カラスの砂遊び

月野夜

カラスの砂遊び

「カーラースー、なぜなくのー、カラスはやーまーにー」




 暑い夏、太陽はそろそろ帰る時間。


 公園に残っているのは僕とジージーと鳴くセミとカァカァと鳴くカラスだけだった。


 僕はパパから教えてもらった歌を唄いながら砂を掘ってた。


 穴を掘って砂を埋めて、また穴を掘る。


 頭の中は空っぽで、夢中なって時間を忘れて砂場でダンゴ虫みたいにうずくまりながら砂を掘った。


 太陽は帰る時間なのに、暑さだけは僕と同じでなかなか帰ろうとしない。


 姿は見えないのに、すごいオーラで僕を苦しめる、まるで怒ったお母さんみたいだった。




「あっ!」ふとお母さんの顔を思い出すと、僕は叫んだ。


 左手首にまいた、お気に入りの仮面ライダーの時計は午後6時を少し過ぎていた。


 頭に浮かぶお母さんの顔は、見る見るうちに怖い鬼へと変身した。




「また怒られる」




 僕は穴掘りを続けたい気持ちと、お母さんのお説教をシーソーに乗せて、直ぐに帰ることにした。




「急げばまだ怒られない……かな?」




 握っていたシャベルを、砂場をぐるっと一周する石囲いに、カンカンと叩きシャベルに付いた砂を落とした。


 気付けば手だけじゃなく、ヒジのあたりまで細かな白い砂がくっ付いていた。


 お父さんが七歳の誕生日に買ってくれた、お気に入りの仮面ライダーの時計も、砂まみれの砂面ライダーに変身していた。


 腕に付いた砂はすっかり乾いていて、僕は一時間以上、ここで穴を掘っていたのだと気付いた。




「今日はちょっとしか掘れなかったや、いつになったら、終わるんだろ」




 僕はまたぼんやりと砂場を見つめながら、腕に付いた砂を手で払った。


 パラパラと腕から落ちる砂が夕陽に反射してキラキラ光り、元居た場所に戻っていく。


 この公園の砂場は僕の住んでいる町で一番大きかった。


 学校のプールより小さいけど、学校の教室くらい広いのかも。


 机も椅子も先生も居ない広い砂場は地面があちこちデコボコしていて掘り起こした穴が月のクレーターのように影を作っていた。




 僕は足でデコボコを均ならし、なるべく目立たないように工夫した。


 先週、砂場をそのままにして帰ったとき、町内会から苦情が出た。




砂場すなばあらしたまま放置ほうちすると、ネコがフンをして不衛生ふえいせいになるのでやめましょう!』




 そんな風に書かれた回覧板が僕の家に届けられた。


 僕は心臓が飛び出しそうなくらいビックリしてあわてて回覧板を机の引き出しに隠した。




『悪いことをしたら、必ずバレるんだぞ』




 お父さんの言っていたことが、本当になったと僕は思った。


 僕はお母さんに見つからない様に丁寧な字で回覧板にサインして、隣の田中さんの家に渡しに行った。




「あら、けんちゃん。回覧板持ってきてくれたのね。偉いわね、ありがとう」




 そして田中のおばさんは回覧板を見て、「砂場で遊び終わったらちゃんとキレイに直すんだよ。ネコのフンは病気の元になるからね」と、僕に教えてくれた。




 おばちゃんは僕が砂場で遊んでいたことを知ってたみたいだった。


 それにウンチなんて誰がしても、汚いに決まってる。


 どんな病気になるのか分らないけど。


汚いことは、知ってる。




 それから僕は砂場から帰るとき、ちゃんと地面を元通りして帰ってる。


 それと、ネコのフンが落ちていないか遊ぶ時に気を付けることも、忘れなかった。


 砂場をなおし終わって、僕はシャベルを持って水道に向かった。


 公園の水道で先にシャベルを洗った。


 先っぽには土がこびりついて、爪でこすらないとキレイにならいくらい、固くくっついていた。


 しばらく水を、ジャーっと掛けながらやっと土が剥がれた、シャベルを洗い終わると僕の爪の中にびっしりと土が詰まっていた。




「仕方ないや、爪の中は帰ってから洗おう」




 直ぐに僕はあきめてシャベルを剣のように持ち替えた。


 シュッシュッと見えない敵を切って倒す。


 剣を振るたびに水のしずくが飛び散った。


 腕が疲れるくらい振ると、シャベルに水は付いていなかった。


 僕はシャベルをいったん置いて、カバンの中からペットボトルを取り出した。


 空っぽのペットボトル、昨日の夜にはオレンジジュースがたっぷり入ってた。


 思い出して僕はゴクリと唾を飲み込んだ。


 ひんやり冷たいオレンジジュースを家のソファーに座ってゴクゴク飲んだら幸せだろうなぁ。


 早く帰って、ジュースを飲もう!




 そう決めた僕は空のペットボトルに水を汲んだ。


 なみなみになったペットボトルは、僕の喉をカラカラにする、家に帰るまでなんて我慢できない。


 僕は吐水口とすいこうを上にグイッと捻って水をゴクゴクとお腹いっぱいに飲んだ。


 お腹がタプタプなるくらい膨れてもう飲み物は要らない。


 でも、このペットボトルは僕が水を飲むために入れたんじゃない。


 花を生けるための花瓶だった。


 でも、これは瓶じゃないから花ペットボトルかな? って僕はふと考えた。


 家にあった茶色の太いジュースの瓶を持ってくれば良かったかなぁ。


 でも、あれは重たいし割れやすいからペットボトルに変えたはずなのに、家を出る前の記憶も、よく思い出せなかった。




 暑くて頭がボーっとする。


 まぶたが重たくて眠い。


 お腹もすいた。


 もうすぐ見たいアニメが始まっちゃう。


 お母さんは怒って鬼に変わる。




 頭の中はゴチャゴチャ、爪の中は土、ペットボトルの中身は水。


 やっぱりジュースだったら良かったのになぁ。


 お父さんは、ビールが良いよね?




 僕は思い出したように、急いで公園の中を突っ切り、水道とは反対側の公園の入り口に駆けて行った。




 今年の運動会、徒競走で一番になったよ。


 去年、お父さんとこの公園で、徒競走の練習をした。


 僕が小学校で体験する、初めての運動会だった。


 僕よりもお父さんの方が熱心で、お母さんが公園まで迎えに来ても練習を終わらせてくれなかった。




「走る時は、手のひらはパーにするんだぞ!」




 お父さんが教えてくれたアドバイス。


 僕は力が入ると手が開かなくなる。


 お父さんとアイスを掛けたジャンケンも必ず負けていた。




 大好きなチョコレートのアイスを選びたくて男の勝負を挑んだ。


 お父さんも大好きなチョコレートのアイス。


 お母さんはジャンケン勝った人にあげますって言うから、僕は力が入っちゃう。


 ガチガチになって手が開かない。


 お父さんは、そんな僕を知っているから、必ずパーを出して僕に勝つんだ。


 僕は悔しくて泣きながらお父さんをグーで叩いた。


 ドンドン胸を叩いて『いてて』って言っても僕は許さなかった。


 そしたらお母さんが二つのチョコレートアイスを持って来て、『はいッ』ってお父さんと僕に渡してくれた。


 最初から二つあるのに、なんでお父さんとジャンケンさせるのかな。


 大人ってズルいや。


 お父さんと二人、ソファに座ってアイスを食べた。


 その時にお母さんが写真を撮ってくれた。


 お父さんはにっこり笑顔でパー、僕は泣きべそかいてグー。


 カメラに向かって二人でポーズしいてる写真。


 今でもお家に飾ってあるよ。




 走るお父さんはパー、お父さんのジャンケンもパー。


 走る僕はグー、僕のジャンケンもグー。


 公園を駆ける僕、右手にペットボトル、左手にシャベル、両手はグー。


「走る時は、手のひらはパーにするんだぞ!」


 お父さんの声が、どこからか聞こえてくる。




 公園の入り口まで走った僕は、すぐ脇に咲いているマリーゴールドを引っこ抜いた。


 普通なら怒られるけど、今は特別だから、たぶん怒られない。




「これはお父さんにあげるお花だから」




 僕は引っこ抜いたマリーゴールドにごめんねと謝るように言った。




「君が一番きれいに咲いていたから、選んだよ」




 マリーゴールドにとって、それが嬉しい事だったのか僕には分らないけど、お父さんはきっと喜んでくれると思う。


 僕のお父さんが好きだから、だから君は特別なお花なんだ。だから、ごめんね。




 お父さんは赤い色が好きだった。


 去年もこの公園で咲いていたマリーゴールドを見て、お父さんとお母さんは話していた。




「どのマリーゴールドが一番きれいに見える?」




 お母さんは黄色が好きだって言った。


 好きなアイドルが黄色のイメージカラーなんだ、って話してた。




「そりゃお前、マリーゴールドと関係ないじゃんか!」




 お父さんは笑いながらお母さんに言った。


 僕には良く分らなかったけど、お父さんがお腹を抱えて笑っていたから、すごく面白い事だったのかな?


 僕はトカゲ探しに夢中で、どのマリーゴールドがキレイかなんて興味なかった。


 その時、目と鼻の先でチラッと何かが光った。




「見つけた!」




 僕は逃すまいと猫のようにすばやくに飛びかかったつもりが、その場でつんのめって手も届かずお腹を強く打った。


 お腹の下あたりがキュンとして苦しくなった。


 痛い思いまでして逃げられて僕は泣きそうになるのをこらえるのに必死だった。




「大丈夫か? トカゲ、逃げちゃったな」




 お父さんが僕を起こしてくれて、トカゲが逃げて行った方を見て話し掛けてくれた。




「健太にとっては、トカゲが一番キレイに見えるか?」




 僕は頷いた。




「うん! だって背中があんなにキラキラしててピカピカに光ってるんだもん!」




 僕の心はトカゲにギュッと掴まれていた。


 あんなにキレイでカッコいい生き物は見たことがない。


 きっと恐竜が生きていたら、トカゲを何倍も大きくした感じなんだろうなぁ。




「じゃあ健太の背中も、キラキラでピカピカになったらキレイに見られるかな?」




 うーん。


 僕は頭の中で、自分の背中をトカゲと同じようにピカピカに光らせてみた。




「学校でプールに入る時、みんなに背中を見せるのは嫌だなぁ。だって気持ち悪いもん」




 友達がぼくを指さして言う。




『先生! 大きなトカゲがプールでおぼれてまーす!』




 それで学校新聞にも大きく書かれちゃうんだ。


 想像しただけでも怖かった。




「だろ? 健太がキレイだと思っても、それはトカゲだからキレイなんだよ」




 僕には、なんだか良く分らなかった。




「意味が分からないよー」




「健太は、お父さんの子供だから。世界で一番のキラキラでピカピカの宝物なんだよ」




 お父さんの目には、僕がトカゲの背中みたいに写って見えているのかな?




「僕、トカゲみたいにピカピカ?」




 僕はお父さんがなんて答えるかドキドキしながら待った。




 だけどお父さんは何も言わないで、目をつむって僕をギュッと抱きしめてくれた。




「お前が居るだけで、この世界はキラキラのピカピカなんだよ」






 あの時は良く分らなかったけど、今ならなんとなく分るかも。


 お父さんは僕が居るだけで世界はキラキラしているんだって、そう言ってた。


 僕は手に持った一輪のマリーゴールドに話しかけた。




「僕がいる世界に咲いた君も、きっと宝物なんだ。お父さんに見せてあげたい」




 赤いマリーゴールドは風に吹かれて静かに揺れた。


 分ったよって言ってくれたのかな?


 風に吹かれて少しだけ香りが鼻に届いた。


 この香りもお父さんに届いたらいいな。


 それに名前にゴールドって入っているから、間違いなくキラキラのピカピカだよね。




 その時マリーゴールドの茂みから、トカゲがひょこっと顔を出した。


 その顔は、僕には寂しそうに見えた。


 きっと僕がトカゲよりもマリーゴールドを選んだからだ。




「安心して! 君はトカゲだからキレイなんだよ!」




 トカゲは僕の言葉を聞いて安心したのか、茂みの中に帰っていった。


 僕も公園を出て、家に向かって歩き出した。




 家までの帰り道、僕はお母さんとの約束を破ることになる。


「知らない人に付いて行ったらだめよ」


「うん、わかってる」


「帰ったらすぐに宿題をやること」


「うん、わかってる」


「ゲームは一日、一時間まで」


「うん、わかってる」


「公園の近くの信号を通って帰ってきたらダメ」


「うん……わかってる……」


 僕は今、その信号機の前に立っていた。


 目の前を車がビュンビュンと走って僕になんて気付いていなかった。


 信号は赤のまま、ここはボタンを押さないと青には変わらない、ずっと。




「いいか健太、ここの信号機はボタンを押さないと車は止まってくれないぞ」


「ボタン押したい!」


「よーし! じゃあ押してごらん」




 五百円玉くらいの黄色のボタンは鉄の箱に入って、目の高さの位置にあった。


 ギュッと押すと、黒い窓に赤い文字が飛び出した。




「お、ま、ち、く……だ、さ……い。だって!」


「いいか健太、信号が変わっても直ぐに渡っちゃダメだぞ。右、左、もう一回、右。それから渡るんだ」


 お父さんは自分の顔を右、左とひねりながら教えてくれた。


 僕も勢いよく顔をひねった。


 首がちぎれちゃうくらいに。




「そんなじゃダメだろ~。きちんと車が来ないか確かめなさい」




 あの時、お父さんは言ったじゃないか。


 車が来ないかきちんと見ないとダメだって。


 どうして車が来たこと……分らなかったの?


 押しボタンの下にはマリーゴールドが挿さったペットボトルが置いてある。


 昨日、僕が置いた。


 お父さんはここで車にはねられた。


 仕事から帰ってくる途中、いんしゅ運転って人にぶつけられた。




 お父さんはボタン押したんだよね?


 右、左、右って……したんだよね?


 僕は公園で水を入れたペットボトルに新しい赤いマリーゴールドを挿し、昨日の花ペットボトルを交換した。




「お父さん、今日も見つからなかったよ。明日、見つかるといいな。お母さん怒るから帰るね!」




 僕はお父さんにそう伝えて、ボタンを押した。




「おまちください、おまちください……」




 赤い人を見ながら僕は何度もつぶやいた、僕は何を待てばいいんだろう。


 待ってもお父さんは帰って来ないのに。


 そうして信号は青に変わった。




「右、左、もう一回、右!」




『よーし! 良く出来た! 渡っても良いぞ』




 お父さんは褒めてくれた。


 車も走って来なかった、きっとお父さんが止めててくれたのかな。


 横断歩道に右足をふみ出した時、僕はふり返った。




「お母さんにはここに来たこと内緒にしててね! 僕怒られちゃうから!」




 僕は信号が変わらないうちに、早足で横断歩道を渡った。




 大きな道路を過ぎて、僕は家がたくさん並ぶ道に入った。


 コンクリートで出来た壁、木の板の壁、鉄の棒の壁、色んな壁に挟まれながら僕は歩く。


 もし全部同じ壁だったら、僕は迷っちゃうな。


 バラバラだから覚えられる。


 鉄の棒の壁がある家にはワンちゃんがいるから、あの家を右に曲がるんだ。


 ほら覚えてる。


 右に曲がってからしばらく歩くと、空き地が右側に広がった。


 何年も前からこのままなんだって。


 この空き地でお父さんと見た光景、今でも忘れてないよ。




「お父さん、カラスが何かしてるよ!」




 僕は空き地で動く黒いカラスを指さして言った。


 近くで見ると意外と大きいのだと僕は思った。


 カラスは空き地に溜まった水でなにやらしているみたいだった。




「あれはカラスの行水だな」




「ぎょーずい? ギョーザじゃないの?」




 カラスのギョーザ、お母さんの手作り皮で包まれたカラスはどんな味なんだろう。


 まずそう。




「ギョーザじゃない、ぎょうずい、だ。ああやって体を綺麗にしているんだよ」




「じゃあカラスのお風呂だね」




「あぁ。今日は暑いからカラスの水遊びでもいいぞ」




 カラスは手がないから、翼をバタバタと動かして水を浴びていた。


 カラスは僕みたいに手で身体を洗えないんだな。


 空は飛べるのに、不自由なんだね。


 僕はそう思った。


 身体がかゆい時は、どうやって身体を掻くの?


 足を使うの?


 それともクチバシ?


 でも、カラスから見れば、僕の方が不自由なのかもしれない。


 空も飛べない、ご飯も作れない、分らないことも沢山ある。


 だって、僕は子供だもん。


 お父さんとお母さんが居るから大丈夫だもん。


 空き地にいたカラスは水溜りから出て身体を大きく震わせた。


 その周りに細かい水が飛び散った。


 そのままカラスはカァカァと鳴いて、どこかに飛んで行った。




「あの烏は、お父さんと同じかも知れないな」




「なんでお父さんとカラスが同じなの?」




「烏 なぜ鳴くの 烏は山に」




 お父さんは僕に唄って聞かせた後に、知ってるか? って聞いた。


 僕は知らない歌だった。


 でもお父さんは僕を見ながら嬉しそうに最後まで唄ってくれた。


 最後まで聞いたけどやっぱりお父さんとカラスが同じって意味は分らなかった。






 今、僕の目の前の空き地にカラスは居ない、水溜りもない。


 何でも教えてくれるお父さんもいない。


 でも分っている事だって、ある。




「カーラースー、なぜなくのー、カラスはやーまーにー」






「お帰り、健太。帰って来るのが遅いわよ」


 お母さんは怒ってた。


 鬼に変身させられたんだ。


 自分からじゃない、と思う。




「お願いだから、お母さんを心配させないでね……」




「うん、ごめんなさい」




 お父さんが居なくなってから、お母さんは、元気がなくなった。






「えっ? 嘘でしょ! ホントに!?」お父さんが帰ってきてお母さんは凄く驚いていた。今日は、『けっこんきねん日』なんだって。




「俺たち結婚して十年だし、グレードアップだよ! 驚いたか?」


 お父さんは小さい箱から、キレイな指輪をお母さんに見せていた。


 キラキラピカピカだった。




「今までありがとう、これからもよろしくな」




 お母さんは泣いてた。


 元気いっぱいにわんわん泣いてた。




 でも今は、元気はない。




「今日も思いっきり服を汚してきたわね。汗もかいてるし、お風呂に入ってきなさい」




 お母さんは僕に笑顔で言った。


 すごく疲れた笑顔で。


 お母さん、泣いても良いんだよ。


 お父さんが言ってたよ。


 我慢しなくていいんだって。








「健太、泣きたい時はしっかり泣くんだぞ」


 去年の運動会で、僕は徒競走で一番になれなかった。


 頑張って練習したのに、全然勝てなくて、くやしかった。


 家に帰ってから、お父さんとお母さんに、『頑張ったね』って言われたら、急に思い出しちゃったんだ。


 せっかく忘れてたのにー。




「涙とオシッコは、我慢すると身体に毒だぞ!」




「なみだとオシッコは同じなの!?」




 僕は知らなかった。


 涙も黄色くてくさいのかな。




「違う違う、我慢をすることが身体に良くないんだ。だから悔しかったら思いっきり泣きなさい。必ず次に繋がるから」


 僕はその後、思いっきり泣いた。


 だって悔しかったし、毒も嫌だったから。




 お父さんは繋がるって言ってたのに、お母さんとお父さんはどうしていまは繋がってないの?


 お母さんが指輪を貰って泣いていたのは悔しくなかったから?


 嬉しいとダメなのかな。


 よく分らないや…




 お風呂から出てお母さんの膝の上に、僕は座る。


 お母さんが後ろからギュッて僕を抱きしめてくれる。


 お母さんのすべすべの手を触っていると、僕は悔しくなった。




「健太、泣きたい時はしっかり泣くんだぞ」




 泣かないもん。


 今、泣いたら、お父さんとお母さんが離れたままだもん。


 毒でも、いいもん。






 僕は今日も公園にやってきた。


 お昼に冷やし中華を食べてきた。


 僕の大好きな食べ物、第5位。




「今日はこの辺を掘ってみようかな」




 時間は午後2時過ぎ、公園は昨日と同じですごく暑かった。


 僕はまた砂場でダンゴ虫になった。


 昨日も、一昨日も、その前の日もずっとずっと砂場に来ている。


 砂場で遊びたいわけじゃない。


 お父さんをずっと探してるんだ。




 サクサク。




 僕はシャベルで砂を掘り始めた。




「お前さー、そこで毎日なに掘ってんの?」




 僕の後ろから声が落ちてきた。


 振り向くと、嫌な奴たちが立っていた。


 いじわるな三人組だった。


 僕をいじめる訳じゃないけど、乱暴なことをしてくる五年生の男の子たちだった。


 ホントにキライだ。




「別に、なにも掘ってないよ」




 きっと本当の事を言ったらいたずらされる。


 だから僕は言わないことに決めた。




「だったらなんで穴なんか掘ってんだよ! 種でも埋めてんのか?」




 五年生たちが笑う。


 僕はジッと掘った穴を見つめる。


 早くあっちに行ってよ。




「なんとか言えよ!」




 赤色のシャツを着た男の子が砂を蹴って僕に飛ばした。


 チラッと見えた靴は、履くだけで足が速くなる魔法の靴だった。


 でもその男の子は徒競走でびりっけつだった。


 魔法なんて悪い奴には効かないんだ。




 僕は頭から砂をかぶった。


 髪の中、服の中、靴の中に砂が入った。


 悔しい。




「健太、泣きたい時はしっかり泣くんだぞ」


『違うよ、お父さん。泣いたら、見つけられなくなる!』




「ネコのフン! 知ってる?」




「ネコの、フン? お前そんなもの掘ってんのかよ、キタネーな!」




 赤いビリがジリジリと僕に近づいてくる。




「ネコのフンにはビョーキがあるんだって! この砂場にたくさんあった。毎日なんこ落ちてるか数えてた!」




「うげぇ~、こいつマジ気持ちわりぃ」




 ビリは気持ち悪がっても僕に近づくのを止めなかった。


 僕の事を叩きたいんだ。


 分ってた。




 もうお母さんの悲しい顔は見たくない!




 僕は砂の上に寝そべった。


 顔を地面にこすり付けて腕もバタバタと動かした。


 全身が砂まみれになるまで僕は動き回った。


 腕で砂を巻き上げて身体にかける。


 僕はカラスの行水を思い出した。


 身体にかかるのは水じゃない砂だ、まるでカラスの砂遊びだ。




「僕を叩きたいなら叩いても良いよ。でもね、体中にネコのフンが付いてるから、ビョーキに気を付けてね!」




 僕はビリの前で両腕を大きく開いて大の字で立った。


 キッと顔をにらみ付けて目は離さなかった。




「こいつヤバいぞ」




 ビリたちはあっという間に僕の前から逃げて行った。


 それは徒競走の時よりも早かった。




「やったぁ、勝った!」




 僕は嬉しかった。


 嬉しくて涙がポロポロ流れてた。


 砂の顔に涙のあとが一本通った。




「うぅ目が痛い~」




 僕は顔を洗って、また、砂を掘りはじめた。




 サクッ




「ビョーキになったら嫌だな」




 サクッ




「こんなに服を汚して絶対に怒られるな」




 サクッ




「でも、僕強かったな、うん」




 サクッ




「今日、見つかるかな…」




 その時、キラっと光る物が砂の中から見えた。




「あ! あぁ!! ったーーーーーー!! お母さんの指輪、見つけたぁ!!」




 僕は一週間前、ここにお母さんと遊びに来た。


 一緒に砂遊びをして、家に帰ったら、お母さんの指から大切な指輪が無くなっていた。


 お母さんは、すごく泣いていた。


 僕はきっとここで落としたんだと思って、ずっと探していた。


 やっと見つかった!




 僕は急いで公園を出て家に帰った。


 信号機でお父さんに報告した。




「お父さん! 僕見つけたよ! 大変だったけど、頑張ったよ!」




 僕は急ぎ過ぎて花ペットボトルを忘れてきたけど、今日だけは許して。


 僕は黄色いボタンを力いっぱい押す。




「早く! 早く!」




 信号が青に変わった。




『いいか健太、信号が変わっても直ぐに渡っ……』




「分ってる! 右! 左! 右っ!!」


 今日も車は走って来なかった。


 僕は空き地を見向きもしなかった。




「お母さん! ただいま!」




 お母さんがリビングから顔を出した。


 僕は指輪を手に持って、両手をお尻に隠した。




 身体中に砂が付いてるのを見て、お母さんの顔が真っ赤に変わるのが見て分かった。




「健太、どうしてそんなに汚れて!」




 僕はお母さんの顔に、真っ直ぐ両手を開いて突き出した。




「見つけたよ! お母さんの指輪!」




 真っ赤になっていたお母さんの顔が、驚いた顔に変わっていった。


 そして今度はお母さんの目が真っ赤に変わっていく。




「……うそ……健太が……み、見つけ……て、くれた……の?」




 ポロポロとお母さんは涙を流しながら僕に聞いた。




「うん!」




 お母さんは、お父さんに指輪を貰った日よりも沢山泣いていた。


 嬉しくて、たくさん。


 そして僕を強く抱きしめた。




「お母さん、ビョーキになっちゃうよ~」




 僕の身体にはネコのフンがたくさん。




「お母さん、絶対に離さないわ。絶対に……」




 僕はお風呂から上がると、いつものようにお母さんの膝の上に座った。


 お母さんがいつも以上に、ギュッと抱きしめてくれた。




「カーラースー、なぜなくのー、カラスはやーまーにー」




 僕は唄った、お父さんの教えてくれた歌。


 どうしてお父さんはこの歌を唄ったんだろう。




「お母さんもカラスと一緒だわ、こんなに可愛い健太が居るんだもの」




「お母さんもカラスと同じなの?」




 どうしてお父さんと同じことをお母さんは言うんだろう、やっぱり分らないや。




 僕はお母さんの手を触った。


 スベスベの手にお父さんからの指輪が帰ってきた。




「お帰り、お父さん」


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