第6話
悪い夢を見ていました。
「ラウティンゾッラ! アモニラントセ! お前たちだけでも逃げよっ!!!」
ご主人様がわたくしたちを庇うように正面にお立ちになります。
既に城内には火の手が上がっており、使用人も半数は城から離脱してしまっておりました。
我が身可愛さ、ご主人様の命令……。理由は各々で違いました。残った者も、それぞれの想いを持って、ご主人様と最後を共にしようとした者たちばかりでした。
「奴らの勢いは止まらないだろう……」
絶望的な状況にあって、ご主人様はなお冷静さを失っておられないようでした。
「吾輩の首だけでこの戦いが終わるのならばそれが最善であった……」
「ご主人様!?」
「……交渉は決裂した。我らを皆殺しにする、それだけの力が奴らには備わっておる……吾等の取れる選択肢はもはやこれしかない……」
ご主人様は玉座の間の更に奥の、使用人の間にも殆ど知られていなかった秘密の間にわたくしたちを招き入れられました。見慣れない魔法陣がご主人様と同じ紫色に光っておりました。
「これは……? この術式は即死魔法……そして……? 見たことの無い複雑な術式……」
「この先は、異世界へと通じている」
異世界、という言葉にわたくしたちは騒めきました。
「お前たちも気付いているのだろう? 奴らは異形を嫌い、徹底的に排除する、そんな生き物だ。吾等とは異なる習性……。そんな中で吾等の逃げおおせる場所は存在するのか? 吾等は生き抜くことができるのか……? 吾輩は、否と考えた。そこで、手段として選んだのがこれ──転生だ」
ご主人様は苦悶の表情を浮かべておりました。
言いたいことが察せられたのでしょう。普段は能天気なアモニラントセが深刻な面持ちで生唾を飲み込む音が聞こえました。
「……皆には、一度死んでもらう」
どよめきが起こるのは必然でした。色めき立つ使用人たち。予測していたわたくしたちでさえ、心中穏やかでないものがありました。
ご主人様は、何よりも命を大切になさるお方です。どんな状況でも、どんなに戦況が苦しくとも、どんなにわたくしたちが志願しようとも、決して死を前提とした行動を許諾なさいませんでした。どれほど風紀を乱そうとも、どれほど罪深いものであろうとも、命を奪う処刑だけは許されない、そんなお優しい──優しいというだけでは表せないほどの人格者であったからです。
「そして異世界に魂のみ転送し、そこで新たな生を歩んでもらう。運が良ければ、再び巡り合うこともあろう。……吾輩は魔王としての責任がある。ここで奴らを食い止める。ここでお別れだ」
「……そんなっ」
「あんまりですっ」
「異世界に行けるなんて保証はないじゃないですか!」
「もし行けるんだとしても、死にたくないっ! 分からないことが多すぎる!」
皆の懸念はもっともでした。
ご主人様は、そんな皆の声に、黙して、沈痛な面持ちで受けとめられることでお応えになりました。
「……ついていけない」
誰かが吐き捨てるように呟き背を向けたのが分かりました。一人、また一人。連鎖的に、ポツポツと部屋を後にしていきます。
ご主人様は引き留めになられません。
わたくしは知っておりました。この決断をするにあたって、ご主人様がどれほど煩悶なさったのかを。一体どこでどの選択を誤ったのか、どうしてこの状況に陥ったのかとずっと後悔しておられたことを。
「……どうなさるのですか?」
心を読むことはできましたが、それでも敢えて声に出して、わたくしは隣に立つアモニラントセに質問しました。
「そりゃまあ、ご主人様に従うしかないでしょ」
それが、遊びのような感覚で他人の脳に命令を書き込み、時にはご主人様の命令にも背くこともあったアモニラントセの意思かと、そう思いました。
「…………」
「何? 意外? こう見えてもご主人のことは結構信じちゃってるからね~、ボク」
「……そうですか」
「訊くまでもなさそうだけど、まあお義理で質問しとこっか。ラウティンゾッラはどうすんの?」
「わたくしは……」
アモニラントセの想定に反して、わたくしはご主人様の命に従い、魔法陣を使って異世界に転生するかを決めあぐねておりました。
「意外だね。どうして?」
「……ご主人様を、死なせたくありません。……ご主人様には、生きていてほしいのです」
「それはみんな同じだよ」
言い聞かせるようでもあり、斬り捨てるようでもありました。
「心が読めるキミが、それに気付いていないはずがない──そう思っていたんだけどな」
「……………………」
「今まさに、魔法陣に飛び込んでいった彼──彼だって魔王様を大切に思っている。だからこそ、魔王様の想いを無碍には出来ない。その意思に応えるんだ。応えたいんだ。……ここに残らなかった皆もそうだ。それぞれに譲れないところや大切なところがあった。だからそれぞれの選択をした。だけど誰一人、魔王様を見限った者はいなかった……そうだろう?」
「……………………」
わたくしは、何も言えませんでした。
とうとうわたくしとアモニラントセの二人だけになりました。
ご主人様がわたしたちを振り返って一瞬、困ったような顔を浮かべます。とても愛おしいその表情は、しかしあまりに場違いでした。
ドンッ、と鈍い音が城を揺らしました。
わたくしたち三人は玉座の間に戻ります。
魔王を倒す──そう大言壮語を吐いた連中が、わたくしたちのご主人様を見据え、各々の剣や杖の切っ先を向けていました。
ご主人様は問答無用で、即死呪文をはじめとする、ご主人様が咄嗟に放つことのできるありったけの魔力をぶつけられました。
土煙。瓦礫が飛び散る中で、わたくしもアモニラントセにも、そして何よりご主人様が一番分かっておられました。無駄だと。この度の討伐者は、全くわたくしたちなど足元にも及ばない強さであると。
「まずは後ろの女どもからだ」
平坦な声と共に、青白い、熱とも電撃ともつかぬ閃光が飛んできました。よく見ると、閃光は剣の形を模しておりました。
わたくしとアモニラントセに向かって真っ直ぐ貫かれたその光の射線上に、ご主人様が飛び込みます。
「ラウティンゾッラ! アモニラントセ! お前たちだけでも逃げよっ!!!」
ご主人様の声は、明らかに振り絞られたものでした。
肉の焦げる臭いを感じました。
「行くよっ!」
突っ立ったままのわたくしの手を、アモニラントセが引っ張ります。
非力な細腕のどこにそんな力が残っていたのでしょう。
「早くっ!」
わたくしはアモニラントセに連れられて魔法陣の部屋に戻り、魔法陣に乗って起動を掛けました。一見して魔法陣はもう限界を迎えていました。
「ラストワン状態だ……魔力の暴走……これは保たない……くそっ」
アモニラントセの呟きが遠く聞こえました。
わたくしは走馬灯を見た気がしました。
スラムに捨てられていたわたくしに「一緒に来ないか」と手を伸べてくれたこと。
理屈屋で感情を露わにしないようしていること。意外とだらしないこと。底抜けに優しいこと。時々困った顔をしていること。どうしようもなく愛おしく大切であること……。
玉座の間の厚い壁を吹き飛ばして、もはや瀕死のご主人様が起動中の魔法陣に飛び入ったのを走馬灯の最後に見て、わたくしの、ラウティンゾッラとしての意識は途絶えました。
それからずっと、長い悪夢を見ているようでした。
目を覚ました時、そこは病院のベッドだった。
見舞い品の花が枕元に活けられていて、芳香を漂わせていた。
「ご主人様っ!」
逆井紗希が俺のブランケットに顔を埋めて泣きじゃくっていた。
泣き腫らした目。白磁の肌が涙と鼻水とでぐちゃぐちゃだ。
「ご主人様っ! ご主人様っ!」
「……うるっさいなぁ」
思わず笑ってしまうほどの慌てぶりだ。
というかこいつ本当に小学生なんだろうか、学校に行っているのか、という疑問が浮かんでしまう。
「そんなことどうでもいいじゃないですか!! 自分のご心配をなさってくださいよ!!」
怒髪天を衝く、という慣用句の通りに髪を逆立てて怒りを露にする紗希に、俺はなんだか申し訳なさとむず痒さを覚えた。
誤魔化すように笑って、強く鈍い痛みに顔を顰める。
そういえば、脇腹を刺されていた。腹筋を動かしたら、そりゃあ痛い訳だ。
「絶対安静、だそうです」
迫力ある表情で告げる紗希の後ろに東川が立っていた。
無言で、こちらを眺めている。
「東川さん?」
「……この度は、牧村がとんだことを……」
その一言で思い出した。
「そうだ。支社長は?」
「ご安心を。法に則った手続きの最中です。今頃は牢屋の中でしょう」
紗希が憎悪に満ちた目を明後日の方向に向けたのを捉えて、俺は戦慄した。
この間の浮浪者の例から考えても、まず間違いなく何かしたに違いなかった。
「いえ、残念ながら何も。止められましたので」
「止められた……? そうだ、弓削さんは? 弓削さんは無事なのか?」
「ええ。全くの無傷です」
紗希の表情はいつしか、何とも言えない複雑なものに変わっていた。
「
「そうか……」
よく見ると花以外にも、果物の籠やら何やらが部屋を飾っていて、結構な数の人間がお見舞いに訪れてくれていたことが見て取れた。
何気なく、手元にあったリモコンを掴んでスイッチを押す。夕方のニュースが始まるところだった。日付を確認するに、どうやら刺されてから三日経っているようだった。
「意外と重傷だったんだな」
どうにも実感が伴わない。
「ええ。ご主人様に何かあったらと思うと……もうっ……」
紗希は言葉を詰まらせている。
目覚めてからずっと、涙声だ。よほど心配をかけたらしい。
「助かってよかった」
小さく呟いて視線を落とした。
病人用の浴衣のような薄緑の服が、不健康に痩せた俺の身体をくるんでいた。
その時、遠くからパンプスがリノリウムの床を叩く足音がして、病室の引き戸が開かれた。
「起きて、る……!?」
ガラガラ、と音を立てて入室してきたのは弓削だった。駆けて来たのか、少し息が上がっていて、スーツも皺が寄っている。
見る見るうちにその目に涙が溜まっていくのが分かった。
入れ違いのように東川が病室から出ていく。
すれ違ったとき、弓削の唇が素早く動き、そして東川が一瞬動きを止めた気がした。
「ああ。弓削さん……あなたにケガが無くて……本当に良かった……」
「そんなこと……。ボ、ボクのことなんかより、ご自分の心配をなさってください!」
紗希と同じようなことを言われる。こちらも大した剣幕だ。
逆井紗希と弓削朋美は同時に、顔を見なくても泣いていると分かる震えた声で言った。
「「ご無事で何よりでした……ご主人様」」
ブラック企業勤めに疲れたアラサーおっさん、自分を「ご主人様」と呼ぶ小学生美少女に慕われ奉仕される 佐藤山猫 @Yamaneko_Sato
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