私が溜息をつけば、有中くんは傲岸不遜に笑って小突いてきた。
「それもそうか。それを思えば7合目でもなかなかの高さだねえ」
納得して言うと、有中くんは呆れた顔をした。
「お前のその単純さは、いっそ羨ましくもあるぞ」
溜息混じりに羨ましがられて、照れてしまう。
「えへへ、ありがとう」
「毎度ながら全く褒めてねえよ。羽田はいい加減に皮肉というものを覚えろ」
珍しくふっと笑いながら有中くんが言った。
その表情は気だるい不良でも、自信過剰な俺様指導者でもなく、年相応の少年らしい気の抜けた感じがあって、珍しいものを見たという気持ちがする。
「別に皮肉だと思わなくてよくない? だって褒め言葉だと思った方がお得じゃん」
「呆れるほど前向きだな」
「呑気の権化ですからねえ」
有中くんの言葉で返せば、有中くんは意外そうに目を見張った。
「羽田のくせに皮肉で返すとは生意気な」
「『くせに』ってひどくない?」
尋ねれば、肩をすくめて鼻で笑われてしまった。
「まあ、あれだ。最初は泥船だったが、象牙の舟に金の櫂とは言わないまでも、お椀の舟に箸の櫂くらいにはなったんじゃねえか?」
そうして、なんとなく無言のまま少し歩いていると、有中くんがぽつりと溢した。
「金糸雀じゃなくて、一寸法師!?」
聞き覚えのあるフレーズに思わず聞き返した。
「冒険も悪くねえって話だよ。それに、カナリアが乗るには丁度いい大きさだろ」
吊り目をキュッと細めて有中くんが言う。
「よく分からないんだけど、なんか褒めてくれてる?」
「……お前は正真正銘の阿呆だな」
私が聞けば、大きな大きな溜息をついてから、有中くんが言った。
「分かった、今のが皮肉だ!」
「ただの罵倒だド阿呆!」
私が嬉々として言えば、鋭いツッコミが飛んできて、弱気も吹き飛んでしまった。
――そして迎えた、地区大会当日。
どこか浮足立った気持ちで不安と緊張を抱え、リハーサル室に入って一通り練習した私達に向かって、有中くんは開口一番、一喝した。
「緊張なんぞしてるヤツは、いつも以上の力を出そうとしてる馬鹿だ! 練習してきたことが全てだぞ、それ以上の力が出るわけがねえだろ!」
いつも以上の辛辣さに、何もここまで来てそんなことを言わなくてもいいだろうと不穏な空気が漂う。
「だから!」
その空気を打ち消すような晴れやかな笑顔で、有中くんは続けた。
「いつも通り歌う――それだけでいい」
有中くんの言葉に、みんな近くの部員と顔を見合わせた。
あの有中くんが、励ましてくれている。
「正直俺は、お気楽な弱小合唱部が、ここまでついてくるとは思わなかった。でも、テメェらはここまでキツイ練習によく耐えてきた。元神童のお墨付きだ、安心しろ――今のお前らの歌は、『天上の歌声』と言って差し支えねぇ!」
滅多に褒めない有中くんの言葉に、みんなわっと沸き立つ。
「さあ、行くぞ! 歌え高らかに! セイレーンのお出ましだ!」
「はい!」
有中くんの発破に背中を押されてリハーサル室を出て舞台に向かう。
不思議と、思っていたより緊張はない。有中くんの言葉通り、あれだけ練習したのだからという自信があった。
……まあ私が呑気の権化だからというのもあるかもしれないけど。
でも、みんなの表情も、緊張より自信や誇らしさが見て取れた。
何せ、あの有中奏太のお墨付きをもらったのだ。
舞台袖につく頃、極楽寺高校への割れんばかりの拍手が聞こえる。
それでも関係ない。何せ私達は、極楽にいる聞き手の魂を海の底に引きずり込むセイレーンなのだから。
白く眩いライトの下、部員全員が舞台に並ぶ。
有中くんの手でさっと上げられる指揮棒。響佳先輩のピアノで始まる前奏。
気高く羽ばたく悪声のカナリアに率いられ、
悪声のカナリヤとセイレーンの合唱 佐倉島こみかん @sanagi_iganas
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